旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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愛煙・節煙・禁煙・休煙

2010-12-01 00:10:00 | ノンジャンル
 『インドネシアでは、2歳や4歳の幼児がたばこを吸う映像が相次いでインターネットで流れ議論を呼びましたが、今度は1歳と8ヵ月の男の子が喫煙していることが分かりました。地元のメディアによりますと、喫煙していることがわかったのは、スマトラ島に住むルノちゃんです。ルノちゃんは1歳2ヵ月のころからたばこを吸い始め、今では1日半箱のペースで吸うようになりました。たばこを吸うようになったきっかけは分かっていませんが、34歳の父親は「たばこがないと泣き出す。病院に連れて行きたいが、費用が高いと聞いた」と困惑しています。一方、たばこを吸っている映像がインターネットで流れて、国際的な批判を呼んだ2歳と4歳の男の子は、病院で治療を受けるなどして禁煙に成功しました。インドネシアでは、煙草が主な産業のひとつで「たばこ大国」として知られています。政府の統計によりますと、5歳から9歳の子どもの喫煙人口の割合が2004年には、およそ3%に上がりました』
 これは共同通信放送ニュースが、ジャカルタ発として9月13日伝えた話題である。
 世界的に煙草の生産は、その国の経済と深く関係しているが幼児・児童の健康と教育面には、悪影響を見せているようだ。

写真:オキナワグラフより転写
 
 私は何歳から煙草に火をつけただろうか。まず1服つけてふり返ってみる。
 意外に遅い。昭和33年〈1958〉。19歳のみぎり。初めはラッキーストライク・キャメル・ピース。これらは両切りの煙草。やがてフィルター付に魅せられてバイスロイをポケットに入れていた。さらに沖縄でも煙草会社がつぎつぎと新製品を発売し[島内産愛用運動]が展開されるに至ってピンク・うるまを吸い、はたまた国産のハイライト・マイルドセブンに鞍替えした後、現在のキャビンウルトラマイルドに落ち着くまで、実に50余年の遍歴をしている。
 2010年9月まで300円だったキャビンは、愛煙家に何も相談もなく410円に値上げされて2ヵ月が過ぎた。それでも、ため息とともに紫煙を吐き出している私は、時代に逆行しているのだろうか。
 「時代に取り残されてもいい。この1箱とは一生つき合っていこう」
 そう決意をして新たにし、手にした煙草の箱を見ると表には『喫煙はあなたにとって脳卒中の危険性を高めます。疫学的な統計によると、喫煙者は脳卒中により死亡する危険性が非喫煙者に比べて、1.7倍高くなります』(詳細については、厚生労働省のホームページをご参照ください)の文字が見え、裏にはひときわ文字が大きくなり『人により程度は異なりますが、ニコチンにより喫煙への依存が生じます』と記されている。[日本国の厚生労働省は、ここまで私の健康に気を遣ってくれるのか]と感涙する反面、[煙草をやめろッ!さもなくば死ぬぞッ]と、脅迫されているようにも受け取れる。
 ちなみに私の喫煙量は、9月までは1日40本。アルコールが入ると60本から70本だったのが、10月の値上げ以降は25本から30本にするよう[努力]をしている。日本国民として、多少は時流に従うのも義務ではないかと思い至ったからである。

 琉歌を1首。
 “煙草吹ち馴りてぃ 酒ん飲み馴りてぃ 姉小懐に 手入り馴りてぃ
 〈たばく ふちなりてぃ さきん ぬみなりてぃ アバぐぁ ふちゅくるに てぃ いりなりてぃ

昔の狂歌だから主人公は14.5歳ころの少年だろう。
 歌意=まずは、親の目を盗んでの喫煙が習慣性になり、そのうち酒を覚えた。そこまでは周囲の奨励もあってすっかり大人気分になり、つぎのネーチャンのふところに手を差し入れる所業は、自ら会得するようになった。
 少年から青年に成長していく過程には煙草・酒・懐と1歩1歩、着実に行進しなければならない[花道]があるようだ。
        写真:オキナワグラフ転写
 
 今日的喫煙事情を考えてみるに理由はともあれ、すっぱりとやめる禁煙。経済的観点からの節煙。両者が実行できるかどうか様子を見る休煙。この3つの選択技がある。
 いまの私には[すっぱりと禁煙]をする勇気はない。公共の場や会社などでは、もう堂々と紫煙を楽しむことはできなくなったにしても、人目をはばかりコソコソ吸うのは不本意この上ない。[禁煙]とされる場所では、すっぱり禁煙。そうでないところでは、犯罪者のように逃げ隠れせず正々堂々、胸を張って[愛煙家の誇りを示す]をモットーにしている。したがって[節煙]くらいはできるだろう。しかし、様子見の[休煙]は、優柔不断過ぎて、私の煙草哲学に反する。また、実行する気もないし考えに入れたくもない。
 ただひとつ。前記の琉歌の下の句“姉小懐に手入り馴りてぃ”の現実が目の前にあり、その女性から[おやめになったら]と、やんわり声を掛けられたならば[休煙]できるかも知れない。
 とまあ、年甲斐もなく楽しい想像を巡らせながら、また1本に火をつけて筆を置く。