旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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遺稿*琉歌・恋歌の情景=船越義彰

2007-06-07 13:50:27 | ノンジャンル
★連載NO.291

 昨年師走の朝。
 「船越先生から電話よっ」
 階下からカミさんの声。夜ふかしのせいの寝ぼけ眼のまま2階小<にーけーぐぁ。2階小部屋>を降りて電話に出る。
 「琉歌の中の恋歌を集めて評釈してみたいんだ。八重山の(与那国しょんかね)に出てくる地名(ヤディク)は、どんな漢字を当てているのかね。ん?屋・手・久・・・・フンフン。そうかい。ハイハイ!ニフェードー<アリガトウ>」
 電話は一方的に切れた。
 船越義彰<ふなこし ぎしょう>
 愛称<童名>・タロー。後輩たちは「タローっちー=太郎兄貴」と呼んで親しんだ。タローっちーは、大の電話好き・・・・いや(電話魔)だったことは有名。そして、自分の用が済めば、あるいは、話のネタが尽きそうになると、こっちの都合なぞ気にもとめず、一方的に電話を切る(特技)の持ち主だった。(・・だった)と、過去形になるのは、2007年3月5日午前1時20分。急性肺炎のため、入院中の那覇市立病院で亡くなったからだ。
 大正14年<1925>3月10日、那覇市生まれ。中野高等無線電信学校卒。戦後、琉球政府広報課長・琉球電信電話公社秘書課長・同副参事などを経た後、それまで続けていた文筆活動に専念。昭和57年<1983>には、特集「きじむなあ物語」で第5回山之口獏賞を受賞。沖縄タイムス芸術選賞<小説>、沖縄県文化功労賞、琉球新報社賞<文化功労>など多数受賞。著者「なはわらべ行状記」「狂った季節」「スヤーサブロー」「遊女たちの戦争」「戦争・辻・若者たち」等々。それらは、
沖縄の作家・詩人ならではの視座で著された作品ばかりだ。
 琉球政府時代、沖縄タイムス紙に連載された「青い珊瑚礁」「成化風雲録」は、琉球放送ラジオが連続放送劇化。殊に「成化風雲録」では私奴「風根丸」という主人公を演じさせてもらった。俳優津嘉山正種も共演。42年前のことだ。以来、何かにつけて気にとめていただいたタローっちーだったのだが・・・・・。

 「歌は理屈ではありません。心の波動を感性が言葉にし、声に乗せて伝えるもの。それが歌(詩)です」
 茶色にクロトンの葉1枚で装丁された船越義彰著「琉歌・恋歌の情景」は、5月15日ニライ社から出版された。目次=①夢のつれなさや<29首>。②夢のゆくえ<27首>。③かなし面影<27首>。④しほらし思無蔵<13首>。仲風<7首>。著者詠歌・慕情<うむい・15首>。273ページに118首が呼吸している。しかし、タローっちーは、労作を手にすることなく逝ってしまった。
 「はじめて、わたしの水彩画を挿絵に使ってくれたのよ」
 そう弘子夫人は語っているが、夫婦婦随のお二人だっただけに、6枚の挿絵が(恋歌)とともに心に染みる・・・・。

 戦後の沖縄文学界を共に拓いてきた芥川賞作家大城立裕氏は「琉歌・恋歌の情景」の書評に記している。
 「・・・・(船越義彰は)叙情と理論をあわせそなえた詩人であった。・・・・いまにも電話で(この1冊について)語りたい思いがする。
 “思い寄らん遺言 読めば肝あまじ 後生にこの思い届けぶしゃぬ”」
 と、追悼の琉歌を詠んで添えている。
 また、芸能研究家崎間麗進氏は、
 「同じナーファンチュ<那覇人>で、会うとナーファグチ<那覇口。方言>でしか話さなかった。昔の那覇を語れる人がいなくなり、寂しい・・・・」
 と、嘆いた。

 タローっちーは、イユ ティンプラー<魚のてんぷら>が好物だった。
 (アシビーがくーわ=遊びにおいで)の誘いを受けたり、教えを乞うために那覇市三原のお宅に押しかける際、近くの「糸満屋」に立ち寄ると、そのてんぷら屋のおばさんも心得ていて「船越先生んとこで食べるんですね」と、シーブン<おまけ。余分>を5,6個もつけてくれた。
 先輩同輩に思われ、後輩に慕われたタローっちー・・・・。いまさらながら(少年がそのまま大人になった人)のように思えてならない。
 文学とはほど遠いところにいる私ではあるが近々、ティンプラーを持って行って、仏壇に供え、弘子夫人と(噂供養)をすることにしよう。


次号は2007年6月14日発刊です!

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