台湾には戦前たくさん日本人が住んでいて、たくさんの日本家屋が建てられていました。戦後日本人が引き上げてしまったあと、それらの家屋は空き家になりましたが、その頃大挙して台湾へやって来た国民党軍関係の人たち(いわゆる外省人)に使われることになりました。
以前の台湾映画で外省人家族が描かれると、日本家屋に住んでいる描写が多くあります。
そして、70年の年月が過ぎ、台湾の日本家屋はどんどん少なくなりました。私が台湾に通い始めた20年くらい前は、住む人のいなくなったボロ屋だらけの一角が再開発を待って立入禁止になってるとかそういう景色がいろんなところに見られましたが、今はビルが建ったりしてすっかり景色が変わりました。
でも、中にはその建物を残そうという人たちが現れ、民家がカフェやレストランに改装されたりしています。日本家屋に限らず、台湾の人たちは古いものを残そうという意識が強いように感じます。古いところだと、「紫藤盧」という茶芸館が有名でしたね。何度か行ったことあります。
そして、ここ「青田七六」は最近(2011年)整えられた日本家屋を利用した和食店だそうです。名前の由来はズバリ住所。青田街七巷六号にあるからですね。
大安森林公園の西側、和平東路の北側で、台湾大学に近く、もともとは日本人の大学教授足立仁氏、そしてその後は中国から来た大学教授馬廷英氏の宿舎となったんだそうです。
家は昭和の和洋折衷の作り、玄関、を入るとすぐ左手に応接室、食堂、書斎が配置され、書斎の隣に子供部屋、ここまでが全部洋間です。子供部屋の奥に、畳敷きの和室が二間あります。
また、玄関脇に女中部屋、トイレ、台所が配置され、庭には応接室から出られるテラスが作られていました。
応接室
食堂
書斎
子供部屋
座敷
欄間
女中部屋
台所
トイレ!
廊下というか広縁でしょうか。
裏庭
テラス
素敵な家ですね。
ここに戦後何十年も住んだ中国から来た学者さん時代にいくらか改築されてるんじゃないかなとも思うのですが、和室をそのまま使っていたんでしょうか??
店内に掲示してある略歴を見たら、戦前に日本留学の経験のある人のようなのであるいは畳の部屋もそのまま使ったのかもしれませんが。(あとで調べた話によると、この馬廷英教授の奥様は日本人だったそうで、この家にずっと住まわれていたようです。)
この建物を保存しようとした人は当初、周りの人から「こんな、たかだか70年くらいの建物、歴史的価値なんかないじゃないか、中国には何千年の歴史があるんだし」と言われたそうですが、これからの未来に価値が出て来る、今壊してしまったら、ゼロになる。と思って頑張ったそうです。
日本家屋は日本でも貴重になってきてるし、こうやって残してもらえるのはありがたいことだと思います。
この家で育った日本人の子孫も訪れたそうです。幸せだったでしょうね。
ここはレストランであるとともに、文化財として保存されているので、部屋に説明パネルなどもあります。その中で「ハッ」とさせられた話。
◆神棚
私が通されたのは食堂でした。
そこには神棚がありました。黒く塗られていたので、はじめはただの棚だと思いました。
説明文にこう書かれていました。意訳。
「この家のもとの持ち主はクリスチャンで、もともとは神棚のない家だった。しかし、第二次大戦末期、総督府の命令により、各家には必ず神棚を作り国難を乗り切るべく拝むようにということで神棚が作られた。」
人々の心の中に政治が踏み込んでくる。戦争中の非人道的行為は色々聞いてきましたが、また一つ実感する出来事でした。
戦前のような政治体制や社会体制に戻してはいけませんね。台風くるからとか無関心に選挙に行かないと、知らないうちにこういう内心に踏み込む政治を許してしまうことになるかもしれません。選挙に行かなくては!
話を戻して。
このレストラン、従業員がたくさんいました。かなりだぶついている様子。お陰で、ザービスはすごく良かった。安い店ではないけど、客数に対して従業員多すぎじゃ??余裕があるんだな、羨ましい~。
午後茶セット。
税サ別で390元だったかな?
玄関を入ると、靴を脱いで上がるんですが、なぜが靴下が売られていました。
私は靴下はいていたから買いませんでしたが、床板を守るために裸足での入場お断りだそうで、靴下を売ってるのだそうです。徹底してる!
