案内状が届いた。
同封のチラシには琉歌が1首。
“初春になりば 三線に乗してぃ 肝心合わち 弥勒世願”
<はちはるになりば さんしんにぬしてぃ ちむくくるあわち みるくゆにげぇ>
春を迎えた。さあ、こぞって三線に心をあずけて平和祈願をしようと、第1回「新春民謡合同弾き初め会」の主旨が詠み込まれている。
「同弾き初め会」を主催したのは(順不同)琉球民謡音楽協会=会長大工哲弘。琉球国民謡協会=会長神谷幸一。沖縄民謡協会=会長湧川明。沖縄民謡保存会=会長上間勲。琉球島唄協会=会長山内昌吉。琉球民謡保存会=会長久高友吉。琉球島うた音楽協会=会長仲里幸一。全琉球民謡協会=会長大城勲。沖縄宮古民謡協会=会長渡真利久信。以上9団体。
「三線音楽を愛する人たちの団体は幾つあっても差し障りないが、この際、親睦を前提として、横の連携・連帯を密にしたい。他にもあと8団体ほどあるが、初回は9団体が賛同。次回からはさらに参加団体は増える見通しである」主催側はそう語っている。
「弾き初め会」は、年明け早々の1月4日午後1時~5時。宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで行われ、各会員はもちろん、愛好者は会費1000円で参加。目論み通り盛会だった。
「宮廷音楽とは異なり、ひと節ひと節に地域性があり、それぞれの奏法、歌唱法がある。そして奏者の個性が尊重される。音楽技術の統一なぞはすべきではない。ともかく保存継承という最終目標を持つ歌者が一堂に会して年1回の演奏会を催し、琉球民謡の(これから)を思考したい」。
前向きの定期演奏会が、またひとつスタートしたことになる。
さらにいまひとつ。
野村流合同協議会主催「第13回新春野村流合同大演奏会」は、1月11日午後1時。北谷町屋内運動場(北谷ドーム)で行われた。
テーマ=深めよう交流・楽しもう音楽・伝えよう未来へ。
同合同協議会は、野村流音楽協会。琉球古典音楽野村流保存会。琉球古典音楽野村流伝統音楽協会。琉球古典音楽野村流松村統絃会。琉球筝曲興陽会。琉球筝曲保存会から成っている。
「近年、沖縄の芸能文化の価値認識が一層高まっている。我々野村流の会員は、筝曲団体とともに会員相互の融和と親睦を図りつつ、絶えず研讃、演奏活動を通してその保存、継承、発展に努める」。
同合同協議会(会長勝連繁男)は、そう謳い上げている。会場が屋内運動場というのにも(野村流)の会員の多さが感じ取れる。
さらにさらに。
1月18日、宜野湾市民会館では「野村流音楽協会創設90周年記念演奏会」があった。県内はじめ関東、関西、海外の会員が結集。長い歴史を感じさせる4時間余に及ぶ演奏会だった。
野村流音楽協会。
琉球音楽野村流の普及発展を目的とする音楽団体。
大正13年(1924)10月。野村流の始祖野村安趙(1805~1871)の高弟桑江良真の流れをくむ門弟たちによって、那覇市久米町メソジスト教会において結成された。初代会長伊差川世瑞。副会長池宮喜輝。音楽部71名。舞踊部20名の91名で発足した。現会長は15代目神田米三。
しかし、昭和30年。屋嘉宗勝、勝連盛重ら数人が脱会。野村流古典音楽保存会を結成した。
野村流音楽協会は県内、県外、ブラジル、アルゼンチン、カナダ、ハワイにも支部会員を擁し、県内最大の音楽団体になっている。
かくて沖縄の未年は「三線の音」で明けた。
そして次にやってくるのがRBCiラジオが主催する「ゆかる日まさる日さんしんの日」である。
「沖縄の春は三線の音が連れて来る」
だれが言い出したか知らないけれど、それが「さんしんの日」のキャッチフレーズのひとつになっている。三線は23回目の(春)を連れて来ることになる。3月4日午後11時45分。読谷村立文化センター「鳳ホール」を主会場に9時間15分のラジオ生放送が世界に発信される。出演は古典音楽各団体、琉球舞踊各団体、民謡団体、個人のベテラン、若手が約300名。また各地ではこの催事に呼応した文化団体が自主的演奏会を催すが、これらもラジオカーで中継するほか、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、南米、ハワイ等々からも生演奏が送られてくる。
うるま市東恩納の個人経営の三線工房の店先には(風邪を引かずに三線を弾こう)の文字が踊っている。回を追うごとに三線人口が倍増。老人会や年齢を問わない愛好会では年明け早々、ラジオの毎時報に合わせて演奏する代表的祝儀歌「かぢゃでぃ風節」の稽古に余念がない。
沖縄で出版される「沖縄手帳」の3月4日の欄には、数年前から「さんしんの日」と記されて、すっかり市民権を得た一大イベントになっている。進行役は上原直彦、狩俣倫太郎、島袋千恵美。なお、出演者の登場時間や節名等については(RBCiラジオ)検索下さい。
第23回「ゆかる日まさる日さんしんの日」は目前。当日までの日数カウントダウンと共に、三線の音を耳にした春は、もうすぐそこまできている沖縄である。
