宇土半島の南にある戸馳島に天草からの帰りにちょっと寄った。高校一年の春休みに行って以来だから何十年ぶりだろう??クラスメートに戸馳島の人がいて、彼の家に行くことになったのだった。高校時代はこういうクラス行事が多かった。仲良し同士で行くのではなくクラス全員で計画していくのだ。もちろん全員参加ではなかったと思うけれど、生徒だけで計画していくキャンプや遠足は少し大人になったような感じで楽しかった。
さてその高校時代、戸馳島は橋でつながっておらず三角港まで鉄道で行ってそこから船に乗って渡してもらった。(と思ったが、戸馳島にかかる橋は1973年には開通していたらしい。ということは大人数だったから輸送しやすい船に乗ったのか???)今は立派な戸馳大橋という橋ができていた。花の栽培が盛んなようで、フラワーロードとかいう名前の道があった。父の車は横井迦南の句碑のある海水浴場を目指していた。若宮海水浴場である。
海水浴場はきれいに整備されていた。対岸の八代が間近に見えた。八代外港のキリン(クレーン)や八代市街地にある製紙工場の煙突の煙もハッキリ見える。八代が見えると何だか急に懐かしい。この角度から見たことはないが「故郷」という感じがする。
若宮海水浴場 松橋方面
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八代方面
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八代の十条製紙の煙がよく見える。
あ、いまは日本製紙になってるんだっけ。
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海水浴場にある横井迦南の句碑
「不知火」を見る人々の様子を詠んだらしい。
これをみて、母が八代の方から「不知火」を見た話をしてくれた。
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戸馳神社
銀杏の散り落ち葉がきれいだった。
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境内にある仁王石像
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元文三年(1738年)とある。
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島ではほとんど住民を見なかった。橋ができて便利になったら逆に人口流出するというのは日本各地で発生している現象で、ここも例外でないのだろう。
今はどうなのか知らないが、私の高校時代は戸馳島のような熊本市外から市内の高校に入るのは相当成績優秀な人に限られていた。5%枠とか言ったっけ?クラスに1〜2人くらいの郡部出身者がいて皆高校生専門の下宿屋から通っていた。
今にして思えば、高校一年の春休みの戸馳島訪問は、彼の親御さんの思いで実現したのだろう。かわいい息子が15歳で親元を離れるとき相当心配だっただろう。町の暮らしになじめるか?クラスメートたちは息子と仲良くやってくれるだろうか。でも彼は明るい性格で楽しく学校生活を送っていた。1年が無事におわったとき「友達を島に呼びなさい。クラス全員でもいいぞ」という話になったのではないだろうか。
島で何をやって遊んだとか全く覚えていないのだけれど、ご両親に歓迎してもらって、帰りに花をたくさんお土産にもらったことを覚えている。戸馳島は花の栽培が盛んな島、クラスメートの家も花を育てていた。
卒業以来一度も会っていないが、教師になったと聞いている。職場はうちの実家の近くのはず、ばったり会ったらわかるだろうか。
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