キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

蒲田区の戦災

2012年04月13日 | ☆読書
いまNHKの朝ドラで「梅ちゃん先生」というの、やってますね。
終戦直後の焼け跡の蒲田が舞台です。
茨城県高萩市に広大な焼け跡のセットを作って撮影しているのだそうで、その出来に毎回感心しています。

さて、そんな中で興味が湧いてきたのが、

「蒲田ってどのくらい空襲の被害があったんだろう?」

ということでした。


いろいろ調べていたら、昭和21年9月に発行された「コンサイス東京都35区分地図」に戦災消失地区が詳細に書かれていると知り、図書館で借りてきました。

蒲田区(現在の大田区南半分)の地図はこの通り。

クリックで拡大します。

ピンクに塗られているのが焼失地域
緑が建物疎開地域

蒲田区では約8割の家屋が焼失したそうで、確かに地図上でもピンクの地区だらけです。(今私が住んでいる土地もピンク色でした。)池上駅の南側が白く見えるのは、焼けていないからではなく、蒲田区ではないからです。(そのわりに道路は詳細に書かれていますね)

蒲田区で焼失していない地区のひとつが「下丸子」の工場群です。
三菱重工の戦車工場などがあったそうですが、ここは燃えていません。
軍需工場って真っ先に狙われそうですが、ここは研究の余地がありそうです。
爆弾落ちたけど燃えなかったのかな?


戦災の記録とともに、古い地名、学校、工場名などもあり、興味は尽きません。
それにしても昭和21年の9月にこういった地図が出版されていたとは、ちょっと驚きました。販売価格は25円だったそうです。

2 コメント

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胸が痛みますね。 (パパらっこ)
2012-04-16 09:04:14
梅ちゃん先生、私も毎日録画して見ています。
セットの見事さ、私も感じてました。普段は
画質の悪いモノクロ写真でしか知る事が出来
ない終戦直後の風景を、より明瞭に見せて
くれるだけでも、受信料払ってる価値アリ(笑)

でも、この消失した8割の家屋にも当然人が
いた筈。これだけ広範囲が焼かれるとしたら
避難も出来たもんではないでしょう。

戦禍の凄まじさ、刻んでおかないと、ですね。
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パパらっこさん (YOKO)
2012-04-16 11:38:40
コメントありがとうございます。
この蒲田区の空襲のことはちゃんと知らなくて、ほとんど焼け野原になったことを梅ちゃん先生のおかげで知りました。(それだけでも受信料払ってる価値あり?)

3/10の空襲のことは10万人という被害者数も桁外れに多く、いろいろなところで目にすることも多かったのですが、蒲田の空襲は焼失面積のわりに、死者が少なく(1説には4000人)、じゃあ皆どうやって逃げたんだろう、ということに興味が湧いています。
もちろん、死者の多い少ないではなく、こういうこと自体が許されないことですけどね。

でも同じ土地の上に住んでみると、もしまた大災害が起きたとき(東京で一番恐いのは、地震による火災)どこへ逃げたら助かるんだろう、1945年よりもきっと住宅がもっともっと密集しているはずですしね。そういう観点でも、空襲の証言などに当たってみたいと考えています。
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