ツトムさん家の写真日記。

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第413回 新潟県長岡市栃尾 秋葉神社総本社 本殿。

2009-03-31 18:22:00 | 旅行

2009 03 08(日)

栃尾の秋葉神社拝殿の参拝を済ませてから、後方にある本殿(奥の院)へ・・・。

秋葉神社本殿(奥の院)は鉄骨造りの堅牢な建物(鞘堂)の中に囲われ保存されています。
 
中に入れませんので、鉄製の防護ネットの網目から中の本殿を覗き見しました。

正面の唐破風上部に飾られたのは威風堂々とした鷹の彫刻

この秋葉神社本殿は弘化年(1846年)に完成。
その後、安政年間に豪華な彫刻が土台から破風に至るまで丹念に施されました。

本殿(奥の院)正面向拝の透かし彫りの細密さには驚かされました。
向拝に入念に彫られた「子引き龍」は一分に隙も無く、圧巻と云うほかありません。

袖棟木にも鳳凰が上下に丹念に彫刻されています。

見事な彫刻ですが殆ど彩色がありません、辛うじて残っていたのが獅子や龍の口の朱色だけ。長年の風雨に曝されて他の色は剥落したのでしょうか?それとも白木彫りなのでしょうか?

獅子頭からの髭毛浮き彫りの繊細さにご注目。
 
軒下には威嚇する獅子と今にも飛び掛らんとするの彫り物が並び、本殿を守護する形相が見事です。

秋葉神社本殿の東面の腰長押(こしなげし)の上には厚さ24cm欅の一枚板を彫り出した大きな彫刻が見られます。

烏天狗たちが酒盛りをしているユーモラスな構図です。 
彫刻の右下では酒甕から酒を酌んでいる烏天狗の様子も見られます。
中央の烏天狗が山に登ってくる人を発見!

南面では羽団扇を持った大天狗(右)の面前で若武者(左上)と烏天狗達が武術の試合をしている彫刻が見られます。

若武者(牛若丸?)跳躍しながら烏天狗と闘っている様子が生き生きと描かれていまます。

本殿(奥の院)西面の彫刻は烏天狗たちの敗北した図。

を担いで早々に退散する烏天狗の様子が面白いです。
本当に精密に彫り込み、物語性のある素晴らしい彫刻作品。

本堂の床から土台にかけてもいろいろな彫刻が施されていました。

波間に戯れる鳥や動物などの一瞬の動きを捉えてリアルに表現している床下の彫刻。

これらの彫刻群は江戸雑司が谷の彫師・石川屋安兵衛と武州熊谷の名匠・小林源太郎の二人により、安政年間に年の歳月を費やして彫られたと伝えられています。

石川屋安兵衛雲蝶と号し、二十歳の頃には彫刻の奥義を極めたと言われた天才彫師で、その後は越後で神社仏閣の彫刻に腕を奮い晩年まで過ごし、越後新潟を代表する彫刻師になり越後の左甚五郎と呼ばれるようになりました。

秋葉神社が建つ一帯は秋葉公園に整備され、幾つかの平和祈念碑などがあります。
秋葉神社境内の奥に大きく立派な銅像が・・・。

上杉謙信公の威厳に満ちた坐像です。 
新潟越後の武将といえばやっぱ謙信公ですよね。
謙信公14歳のとき栃尾に入城し、この地を拠点にの旗印を押し立てて越後を統一し、武田信玄と並び戦国時代を代表する武将になったのです。

上杉謙信公の銅像を拝顔しているとの真髄を教えられる感じがしました。

謙信公の近くには俳句や歌碑などもあります。

左下の古びた石碑は松尾芭蕉の俳句碑。
句碑には「此のあたり 目に見ゆる物は みな涼し」と刻まれています。
芭蕉句碑は天保14年(1843年)に俳句連の夜梅庵(よばいあん)連中の人達によってこの地に建てられたそうですが、夜梅庵とは・・この栃尾には夜這いの風習があったのでしょうか?
 
石積みにの上に載った石碑は遠山夕雲の歌碑で碑文には「やすらぎの 心静けし夕月に 河鹿の鈴の 澄み透りつつ」とありました。
夕雲の本名は遠山運平。栃尾に教師として赴任し、浪漫主義短歌の歌人として頭角を現したそうです。

秋葉神社の建つ秋葉公園から200m程上がった場所(七曲り山)に栃尾美術館があり、その横に上杉謙信公を奉った見晴らしの良い場所があります。
自動車道路から栃尾美術館までNHKの大河ドラマ「天地人」の幟旗が風にたなびいていました。
旗のサブタイトルには“義の心を育んだ地 栃尾” “直江兼続の師 上杉謙信”と・・・。
 
栃尾美術館の脇には“”によって川中島で奮闘する上杉謙信公の銅像。
世の中には金や物よりも尊いものがある事を教えられます。 読者の皆様も“”と“”を座右の銘にしては如何でしょうか・・・。

謙信公銅像の奥に進むと、ささやかな御廟と僧墓が見えてきます。


右手の一段高い御廟は上杉謙信公をお奉りしている石廟。
後ろの小高い山に謙信公が青年期(14~18歳)にいた栃尾城がありました。

左の無縫塔(むほうとう)と呼ばれる禅宗形式の石墓は門察和尚のお墓。
文亀元年(1501年)に越後高田生まれた門察和尚は謙信公幼少期の教育を司り、その後も68歳(1566年 永禄11)で亡くなるまでブレーンとして謙信公を支えた古刹・瑞麟寺の名僧です。

栃尾美術館のある七曲り山からの眺望。 白い雪を頂くのは1537mの名峰・守門岳

美術館や秋葉神社があり、市民の憩いの場となっている七曲り山からは栃尾市街が一望することが出来ました。

次回は栃尾名物に魚沼市守門地区の目黒邸と佐藤家住宅。
2009 03 31(火)  前橋市  最高気温14℃

おまけコーナー。

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