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キカクブ日誌(アーカイブ版)

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昔ばなし大学25周年記念秋田大会 前夜祭

2017年05月31日 | └─恩師

先週末、秋田田沢湖へ行ってきました。

この「昔ばなし大学」と言うのは小澤俊夫先生が主宰されている市民大学で、全国にものすごい数の学生がいます。1992年にスタートし、今年で25年。最初の頃の学生さんは、大学院に当たる「研究会」で今も勉強を続けていらっしゃいます。

今回の参加者も全国から500人以上が秋田田沢湖に集結!遠くは石垣島からもたくさん来ていらっしゃいました。

スケジュールは以下の通り。
5/26(金)夜、前夜祭@プラザホテル山麓荘
5/27(土)午後、大会開始@仙北市民会館
全国の昔ばなし大学の代表による自己紹介。小澤先生による基調講演。
夜、交流夕食会@思い出の潟分校
5/28(日)午前、各地の土地言葉による昔ばなし語りの会@仙北市民会館
お別れ昼食会@仙北市民体育館

2泊3日でたっぷり勉強(?)しました。交流って言う方があってるかな。
「昔ばなし大学」受講生でもないのに、おみそで混ぜていただいているので、前々から「何かお手伝いあったらやります!」とお伝ええしていました。~もともとはその日程で勝手に秋田に行って、ちらっとのぞかせてもらったり、お手伝いしたり、と思っていましたが、先生のご厚意で正式の参加者として加えていただきました~
うちの夫はずっと記録ビデオ係。
私は、2日目の受付をお手伝いしました。

去年の7月に大学の同期のメンバーで小澤先生と一緒に田沢湖一泊旅行しましたが、その時にお世話になった地元の方ともほとんど全員と再会できました。(この25周年大会は地元の方の強力なバックアップのもと実現しています。)去年ももてなしていただきましたが、今回は二回目だったのでもっと打ち解けてたくさんお話できました。きっとまた行こう!

前夜祭の様子から。
300人が参加しての前夜祭はホテルの宴会場2部屋使っての立食パーティー。
全国から集まった学生さんたち(女性が95%)が、久しぶりの先生との再会を喜んでいます。お!これは小澤俊夫ファンミか?!25年も続いているので、受講生同士の再会シーンもあちこちで。

私は受講生じゃないのですが、地元田沢湖の方(皆さん実行委員)にご挨拶したり、先生の弟さんとお話したりしてました。お酒も入って場が温まってきてからは受講生の皆さんとも色々おしゃべり。ほんとに全国から集まってます。

研究会などでグループで来てる方もすぐ仲間に入れてくれるし、一人で来てる方もいて、あまりアウェイ感はありませんでした。やはり昔話を語る人たち、おしゃべり好きですね。ヨカッタ。

前夜祭では、先生の挨拶に続き、先生のお孫さん(小学生)の赤ずきんちゃんの語りあり。可愛かった。後半は、コーラス。初めて聞く賛美歌、ラテン語の歌、そしてほたる来い。コーラス好きの先生なので、ここすごく力入ってました。

夫は仕事の都合で途中から参加。来るなりビデオ係を頼まれてました。ご苦労様。












指揮する先生


コーラスも上手な受講生の皆さん


最後にはなまはげ登場!!


いろんな方とお話して興奮して疲れたので、パーティ後は部屋に戻ってすぐ寝支度。でも先生はロビーでお酒飲んでらしたそうです。通りかかった夫が「何だ、もう寝るのか」って言われたらしい。先生ほんとお元気だわ。







恩師を囲んで

2016年11月30日 | └─恩師
夏の田沢湖旅行にも一緒に行った大学の後輩が先生を囲む会を企画してくれました。

先生の研究所に飲み物食べ物を持参して押しかけ、延々呑み続けるという企画。
昼過ぎから始まり、結局終わったの夜11時ごろ。
先生86歳なのに…無茶ですね。



参加できない秋田の同級生からお酒が届きました。
「阿櫻」と横手ワイン。


ずらりと並んだ酒瓶たち・・・
ちなみにこれ全部空です。
場所の問題もあって10人程度だったのに、こんなに飲むなんて!
このほかにビール多数。




今回は同期だけでなく、後輩もいたのでそれこそ何十年ぶりの再会もあり、楽しい話をいろいろ聞けました。
この日、私は途中で抜けて横浜ヘコンサート聴きに行きました。終演後連絡したらまだまだ佳境という感じだったので、また戻って飲み続けちゃいました。
もうお開きにしようと思って9時前に一旦片付けたのに、それまで座ってにこにこ皆の話を聞いていた先生が、やおら立ち上がり、冷蔵庫から酒瓶をもってきて「まだ酒あるぜ」って。
これは付き合わないわけには!

