旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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タマガイ・マジムン・サン結び

2011-09-01 00:40:00 | ノンジャンル
 “幽霊の正体見たり枯れ尾花”
 夏場は、あの世とこの世の垣根を取っ払った怪奇現象や幽霊ばなしがよく似合う。いまどき〔幽霊ばなしなぞッ〕と一笑にふしてはみても、長い夏もやがて遠のくであろうこの時期、どこからか一瞬吹く涼風が首筋あたりをなでて、幽霊ばなしを身近に感じさせる効果を上げてくれる。

 むかし話。
 真和志間切識名村<現・那覇市>に、朝起きて豆腐をつくり、村内や近隣の集落を売り歩いて暮らす若夫婦がいた。楽な暮らしではなかったが、相思相愛の仲は貧しさをも補ってあまりあるものがあった。二人で豆腐をつくり、それを売り歩くのは妻。仕上げまで手伝った夫は、一番星が顔を見せる時刻まで畑仕事に精を出すという毎日が、平穏に繰り返されていた。けれども、好事魔多しとか。
 この夫婦の妻に邪恋の念を抱いていた男がいた。豆腐売りから家路を急ぐ妻が、決まって識名坂<しちなんだ びら>を登って行くのを知っていた男はある日、坂<ひら>の中腹で妻を待ち受け、無理矢理、草むらに連れ込むやケダモノ行為を働いた。しかも、そのことがばれるのを恐れて、こともあろうに絞殺に及んだ。
 一方夫は、いつもなら自分より先に帰宅して、夕餉を整えて待っているはずの妻が、宵闇がほんものの闇に変わっても帰宅しないのを気遣い、坂上で待っていた。その姿を認めた男は〔毒を喰わば皿までッ〕を決め込んで、なんということか、夫まで撲殺してしまったのである。何がなんだか分からないままに命を落とした夫婦の霊魂は、その後も夫は妻を、妻は夫を求めて識名坂をさまよい、夜な夜なタマガイ<火の玉。遺念火>となって現れるようになった。
 人びとがことの真相を知るのは、不埒男が己の犯した罪の深さにさいなまれ、自分の悪行であることを口走りながら狂い死にしたからであった。そして、村人によって夫婦の亡骸は手厚く葬られ供養したことだが、それでもタマガイは時折、夜の識名坂を音もなく飛んだという。
 この話は明治42年<1909>9月。「識名坂ぬ遺念火=しちなんだびらぬ いにんび」と題して、劇団球陽座の舞台に掛かり、納涼芝居のひとつになっていた。

 沖縄では、旧盆をすませた後の旧暦8月上旬は、悪霊が徘徊する時期の魔除け行事「ヨーカビー」を各地で行なった。むろん、戦前の話。旧暦8月に入ると不吉事をもたらすタマガイが集落のあちこちに出没するとされ、若者たちが集落を見渡せる高台に陣取り、タマガイを確認しては、その場所に行きホーチャック<爆竹>を鳴らしてタマガイ払いをした。
 今風に考えると、旧暦の八月十五夜までは「シチグァチ ティダ=七月太陽」が、この夏最後のエネルギーを出し切るころで、渇水とそれに伴う疫病などが流行り、あまり安穏な暮らしが保てなかった時代のこと。それもこれも悪霊の成せる業として、ヨーカビー行事を成し、神仏の力も借りて“御祓い”をしたのではなかろうか。いまひとつには、この行事を好機に若者たちの肝試しと納涼にしたのではないかとも考えられる。
 ヨーカビーの語源についてはまず、旧暦8月8日から11日までに行なったことに由来して〔八日の日=八日目・ヨーカビ〕に転じたという説と「妖怪火」の沖縄読みとする説がある。いずれにせよ、近年は「ヨーカビー」の言葉さえ死語になっている。しかし、UFOを見たと言い切ってゆずらない人もいる。ひょっとするとタマガイも近代的進化をしてUFOになったのかも知れない。いや、そうに違いない。
       

 人は洋の東西を問わず、いまでも験<げん>をかつぐ。まじないもする。
 沖縄では夜、食べ物を持ち運ぶ場合、ススキの葉や竹の葉を結んだ「サン」を食べ物の上に置く。これにも由来があって・・・・。
 昔、羽地間切<現・名護市>屋我地島のさらに離れ小島に漁を生業にしている老人がいた。ところが、夏になると毎晩のように獲った魚を喰い荒らしにくるマジムン<妖怪。もののけ>どもがいた。悪さはしないまでも、相手がマジムンでは心地よくない。ある日、漁から帰り魚や蛸や貝、それにスヌイ<もずく>などをバーキ<ざる>に移し、老人は何の気なしに草の葉を結んでその上に置いた。するとどうだろう。マジムンどもは、その夜も家の前まではやってきた様子だが、中に入ることをしない。それどころか奇声をあげて退散し、二度と老人の家にはこなくなった。老人は知った。
 「マジムンどもは、草の葉を結んで“サン”が怖いのだ。このことは、琉球中の人に伝えなければなるまい」
 老人の奨励はたちまち琉球中に広まった。
 琉球の国造りの神々が降臨したとされる久高島<現・南城市>では、これを〔サイ〕と言い、魔除けや祭祀の道具のひとつにしている。また、首里では藁や糸芭蕉の葉片を結ぶのをサン。ススキの葉を束ねた祭祀用をゲーン<ススキの意>と、言い分けている。本来はいずれも十字に結んでいたが、いまでは〔リボン結び〕風に簡略化されている。ともかく〔結び目をつける〕ことが肝要なのである。
     
       写真:久高島  
 いくら科学万能時代でもタマガイ、マジムン、厄払い、魔除け等々の故事は、信じようと信じまいと生きていたほうがよい。そして、楽しめばいい。これも精神文化、情緒、情感の内ではなかろうか。