今会社です。
朝から通常出勤しましたが、仕事にならないため午後から閉めることになりました。
昨日午後3時前、半地下の事務所で仕事をしていたところ、揺れを感じました。
このところしょっちゅう地震があったので、
「またいつものだな」と思って、出入り口を開けに行きました。
ガラス戸を開けて、棚のそばを離れて、揺れが収まるのを待ちましたが、
いつもと違って、一向に収まらず、むしろどんどん揺れが大きくなり、揺れる飛行機のようでした。
心臓の鼓動が速くなり、パニック障害の発作が出そうないや~な感じでした。
それでも事務所で同僚と一緒だったので、比較的落ち着いてました。
きっとどこかで、大きな被害が出てるに違いないと思いました。
ますますいやな汗を感じました。
電話は通じなくなりましたが、ネットはつながっています。
有線放送をNHKラジオに切り替えました。
家族とはツイッターで安否を確認しました。
ツイッターでいろいろな情報がわかりました。
リアルタイムで各地の情報がわかるのはとても心強かった。
メールは遅延があるようで、営業先に出かけた社員一人とは連絡が取れません。
社長も外出中でしたが、そのほかのメンバーは皆社内にいたので一安心。
それからはずっと、ラジオとネットの情報を皆で見ていました。
テレビはありませんが、UストリームでNHKを見ることができました。
実家でも心配してると思い、母の携帯にとりあえずメール。
いつもブログを見てくれているので、ブログにも「無事」の報告をしました。
東京より被害が大きな地区があるのはわかっているので、そちらを優先しなければと思い、どこにも電話はかけませんでした。
また、台湾など海外の友人たちも心配してくれてメッセージを送ってくれたので、フェイスブックで無事の報告。津波は台湾にも及ぶとのことでした。
海外のお客様からも心配するメールをいただきました。
会社は世田谷区の住宅街にあるため、都心のような騒ぎには全くなっていません。コンビニもいたって普通通り。
郵便配達、ヤマト、佐川などの集荷、アスクルの配達などいつもどおりでした。
電車が動いていないことは分かったので、近所のタクシー会社に行ったてみた人もいましたが、案の定全車両出払っている状態。
社長が車で戻ってきて、横浜方面の人は社長の車で帰ることになりました。
遠方から来ている人は、帰宅をあきらめ、会社に泊まることを決意して食料を買出し。
私一人は自転車で帰れるので、いつもどおり帰宅することにしました。
幹線道路は歩いて帰宅する歩行者の行列ができていました。
そしていつもは車のいない裏道も渋滞していました。
途中の踏み切りは遮断機が下りっぱなしだったりなど、いつもとは違う町の状態でした。
自転車で帰る途中、電話がつながるようになったらしく、夫と実家から電話がかかってきました。
「緊急地震速報が出たよ」と教えてくれました。
帰宅途中は、特に危険なこともなく、30分ほどで無事帰ることができました。
家も4階にある割には、物が落ちるなどのこともなく全く無事でした。
テレビをつけると生々しい映像が目に入り、さらに心臓がどきどきしてきました。
明日に備え、早めに休むことにしましたが、精神的な高ぶりでぐったりしているのを自分でも感じました。
一夜明け、いつもどおりに自転車で出勤しました。
駅から出てくる人が多く、いつもの朝とは違う人の流れ。
昨夜帰るときには、暗くて気がつかなかったのですが、通り道の住宅の塀が崩れていました。
よく見ると、庭の石灯籠が倒れて、塀を壊していたのでした。
昨夜突っ込まなくてよかった・・。
天災は怖いです。
被災者の皆さまにお見舞いを心から。
朝から通常出勤しましたが、仕事にならないため午後から閉めることになりました。
昨日午後3時前、半地下の事務所で仕事をしていたところ、揺れを感じました。
このところしょっちゅう地震があったので、
「またいつものだな」と思って、出入り口を開けに行きました。
ガラス戸を開けて、棚のそばを離れて、揺れが収まるのを待ちましたが、
いつもと違って、一向に収まらず、むしろどんどん揺れが大きくなり、揺れる飛行機のようでした。
心臓の鼓動が速くなり、パニック障害の発作が出そうないや~な感じでした。
それでも事務所で同僚と一緒だったので、比較的落ち着いてました。
きっとどこかで、大きな被害が出てるに違いないと思いました。
ますますいやな汗を感じました。
電話は通じなくなりましたが、ネットはつながっています。
有線放送をNHKラジオに切り替えました。
家族とはツイッターで安否を確認しました。
ツイッターでいろいろな情報がわかりました。
リアルタイムで各地の情報がわかるのはとても心強かった。
メールは遅延があるようで、営業先に出かけた社員一人とは連絡が取れません。
社長も外出中でしたが、そのほかのメンバーは皆社内にいたので一安心。
それからはずっと、ラジオとネットの情報を皆で見ていました。
テレビはありませんが、UストリームでNHKを見ることができました。
実家でも心配してると思い、母の携帯にとりあえずメール。
いつもブログを見てくれているので、ブログにも「無事」の報告をしました。
東京より被害が大きな地区があるのはわかっているので、そちらを優先しなければと思い、どこにも電話はかけませんでした。
また、台湾など海外の友人たちも心配してくれてメッセージを送ってくれたので、フェイスブックで無事の報告。津波は台湾にも及ぶとのことでした。
海外のお客様からも心配するメールをいただきました。
会社は世田谷区の住宅街にあるため、都心のような騒ぎには全くなっていません。コンビニもいたって普通通り。
郵便配達、ヤマト、佐川などの集荷、アスクルの配達などいつもどおりでした。
電車が動いていないことは分かったので、近所のタクシー会社に行ったてみた人もいましたが、案の定全車両出払っている状態。
社長が車で戻ってきて、横浜方面の人は社長の車で帰ることになりました。
遠方から来ている人は、帰宅をあきらめ、会社に泊まることを決意して食料を買出し。
私一人は自転車で帰れるので、いつもどおり帰宅することにしました。
幹線道路は歩いて帰宅する歩行者の行列ができていました。
そしていつもは車のいない裏道も渋滞していました。
途中の踏み切りは遮断機が下りっぱなしだったりなど、いつもとは違う町の状態でした。
自転車で帰る途中、電話がつながるようになったらしく、夫と実家から電話がかかってきました。
「緊急地震速報が出たよ」と教えてくれました。
帰宅途中は、特に危険なこともなく、30分ほどで無事帰ることができました。
家も4階にある割には、物が落ちるなどのこともなく全く無事でした。
テレビをつけると生々しい映像が目に入り、さらに心臓がどきどきしてきました。
明日に備え、早めに休むことにしましたが、精神的な高ぶりでぐったりしているのを自分でも感じました。
一夜明け、いつもどおりに自転車で出勤しました。
駅から出てくる人が多く、いつもの朝とは違う人の流れ。
昨夜帰るときには、暗くて気がつかなかったのですが、通り道の住宅の塀が崩れていました。
よく見ると、庭の石灯籠が倒れて、塀を壊していたのでした。
昨夜突っ込まなくてよかった・・。
天災は怖いです。
被災者の皆さまにお見舞いを心から。