ツトムさん家の写真日記。

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第1053回 那珂湊 反射炉 水戸藩

2017-05-26 12:00:00 | 旅行

2017 05 02(火)


茨城県ひたちなか市栄町のあづまが丘公園にある江戸時代末期に建設された那珂湊反射炉の見学。
見学順路は図の下部の山上門から右の無縁堂を眺めながら石段を上って中央広場、そして図上部の登り窯を見て、石碑を経由して反射炉へ・・・。


水戸藩の江戸小石川邸にあった山上門を昭和11年に那珂湊のこの地に移築、江戸時代後期に建てられた薬医門。

石段下の石碑は「山上門建設之由来」碑。刻まれた碑文は下の説明文とほぼ同じ内容。



八重桜が満開の季節、反射炉址の公園は八重桜の名所なのかも・・・。 夜には無縁仏が幽霊になって出没するような荒れ果てた無縁堂
 

公園の南隅の斜面にうねった大蛇の如く長く横たわる登り窯、後方は那珂湊高校の校舎。


反射炉での製鉄のため高熱に耐えるレンガを焼いた登り窯なのです。




この横穴から煉瓦や燃料材を出し入れしたのでしょうか? 上部の丸い穴は煙突か?


反対側には何もありません。



幕末の水戸藩が攘夷で外国船を打ち払うため必要とした西洋式大砲を製造するための鉄を鋳造した反射炉
幕末の反射炉は伊豆・薩摩・佐賀・江戸・水戸・萩・島原・鳥取など全国で8ヶ所建設されました。
関東では伊豆代官・江川英龍が作った伊豆韮山の反射炉も有名です。


大正五年十二月に建立された「反射炉遺址碑」。    白亜の教会を連想させる反射炉の煙突部。(地上高15m、昭和12年復元)
 

反射炉の前に展示された大砲は、この反射炉から製造された大砲は江戸幕府に20余門献上され、江戸湾の台場砲台などに据え付けられたそうです。


東西2塔の反射炉の間に鎮座するのは日露戦争で活躍した元帥侯爵・東郷平八郎の絶筆になる「護 国」を題字にした建築記念碑。



病臥中の東郷閣下が烈公(水戸藩第九代藩主・徳川斉昭)の偉業を称え「護 国」の額字を贈りましたが、これが東郷元帥の絶筆になったそうです。

深作貞治氏が荒廃した反射炉跡地(吾妻台)を買収し、反射炉を再建したのは昭和12年8月、素晴らしい篤志家ですね。

この反射炉は明治維新の4年前の元治甲子の乱で破壊され、昭和12年に原型どうりに復元されました。


床に設置されたドーナッツ状の物体は何なのか不明です。


反射炉の裏側から見たの内部。内側は全て耐火煉瓦で覆われています。
 

反射炉は燃焼炎を炉の内側で反射させた高熱の輻射熱で鉄を溶かし、高品質な鋳鉄を製造する製鉄装置。(直火では鉄が酸化)
 

東日本大震災の痕跡もなく、昔の姿を今に伝える那珂湊の反射炉。存在感たっぷりな美しい歴史的建造物です。(茨城県指定史跡)
 




2017 05 26(金)記。     前橋市      最高気温 19.4℃    最低気温 16.6℃


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