ほんと、先生お元気だなぁ。

今年は恩師に何度も会う機会があって幸せでした。
2/27 品川でちょっとご挨拶
5/2 博多で飲み会
5/24 吉祥寺で講演会
7/9-10 田沢湖一泊旅行
11/27 囲む会

田沢湖と乳頭温泉へ 6

2016年07月20日 | └─恩師
田沢湖一周

「思い出の潟分校」を出たのが2時頃でしたか。
これから田沢湖を見て、5時の新幹線で帰京の予定です。


田沢湖。
日本で一番深い湖。
自然いっぱいで、景色の美しい湖です。



タツコ像

いきなり異国情緒あふれる像が現れます。
これが今の田沢湖のシンボルのようですが‥昔ばなし研究者の先生からみると、ちょっといただけない像だったようです。「日本の女神は裸身では現れない・・・」

タツコ伝説では、むかしこのあたりにタツコという娘があり、美しくなるには水を飲むとよいと聞き、水を際限なく飲み続けているうちに、龍の姿になってしまった。というもの。





戦前の川の付け替えで水質が酸性になり、魚が住まない湖になってしまったことでも知られていますね。「クニマス」がいなくなった話…
今では水質改良を行い、魚はずいぶん戻ってきたらしいです。ちょっと見では水はとてもきれいで、魚がうようよいました。でも、やはりクニマスは見つからないままだそうです。悲しいですね。

途中雨も降ってきたので、昨日行った山のはちみつ屋さんのカフェでコーヒーブレイク。先生が、その昔新設の学校に頼まれて校歌を作った話などを聞いて盛り上がりました。


メンバーの中にマラソンランナーがいたのでとった写真。田沢湖マラソン。

田沢湖駅へ。



田沢湖は韓国のドラマIRISのロケ地になったそうで、ドラマのヒットを受け、ロケ地巡りする韓国からの観光客がどどーっと押し寄せたそうです。 IRISミュージーアムなんてものまでありました。気合入ってる! 観光案内所もマルチリンガル仕様。












新幹線で、東京へ。
帰りの新幹線の中でも話は尽きないのでした。



オマケ。
東京駅についたあと、これまた同期生が働いている駅前のレストランへ。
濃密な2日間になりました。

田沢湖と乳頭温泉の旅 5

2016年07月17日 | └─恩師
鶴の湯をチェックアウトして向かったのは「思い出の潟(かた)分校」
もともと昭和49年に廃校になった小学校の分校校舎を、10数年前に修復して平成16年から一般公開しているところです。鶴の湯のオーナーさんが私財を投じて修復したそうで、なんとも頭の下がる施設なのです。



行ってみると「本日開校中」の札があります。

ちょうど参院選の投票日ということで、体育館は投票所になっていました。
先生の顔で(?)中を見学させていただきました。木造の体育館は合掌造りです。




体育館の床は放置されていた間にデコボコになったそうで、全面張り替えたそうです。
わかります。わたしも去年のGWに、廃校になった母校の小学校をのぞきに行ったら、体育館の床が反ったりデコボコになったりと無残なのを見てきましたもの。
先生は以前から「昔ばなし大学」などの関係でこの潟分校を利用されているらしく、スタッフの皆さん全員と昔なじみのようにお話されていました。


なんとも懐かしい感じがする廊下。
私も小学校低学年の頃、このような木造校舎を経験してます。


見学料は200円です。
その他、維持のための募金箱も置いてありました。少額ですけどチリンと協力。

そして、ここでは予約をしておくとお昼ごはんが食べられるのです。厨房では地元のお母さんたちが腕をふるってました。厨房に、スタスタ入っていって、おばちゃんたちと賑やかにおしゃべりする先生。おばちゃんたちも先生のことが大好きなのが伝わってきます。いろいろ美味しそうなものがあって期待が高まります。



