2009 07 25(土)
信州の古刹・真楽寺で行われる龍神まつりを見物に長野県の御代田町塩野に・・・。
御代田町は避暑地で有名な軽井沢に隣接する場所なので夏場も爽やかな気候。
25日の当日も晴天にもかかわらず、気温は25℃。半袖でも長袖でもOKな最適な天候です。
御代田町の北に位置する真楽寺には御代田駅からシャトルバスが頻繁に往復して「龍神まつり」の見物客を送迎していました。
環境に悪いと云われる車を真楽寺より500m程下に路上駐車してから爽やかな田園地帯を徒歩で寺へ向かいました。
小さな石造りの太鼓橋を渡ると真楽寺の山門になる「仁王門」が最初に出迎えてくれました。
萱葺き寄棟造りの古色蒼然とした仁王門(17世紀)。八脚門の左右には当然ながら仁王様(金剛力士像 室町時代 1395年造)が不心得者を見張っています。
仁王門の天井には「浅間山」と書かれた大きな扁額。
前方の境内ではナニヤラ青い巨大な怪物が・・・。
近寄って見るととぐろを巻いた巨大な龍。 人物と比べるとその大きさが良く判ります。
これが御代田の“龍神まつり”の主役になる龍神様なのでしょう・・・。
周囲には祭り勢子達が祭りの開始を待っていました。
「第37回 龍神まつり」の開始は午後1時からなので、それまでは真楽寺境内を散策です。
仁王門から続く立派な杉並木の右手には大きな池がありました。
説明板には甲賀三郎伝説に出てくる龍神の棲む“大沼の池”とか・・・。
神秘的ともいえる透明感のある青い池は絶えず浅間山からの伏流水が湧き出し、聖徳太子が立ち寄った折に生長の見事さを賞賛したという「七尋芹」の伝説もあるそうです。(はたして太子が信州の山奥まで来たのでしょうか?)
池の一角には青銅製の龍神様がひっそりと首をもたげていました。
仁王門からの杉並木の突き当たりは急な石階段。
上に建っているのは観音堂(厄除慈母観音堂)。江戸時代初期の寛文5年(1665年)に再建立されました。
観音堂は側面から見ると意外に大きな建物で、入母屋造りの複雑な屋根が人目をひきます。
厄除慈母観音堂の内部。天井からは厄除観音と記した大きな赤提灯。
正面の黒格子の中に慈母観世音が祭られています。
初期の観音堂は源頼朝が42歳の厄除け祈願の為に建てたと伝えられています。
幾つか絵馬が掲げられていましたが、木材を荷馬で運搬している珍しい絵馬、林業が盛んだった頃が偲ばれます。
塩野とはこの御代田地区のことです。営林署があったのでしょうか?
観音堂の左手には鐘楼や石碑などが建っています。
手前の大きな牛銅像は牛供養?・・・同じ信州ですから「牛に曳かれて善光寺」で同じ宗派かも?
境内の一角には松尾芭蕉の句碑。「むすぶより はや歯にしみる 清水かな」
確かに歯に凍みるほど冷たい清水が湧き出していました。
観音堂の右手には端正な姿の三重塔(高さ18m 重要文化財 江戸時代中期の寛永4年創建)
手前の右側に立つ巨樹は神代杉で樹齢1300年の古木です。
樹高15m 目通り9.2m 幹下の中に菩薩坐像が安置されていました。
杉の中央部が裂けているのは1816年の火災の痕とか・・・。
観音堂の左後に真楽寺の本堂。扉が閉められて内陣は拝見できません。
真楽寺の宗派は真言宗で山号は浅間山(あさまさん)。
創建は奈良時代の用明天皇元年(586)、頻繁に噴火を繰り返していた浅間山を鎮める為に鎮火祈願所として建てられました。
奉納絵馬は大願成就の青龍神の絵馬。
本堂の前には「弁慶の腰掛松」がありましたが、筆者が乗っても折れてしまいそうな細い松でしたから何代目かなのでしょうね。
この他にも源頼朝が植えたと伝えられる「逆さ梅」(梅花が全て下を向いて咲く)などの名物もあります。
ここ御代田町の真楽寺は別称「やまゆりの寺」とも呼ばれています。
境内の各所にやまゆりが咲き乱れて馥郁とした香りを漂わせていました。
信州長野県の御代田町に建つ真楽寺は山奥の寺院とは思えない立派な佇まいを見せる名刹。“龍神まつり”の時期ばかりでなく時々訪ねたいお寺です。
次回は御代田“龍神まつり”の本番「龍神の舞」です。
2009 08 05(水) 前橋市 最高気温33.4℃
おまけコーナー。
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