諸人の命にかへて己が身の
散るを厭はず別所長冶 樋田哲仙
播磨の国三木城址を訪ねた。城主別所長冶は秀吉の毛利討伐の助勢を求められたが、拒否して抗戦となった。2年の篭城戦も、遂に抗しきれず。自刃の際部下の命乞いをしてわが身の落命とした。若干22歳の辞世は「今はただ恨みもあらじ諸人の命にかへる我が身とおもへば」を残し、自然石の歌碑が建つ。石垣も濠もない小藩であったが、今も、三木市民の敬愛の念は消えていない。
散るを厭はず別所長冶 樋田哲仙
播磨の国三木城址を訪ねた。城主別所長冶は秀吉の毛利討伐の助勢を求められたが、拒否して抗戦となった。2年の篭城戦も、遂に抗しきれず。自刃の際部下の命乞いをしてわが身の落命とした。若干22歳の辞世は「今はただ恨みもあらじ諸人の命にかへる我が身とおもへば」を残し、自然石の歌碑が建つ。石垣も濠もない小藩であったが、今も、三木市民の敬愛の念は消えていない。