売店ではいぶりがっこやかき餅、黒にんにくなど手作りのお土産販売中。
しっかり買わせていだきました。



教室には、昭和40年代まで使われていたんだろう木造の机に椅子。



分校なので、1-2年教室、3-4年教室、5-6年教室と、複式学級になっていました。先生も3人くらいだったようです。学校に残されてたんだろうなという教材や、地元の人が、寄贈したんだろうという教科書などいろいろ珍しかったり、懐かしかったり。
戦前の教科書は興味深かった。
音読してみたんですが漢字が難しい。変な読み方すると、今は大学の先生になってる同級生から厳しいチェックが入る。ハハハ。







わらぐつ。ともう一つ奥のものわかりますか?
雪モッコという雪道を固めるものだそうです。

校内見学している間に、最初に見た教室に昼食の用意がされていました。


給食の時間です!


「潟の母さん弁当」


中身は豪華ですよ!山菜もりもり。
おにぎり2種。菜飯おにぎりともう一つは味噌焼きおにぎり。中にお漬物入り!
大ぶりのおつゆのお椀には、「ミズ」が山盛りに入ってます。
また山盛りのいぶりがっこ、蕨のおひたしなどもたっぷり。


枝豆、ゼリー


ミズたたき

食べきれないほどでした。
お腹が苦しくてウンウンうなっているところに、おばちゃんたちがやってきて、持ち帰り用の袋をくれたので、枝豆やらおにぎりやら漬物は頂いて帰ることにしました。

新幹線の中で食べよう~♪

デザートに出していただいた名前忘れたけど、ほんのり甘酸っぱいものは作り方をおそわりました。
 
 米粉 100
 水 1200
 砂糖 150
 酢  40

これを混ぜて火にかけて焦がさないように練る!
冷やして食べると美味しい。


食後はみんなで片づけをして、施設の方々とおしゃべりして、たっぷり潟分校を堪能しました。



外観。大きな木が印象的です。



これから田沢湖一周です。


FM福岡「小澤俊夫 昔話へのご招待」

2016年07月16日 | └─恩師
FM福岡のラジオ番組。過去の放送をネットで聞くことができる。主に昔話のことを話す番組なのだけど、教育者の立場から見た若者の話と親の話をしている回がある。この中の内容に、ハッとしました。

2010年7月30日放送 第52話『教師として見た若者の姿』

2010年8月6日放送 第53話『教師として見た親の姿』

大学生の子供のところに毎日電話をかける親とか、入学式や卒業式に親が出るとかそんな話が出てくる。(先生が大学で教えていたのは15年位前までだから、今とはまた状況違うかもしれないけど)

私が大学進学で家を出て関東で生活した4年間、両親はただの一度も私の下宿に来たことがなかった。学費や仕送りはもらっていたので、もちろん親の庇護の元にあったわけだけど、生活面への親の介入は全くなかった。入学式にも、引越しにも、とにかく一度たりとも来なかった。熊本からの交通費や時間の問題もあったと思うけど、一番の理由は私のことを信頼してくれていたんだろう。

1〜3年までは電話もなかったので、私は手紙で生活の様子を知らせたり、緊急の連絡は、学校に「電話をしろ」の伝言を残してもらって、それが掲示板に貼り出され、公衆電話からかけるという感じだった。

大学生になってすぐ、自分がもう親の管理下にないんだな、と実感したのが、1泊や2泊でどこかに出かけるにも、親に連絡しなくていいということだった。高校生の頃までは、外泊は許されていたけど、どこに誰と泊まるという報告はしていた。それが、大学生になったら、コンパで遅くなって朝帰りしようが、友達と小旅行に出かけようが、親に話す必要なんて全くなく、その分危ないことがあっても助けてもらえないけど、自由を満喫したものだ。一年生の一学期、新宿で高校の同窓会があって終電がなくなり、真夜中の歌舞伎町前でタクシー争奪戦に加わったことなんてきっと今でも親は知らないだろうな。アハハ。

