旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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ふたつの歌会・そして、さんしの日

2018-02-01 00:10:00 | ノンジャンル
 大相撲で言えば、立行司の軍配はかえり、甲高い「待ったなし!」の声。
 RBCiラジオ主催・第26回「ゆかる日まさる日さんしんの日」は、来月3月4日、読谷村立鳳ホールをメイン会場に午前11時45分から午後9時まで9時間15分生放送される。
 民謡界を見渡せば今年度も数々の民謡リサイタルが催された。その中から「ふたつの歌会」に寄せた(または寄せる)拙文を記して、沖縄の民謡界事情を汲み取って頂こう。

 {歌の向こうに・人生=伊波智恵子}

 「しっかりと艶やかに、そして涼やかに。いいですね智恵子さんの表現は。和みます」。

 そう言われてボクは「ありがとうございます」の返礼しか持たない。
 身内に対する他所さまの褒め言葉。面映ゆく返礼のそれが続かず、口ごもってしまい、テレ笑いするばかり。
 それでいて(嬉しさ)が胸に湧くのも確かではある。
 「声の出る内に歌会をやりたい」
 6月の初めごろ、久しく前から温めていたらしい公演のパンフレットに寄せ書きを依頼されたことだが、身内であってみれば甘口を労することも、と言って辛口を呈するのもためらわれる。
 歌者はもちろん、諸々の表現者の評価を受ける側の感性にゆだねられる。
 「分のぉ世間ぬどぅ持たする=ぶのぉ しきんぬどぅ むたする
 その人の職能、才能、実績評価は世間の人びとが持たせてくれることはよく言ったものだ。
 智恵子の場合。姉3人とともに歌い出してもう何年経たのだろうか。少女期は親の言う通り、姉たちについて行けばよかったのだろうが、やがて(それでいいのだろうか)というひとりの女性歌者としての自己への思惑が頭をもたげ、苦悩もあったにちがいない。けれども、スタッフに恵まれ、歌人生から大きくスライスすることもなく、それどころか普久原メロディーに出逢い、他の歌者が羨望する表現者のひとりになったのは(世間が知る)ところ。CD出版、舞台、テレビ出演も好調にこなしているのは、これまた(世間の知る)ところ。
 それでいて「声が出るうちに歌会をやりたい!」。これなのである。
 ある歌者から耳にしたのだが、歌い続けてはいても、公演形式のそれからしばし遠退くと(世間さまに忘れられたのでは?)と不安になるそうな。歌者とはそうした生業らしい。
 これまで歌ってきたのも彼女の人生。これから歌い続けて行くのも智恵子、これまた貴女の人生。喜怒哀楽を噛みしめながら、終わりのない人生を歩むがいい。しっとりと、艶やかに、そして涼やかに歩むがいい。
 (平成29年9月15日。場所=沖縄市民会館大ホールにて公演)。

 3月18日(日)。午後2時・同7時。国立劇場おきなわ大ホールでは、八重山歌者「大工哲弘・苗子歌会。響ましょうら」が催される。

 {かなしゃ・大哲会}

 「50年唄ってきたとは言え、哲弘の唄はカミさん苗子の唄で持っているようなものだ」
 親し過ぎて、そのくせ(島うた)とは、直接は関わっていない彼の悪友連は、苗子を持ち上げるようになった。歌唱力を評しているにのではない。妻女苗子の存在の絶大さを羨望をもって評しているのである。
 そのことは、今回の公演の表題にもはっきり見える
 「響ましょうら・やいまうた」までは普通だが副表題「大工哲弘・苗子うた会」に読み取ることができるのではないか。
 これまでの「うた会」では、あくまでも(哲弘)の名しか記されてなかったが、ここへきて(哲弘)と同格並列で(苗子)の名が鮮やかに、どっしりと光っている。これを見て古馴染みたちは‟伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ~”ではないが、自分たちにない(夫婦婦随)を実感しての羨望が悪友連に‟哲弘は苗子で持つ~”と悪態をたれさせているのだろう。また、そのことは歌者大工哲弘の人格、品格を高揚させている・・・・ように思える。
 さらにまた、その人格、品格は八重山歌謡に魅せられた人たちの信頼を得て(大哲会)に繋がったのだろう。大工哲弘夫妻を慕って入会した、いわゆる同志は県内に留まらず教室数、北海道6室、東京3、大阪6、岐阜県、広島県、岡山県、福岡県に及ぶ。国会議員選挙でも比例区なら悠々当選するのではないか。
 過日。哲弘夫婦は「八重山へ行ってきました」と報告してくれた。(何しに?)。それはあえて訊かない。とにかく(行った、帰った)のだ。
 思うに、生り島八重山と聞けばそれだけで心が体が反応し、行動してしまう夫婦。私的には(故郷の温もり)を補給してくるのだろう。その(温もり)を忘却しない限り「大哲会」、いや、夫婦の八重山歌謡は一生ものだろう。
 件の古馴染みたちは、仲よし夫婦に亀裂を入れようと、日夜仕掛けてみるのだが、当人たちはにっこり笑って受け流すばかり。この人間臭さは抜けきらない。それがまた「大哲会」の持続力になるのだろう。
 んっ?古馴染みたちの声が聞える。
 (褒め過ぎっ!褒め過ぎっ)。

 恒例行事のようにインフルエンザが徘徊している。恒例なのは 「さんしんの日」。「風邪は引かずに、三線を弾こう」。