旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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ムーチーのころ

2019-01-10 00:10:00 | ノンジャンル
 年に一度は口ずさむ学校唱歌がある。
 ♪春は名のみの風の寒さや~谷の鶯歌は覚えど~時にあらずと声もたてず~
 作詞=吉丸一昌、作曲=中田章「早春譜」である。

 亥年は明けたものの旧暦は師走に入ったばかり。沖縄の冬はこれから。ようやく、年中行事のひとつ「ムーチー」を迎える。旧暦12月8日がその日で、今年は新暦1月13日にあたる。ムーチーは「餅」の方言呼称。
 「ムーチーの日」の数日前から、サンニンガーサと称する月桃(げっとう)の葉を井戸端で洗うおふくろや姉たちの姿が見られ、少年のボクは、ただただ「もうすぐ、ムーチーが食べられるっ」との期待だけだったが、おふくろや姉たちにとっては、極寒の中での水仕事はひと苦労だったに違いない。鼻の先を真っ赤にしながら、声ひとつ出さず黙々とサンニンガーサ(月桃の葉)を洗っていたものだ。

 寒さの入口にあたる旧暦12月8日。その前夜からムーチー作りは始まり、翌日には、子どもたちの息災を願って、ムーチーを数個、仏壇に供えてから子どもたちにそれぞれの歳の数づつ配られたものだ。末っ子に生まれついたボクは、どうしても兄や姉たちよりは、貰いが少なく、それが不服でたまらず「よしっ!何時か兄や姉たちの歳を追い抜いてやるっ」と本気で考えたものだ。
 また、この頃の寒さを「ムーチービーサ=寒さ」と称し、いまでもボクは冬物を着用する目途にしている。

 ムーチーはもち米の粉に白桃や黒糖をまぜて練り、幅5センチ、縦12、3センチほどに平たくし、月桃やクバの葉に包むと、大きな蒸し鍋で蒸す。蒸し上がったムーチーは火ぬ神や仏壇に捧げられることは、すでに述べた。
 また、ムーチーを蒸したあとの鍋の湯は熱いうちに家の出入り口や屋敷の隅々に撒く。疫病神の「足を焼く」との呪いで、つまりは厄払いをし、清められたところで新年を迎えるとした。きめ細かい庶民の願いが込められている。

 年内に子どもが生まれた家では、その子の無病息災を願って特別に「ハチムーチー=初ムーチー」を作り、親戚や隣近所に「徳ちきてぃ呉みそーり=新生児に徳をつけて下さい」と言って配る慣わしがある。
 月桃の葉を用いるのにはそれなりの理由がある。

 ◇ゲットウ=方言名サンニンサニン
 ショウガ科の多年草。低地の原野に生育。大きいのは高さ3メートルほど。葉は2列状。長さは3メートルから6メートル、幅15センチほど。花は4月から6月ごろ咲き、白色に紅色。フサが茎にぶら下がるように咲く。果実は卵玉状で8月から10月が最盛期。観賞用として早くから植栽されていた。根茎は健胃整腸、消化不良などの薬用とし、種子は仁丹の主要原料となる。そこで葉がムーチーを包むカーサに用いられるのは、こうした薬用効果があり、保存が利くからだ。
 ちなみに月桃は鹿児島県佐多岬を分布の北限とし、琉球列島、台湾、中国南部、インド、マレーシアに分布すると、ものの本にある。

 話はムーチーに返る。
 ムーチーの中でも普通のそれよりも大きめのものをウニムーチー(鬼餅)と称する。
 尚敬王代1735年。この年から「鬼餅の日」を師走8日と定めるという布令がなされたという。中国の風習が琉球に移入されたものらしい。中国では12月8日「金剛力士を作り厄を払い、沐浴をして「罪障を転除す」とあって、餅ではなく「粥」を食して厄払いとしたという。
 いわばムーチー行事は、1年間のもろもろの厄を払い、新しい年を迎えようという意味合いが大きいようだ。

 かつてムーチーは各家庭で作られていたが、いまは市場やスーパーで求めることができる。大抵の年中行事が薄れていく中で、ムーチー行事がなくならないのは「子どもたちの無病息災を祈願する」ことを重要視しているためであろう。いつの世も親が子を思う心は不変だ。
 我が家の庭とは呼べない小さなスペースにもサンニンが植えられている。この時期になると老妻は、14、5枚のサンニンの葉を切り、ムーチー作りをする。
 「今年はトーナチン(とうもろこし)の粉入りムーチーをつくろうか」なぞと張り切っている。老夫婦二人暮らしで「ムーチーでもあるまい」と思うのだが、孫たちに配るのを楽しみにしてのことらしい。
 ムーチー行事がすむと、いよいよ旧正月を迎える。
 沖縄では正月を迎えることを「ソーグァチ、かむん」という。「かむん」は「噛む・食する」の意。正月にしか馳走にありつけない庶民の貧しい暮らしが長くつづいた名残りことばだろう。
 かくて沖縄の戌年は往き、本当の亥年がやってくる。