旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

17年の長きに渡り、ネット上で連載された
旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』のアーカイブサイトです!

畳語・重ねことばをたのしもう。パート7

2016-12-20 00:10:00 | ノンジャンル
 12月4日。最高気温は28.05度。これは沖縄における気象観測上、102年ぶりのことだそうな。
 「クリスマスが夏日。元旦に浜遊びをすることもあるのだから、驚くこともあるまい。北風に南へ押しやられる太陽が今年最後の意地をみせたのだろうよ」。
 そうそう話題にもしなかったが、冬将軍に抱きすくめられた本土のことに、想いを馳せると(気温のお裾分け)はできないものかと思うのだが・・・・。
 さて。
 八重山は石垣の「畳語・重ねことば」。シリーズと銘打った手前、中断するわけにもいかず、このまま年を越すことになる。年が明けても、しばらくは続くが、年末年始の語り合いの話のネタにでもするつもりでお付き合いを願いたい。

 ◇たちまーゐ とぅんまーゐ
 *(他所)に、頻繁に立ち寄ること。またはそのさま。
 年末年始は親兄弟、親戚筋を「たちまーゐ とぅんまーゐ」することが多くなる。仕事を納めるのに「たちまーゐ とぅんまーゐ」することもあろうが、親から独立している方は、顔を見せるだけでいい。親の家は「たちまーゐ とぅんまーゐ」した方がいい。親の心情を詠んだ1首にこんなのがある。
 
 ♪忙なさがしちょら 此ぬ頃や子ぬ達 声ん音連りん無らんあしが
 〈イチュナサがしちょら くぬぐるや クァぬチャ クィーん うとぅじりん ねらんあしが

 歌意=忙しいだろうなぁ。息子や娘よ。ここしばらく顔も見せないし、声も聞かない。また、キミたちの近況を聞くこともない。大した用事はなくても、たまには顔を見せておくれ。声を聞かせておくれ。
 どんなにメール、スマホの時代と言えども、親にとっては子は幾つになっても子。毎日とは言わないまでも、両親の家は「たちまーゐ とぅんまーゐ」することが「親孝行」のひとつではなかろうか。筆者もこの1首が実感、理解できる歳にある。

 ◇たっとぅび かとぅび
 *たっとぅびは「尊び」。あちら風には「リスペクト」になろうか。人にも自然にも「たっとぅび かとぅび」の心を忘れてはならないというのが、母親の口癖だった。それを厳守しているかどうか、自分では評価しかねる。

 ◇どぅずーさ みーずーさ
 *胴強さ身強さの当て字ができるが、常に健康でありたいという願望を表すことば。胴(どぅ)は肉体。身(みー)は精神をも加味されていて、(身も心も)健全でありたいという祝詞の文句に折り込まれる。
 正月の初詣には、神仏に何を祈願するか。沖縄風俗史及び芸能史研究家の故崎間麗進先生から10年ほど前に戴いた年賀状に、次のような琉歌が添えられていた。

 ♪朝夕我が願えや 事々や思まん 命果報強さ あらち給り
 (あさゆ わがにげや くとぅぐとぅや うまん ぬちがふう ぢゅうさ あらちたぼり

 歌意=朝夕、私が願うのは多くのことではありません。ただひとつです。命の果報有らせ給え。
 直訳すればこうなるが意味深長な1首。まさに「どぅずーさ みーずーさ」の願いである。

 ◇よーがり かーがり
 *異常に痩せ細っているさま。那覇方言では「よーがり ふぃーがり」という。
 痩せるにしても健康的なそれはいい。逆に明らかな食欲による肥満は美を損ねる。
 「女房は(よーがり かーがり)しているよりは、醜くても肥満型がいい。痩せ型だと、いくら銭金はあっても、亭主が苦労させているように他人は思う。金はなくても太った女房を見れば、楽太りをしていると評価。亭主の株は上がるというものだ」。
 そう高説する御仁もいる。善し悪しは読者諸氏の判定にお任せする。

 ◇のーさばどぅ かーさばどぅ
 *何をどうすればよいのか。如何にすればよいか戸惑っているさま。
 仕事のみならず、日常生活はめりはりを付けて段取りよく成すに越したことはないが生来、身に着いたズボラから抜け切らずにいる筆者は、殊に年末は、なにをどうしてよいのやら、言葉通りお手上げの態でいる。おかげで、サーカスよろしく綱渡り人生を歩んでいる。「のーさばどぅ かーさばどぅ」に気付いたら、修正し実行すればよいと、悟ったような独白はするものの、いざとなると、やはり「のーさばどぅ かーさばどぅ」で、戸惑いを先頭して今年を来年に繋げることになる。
 待て。持って生まれた極楽とんぼの性格とは言え、78回目の春を迎えるにあたり、実行の不可は別として、自分自身に向かってインドの聖人ガンジーの名言を贈って年垣を越すことにする。
 「明日、死ぬと思って生きよ。永遠に生きると思って学べ」。