同封のチラシには琉歌が1首。
“初春になりば 三線に乗してぃ 肝心合わち 弥勒世願”
<はちはるになりば さんしんにぬしてぃ ちむくくるあわち みるくゆにげぇ>
春を迎えた。さあ、こぞって三線に心をあずけて平和祈願をしようと、第1回「新春民謡合同弾き初め会」の主旨が詠み込まれている。
「同弾き初め会」を主催したのは(順不同)琉球民謡音楽協会=会長大工哲弘。琉球国民謡協会=会長神谷幸一。沖縄民謡協会=会長湧川明。沖縄民謡保存会=会長上間勲。琉球島唄協会=会長山内昌吉。琉球民謡保存会=会長久高友吉。琉球島うた音楽協会=会長仲里幸一。全琉球民謡協会=会長大城勲。沖縄宮古民謡協会=会長渡真利久信。以上9団体。
「三線音楽を愛する人たちの団体は幾つあっても差し障りないが、この際、親睦を前提として、横の連携・連帯を密にしたい。他にもあと8団体ほどあるが、初回は9団体が賛同。次回からはさらに参加団体は増える見通しである」主催側はそう語っている。
「弾き初め会」は、年明け早々の1月4日午後1時~5時。宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで行われ、各会員はもちろん、愛好者は会費1000円で参加。目論み通り盛会だった。
「宮廷音楽とは異なり、ひと節ひと節に地域性があり、それぞれの奏法、歌唱法がある。そして奏者の個性が尊重される。音楽技術の統一なぞはすべきではない。ともかく保存継承という最終目標を持つ歌者が一堂に会して年1回の演奏会を催し、琉球民謡の(これから)を思考したい」。
前向きの定期演奏会が、またひとつスタートしたことになる。
さらにいまひとつ。
野村流合同協議会主催「第13回新春野村流合同大演奏会」は、1月11日午後1時。北谷町屋内運動場(北谷ドーム)で行われた。
テーマ=深めよう交流・楽しもう音楽・伝えよう未来へ。
同合同協議会は、野村流音楽協会。琉球古典音楽野村流保存会。琉球古典音楽野村流伝統音楽協会。琉球古典音楽野村流松村統絃会。琉球筝曲興陽会。琉球筝曲保存会から成っている。
「近年、沖縄の芸能文化の価値認識が一層高まっている。我々野村流の会員は、筝曲団体とともに会員相互の融和と親睦を図りつつ、絶えず研讃、演奏活動を通してその保存、継承、発展に努める」。
同合同協議会(会長勝連繁男)は、そう謳い上げている。会場が屋内運動場というのにも(野村流)の会員の多さが感じ取れる。
さらにさらに。
1月18日、宜野湾市民会館では「野村流音楽協会創設90周年記念演奏会」があった。県内はじめ関東、関西、海外の会員が結集。長い歴史を感じさせる4時間余に及ぶ演奏会だった。
野村流音楽協会。
琉球音楽野村流の普及発展を目的とする音楽団体。
大正13年(1924)10月。野村流の始祖野村安趙(1805~1871)の高弟桑江良真の流れをくむ門弟たちによって、那覇市久米町メソジスト教会において結成された。初代会長伊差川世瑞。副会長池宮喜輝。音楽部71名。舞踊部20名の91名で発足した。現会長は15代目神田米三。
しかし、昭和30年。屋嘉宗勝、勝連盛重ら数人が脱会。野村流古典音楽保存会を結成した。
野村流音楽協会は県内、県外、ブラジル、アルゼンチン、カナダ、ハワイにも支部会員を擁し、県内最大の音楽団体になっている。
かくて沖縄の未年は「三線の音」で明けた。
そして次にやってくるのがRBCiラジオが主催する「ゆかる日まさる日さんしんの日」である。
「沖縄の春は三線の音が連れて来る」
だれが言い出したか知らないけれど、それが「さんしんの日」のキャッチフレーズのひとつになっている。三線は23回目の(春)を連れて来ることになる。3月4日午後11時45分。読谷村立文化センター「鳳ホール」を主会場に9時間15分のラジオ生放送が世界に発信される。出演は古典音楽各団体、琉球舞踊各団体、民謡団体、個人のベテラン、若手が約300名。また各地ではこの催事に呼応した文化団体が自主的演奏会を催すが、これらもラジオカーで中継するほか、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、南米、ハワイ等々からも生演奏が送られてくる。
うるま市東恩納の個人経営の三線工房の店先には(風邪を引かずに三線を弾こう)の文字が踊っている。回を追うごとに三線人口が倍増。老人会や年齢を問わない愛好会では年明け早々、ラジオの毎時報に合わせて演奏する代表的祝儀歌「かぢゃでぃ風節」の稽古に余念がない。
沖縄で出版される「沖縄手帳」の3月4日の欄には、数年前から「さんしんの日」と記されて、すっかり市民権を得た一大イベントになっている。進行役は上原直彦、狩俣倫太郎、島袋千恵美。なお、出演者の登場時間や節名等については(RBCiラジオ)検索下さい。
第23回「ゆかる日まさる日さんしんの日」は目前。当日までの日数カウントダウンと共に、三線の音を耳にした春は、もうすぐそこまできている沖縄である。