ツトムさん家の写真日記。

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第870回 太田市 生品神社 鏑矢祭 上。

2014-05-20 12:00:00 | 旅行

2014 05 08(木)


北条鎌倉幕府打倒の最大の立役者“新田義貞”が鎌倉攻め挙兵の陣を敷いたので有名な生品神社を訪ねます。
生品神社は平安時代に編纂された「上野国神名帳」に「新田郡従三位生階明神」と記されている古社、国史跡に指定。
天喜年間(1035~57年)、源義仲(新田家の先祖)が奥州征伐の時に戦捷祈願を行ったと伝えられています。
所在地は群馬県太田市新田市野井町646.
 
朱塗りの第一鳥居から境内を進むと、第二・第三鳥居が立てられ、その奥に生品神社の社殿が鎮座。

第一鳥居の内側にあった新田義貞公銅像(右)が2010年2月に盗難、新しい銅像は人目の多い境内前の駐車場に設置。
  
鎌倉の稲村ヶ崎岩頭で波浪を静め潮を引かせる為、家宝の名刀を海へ投ずる新田義貞公。新銅像は2012年5月8日建立。

第一鳥居の奥に三角形の「新田義貞公挙兵 六百五十年記念」碑が置かれ、横には紅い「神橋(かみばし)」も見られます。


第二の石鳥居と「新田公挙兵六百年記念碑」。      山林田畑の寄進記念石碑は珍しい。
 

第二第三鳥居の間には新田義貞公挙兵などに関係する大きな石碑が多数。
  

第三鳥居の手前の手水舎と神楽殿。                       第三の石鳥居を通ると正面に生品神社社殿。 
 

木立に囲まれ、新田一族の幟旗が立ち並ぶ生品神社社殿。 
屋根で風雨から保護されている大きな切り株は神代木
挙兵際この檪(クヌギ)に新田家紋「大中黒旗」(おおなかぐろ)掲げ戦捷祈願したそうですが明治37年に倒木、今は樹脂加工して保存中。
 

本日午前に開催される「生品神社 鏑矢祭」の幟旗が歴史を物語る“生品神社社殿”。
 
軒に掲げられた「生品神社」扁額には陸軍大将 鈴木孝雄の署。
主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと・大国主命)、平将頼(平将門の弟・別称は御厨三郎)の霊も祀られています。

厳かな拝殿内部。                        奉納された「新田義貞公挙兵図」絵馬。
 

拝殿の後ろに鎮座する生品神社本殿。  荒海を静めるため名剣を献じる絵馬。     大正天皇が皇太子時代に訪れた石碑。
  
昔の小学校唱歌「鎌倉」に「七里ヶ浜の磯伝い 稲村ヶ崎 名将の 剣投ぜし古戦場」という歌詞もありました。

社殿の周囲には富士嶽浅間大神や数多くの境内社が鎮座。
 

境内の社務所近くにひっそりと佇むのは”新田義貞公旗挙塚阯”。
 

横に伸びる松樹が特徴の“新田義貞牀几塚”、この場所で牀(床)几(しょうぎ)に腰掛て出陣の采配を振るったとの事。
 

生品神社の「新田義貞公由来書」。


次回は「生品神社 鏑矢祭 下」。


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