公式サイト(日本語)
以前の台湾映画で外省人家族が描かれると、日本家屋に住んでいる描写が多くあります。
そして、70年の年月が過ぎ、台湾の日本家屋はどんどん少なくなりました。私が台湾に通い始めた20年くらい前は、住む人のいなくなったボロ屋だらけの一角が再開発を待って立入禁止になってるとかそういう景色がいろんなところに見られましたが、今はビルが建ったりしてすっかり景色が変わりました。
でも、中にはその建物を残そうという人たちが現れ、民家がカフェやレストランに改装されたりしています。日本家屋に限らず、台湾の人たちは古いものを残そうという意識が強いように感じます。古いところだと、「紫藤盧」という茶芸館が有名でしたね。何度か行ったことあります。
そして、ここ「青田七六」は最近(2011年)整えられた日本家屋を利用した和食店だそうです。名前の由来はズバリ住所。青田街七巷六号にあるからですね。
大安森林公園の西側、和平東路の北側で、台湾大学に近く、もともとは日本人の大学教授足立仁氏、そしてその後は中国から来た大学教授馬廷英氏の宿舎となったんだそうです。
家は昭和の和洋折衷の作り、玄関、を入るとすぐ左手に応接室、食堂、書斎が配置され、書斎の隣に子供部屋、ここまでが全部洋間です。子供部屋の奥に、畳敷きの和室が二間あります。
また、玄関脇に女中部屋、トイレ、台所が配置され、庭には応接室から出られるテラスが作られていました。
応接室
食堂
書斎
子供部屋
座敷
欄間
女中部屋
台所
トイレ!
廊下というか広縁でしょうか。
裏庭
テラス
素敵な家ですね。
ここに戦後何十年も住んだ中国から来た学者さん時代にいくらか改築されてるんじゃないかなとも思うのですが、和室をそのまま使っていたんでしょうか??
店内に掲示してある略歴を見たら、戦前に日本留学の経験のある人のようなのであるいは畳の部屋もそのまま使ったのかもしれませんが。(あとで調べた話によると、この馬廷英教授の奥様は日本人だったそうで、この家にずっと住まわれていたようです。)
この建物を保存しようとした人は当初、周りの人から「こんな、たかだか70年くらいの建物、歴史的価値なんかないじゃないか、中国には何千年の歴史があるんだし」と言われたそうですが、これからの未来に価値が出て来る、今壊してしまったら、ゼロになる。と思って頑張ったそうです。
日本家屋は日本でも貴重になってきてるし、こうやって残してもらえるのはありがたいことだと思います。
この家で育った日本人の子孫も訪れたそうです。幸せだったでしょうね。
ここはレストランであるとともに、文化財として保存されているので、部屋に説明パネルなどもあります。その中で「ハッ」とさせられた話。
◆神棚
私が通されたのは食堂でした。
そこには神棚がありました。黒く塗られていたので、はじめはただの棚だと思いました。
説明文にこう書かれていました。意訳。
「この家のもとの持ち主はクリスチャンで、もともとは神棚のない家だった。しかし、第二次大戦末期、総督府の命令により、各家には必ず神棚を作り国難を乗り切るべく拝むようにということで神棚が作られた。」
人々の心の中に政治が踏み込んでくる。戦争中の非人道的行為は色々聞いてきましたが、また一つ実感する出来事でした。
戦前のような政治体制や社会体制に戻してはいけませんね。台風くるからとか無関心に選挙に行かないと、知らないうちにこういう内心に踏み込む政治を許してしまうことになるかもしれません。選挙に行かなくては!
話を戻して。
このレストラン、従業員がたくさんいました。かなりだぶついている様子。お陰で、ザービスはすごく良かった。安い店ではないけど、客数に対して従業員多すぎじゃ??余裕があるんだな、羨ましい~。
午後茶セット。
税サ別で390元だったかな?
玄関を入ると、靴を脱いで上がるんですが、なぜが靴下が売られていました。
私は靴下はいていたから買いませんでしたが、床板を守るために裸足での入場お断りだそうで、靴下を売ってるのだそうです。徹底してる!
公式サイト(日本語)
良かったですね。ああいう古いものは残そうと思っても、もうその時代の工法が伝承されていなかったり、材料が手に入りにくかったりいろいろなご苦労がありそうですね。ひとまず、修復されるとのことで良かったです。
台湾の日本家屋や日本時代の様々な建築物については、若い人たちが関わって残そうとしていると感じます。植民地時代と思えば彼らにとっては負の遺産だと思うのですが、もう彼らはそういう狭い観点に立ってないのかもしれません。親日とかそういうのとも違うな、と最近感じています。
日本語には定着してませんね。
喫茶タイムとか、カフェタイムとか、アフタヌーンティーとか、店によって言い方マチマチですよね?
こちらは幕末から明治にかけての庄屋造りという様式で青田七六とは趣を異にしますが、文化財というところは同じです。
日本住宅に神棚は当たり前ですが、キリスト教徒には耐えがたいことだったでしょうね。
そこに平気で踏み込んで来る体制を許してはいけないですね。