私の18から22歳までの4年間は、自立を学ぶ期間だった。学校の勉強はあまりしなかった。小澤先生が言うところの「三年寝太郎理論」にバッチリと当てはまる。高校生までは、グレることもなく、それなりに優等生っぽく過ごしてきたけれど、大学は違った。思いっきり寝たといえるのだろう。

お金だけ出して、口は出さずに、この環境を与えてくれた両親には本当に感謝している。

田沢湖と乳頭温泉の旅 4

2016年07月15日 | └─恩師
一夜明け。さすがに東北の朝は早い。
山の朝の空気を吸いたいな~なんて思いましたが、「今日もいろいろあるし。もうちょっと体力温存」なんて7時くらいまではごろごろしていました。周りは起き出して、お風呂に行ってるような声が聞こえます。
やっぱり朝風呂は入りたいよね。

浴衣のまま、目指すは混浴露天風呂。
行ってみると、ちょうど我らの連れしか入ってない。
今のうちだ!


お風呂は撮影禁止なので、借りてきた写真です。
広いです。男性は露天風呂はこの一つしかないらしい。女性用はこのほかにも専用のが2つあります。
中央の方の底からポコポコ熱い湯が湧いていて、火傷しそうなくらい。
あたりは明るくなってはいますが、このように白濁しているので気になりません。

先生も加わってみんなで混浴露天風呂を楽しみました。

混浴と言えば、はるか昔一度だけ入った記憶があります。
宿から離れた山の中にあるところで、暗い道を上って行きました。
脱衣所が男女共用だったため、女性が先に脱衣所を使い、そのあと男性が入ってきて、男性が上がった後、女性が上がるという風に工夫して入ったのを覚えています。確か10数人くらいの男女グループだったと思うのですが、誰といったのかが全く覚えていなかったんです。
会社の人たち?
サークル?
長年謎だったのですが、今回判明しました。
同期のUくんが「確か4年生のときに鬼怒川温泉で混浴に入ったよね?」と言いだして、それだ!と分かったのでした。

話を聞くと、どうも4年の秋、卒論の中間発表を使用という名目で、同級生の希望者で温泉に行ったらしいのです。専攻もばらばらな人たちで、それでも真面目に卒論の進み具合などを、一人ずつみんなの前で発表して、「すごく貴重な意見もらったんだよね~」って。

全く覚えてない。
混浴露天風呂のことしか覚えてない・・・・^^;



長年の謎が解けたところで、朝食です。
写真撮り忘れて、友人の写真を借りました。(なのでごはん大盛り!私のではありません)



イワナの佃煮、山の芋のとろろ、そして山菜尽くし。
美味しかった!

隣で食べてた、秋田在住の同級生が「ばーちゃんちの朝ごはんと一緒だ」とボソッと言ってました。
こんなに珍しいものを食べてるんだ。
うらやましい。


朝ごはんのあと、自然発生的に先生のお話を聞くゼミが始まりました。
先生の人生の転機というべき柳田國男先生との出会いの場面の話です。
おもしろかった!!


ほとんど現役時代には先生の講義を聞いてなかった人たち(専攻が違うということも大きい)。
現役時代よりもみな熱心に話を聞いていますね。
この熱心さが若いころにもあったらなぁ・・・・。



朝の本陣。


せっかくなので、部屋の囲炉裏に火を入れてもらいました。
7月ですけど。
またまたみんなが火の周りに集まり、先生のお話を聞きました。
囲炉裏ってものすごく暖かいんですね。
冬にも体験してみたいと思いました。



さて、名残惜しいですが、朝10時にチェックアウトします。
また絶対行きたいです。
乳頭温泉郷、鶴の湯温泉、素晴らしいお宿でした。

田沢湖と乳頭温泉の旅 3

2016年07月14日 | └─恩師
夕食は先生の知り合いの地元の方も参加されるとのことで、宴会場でいただきます。先生が主宰されている「昔ばなし大学」の25周年大会が来年ここ田沢湖で開催されるそうで、その関係の方々です。お酒の差し入れなどもいただきました。御膳に土地の珍しい食べ物が並びます。



山菜など土地のものたくさん。


本来、上座にどなたが座って、とか席順をいろいろ決めるんでしょうけれども、交流を主眼にしようということで、地元の方を我らが取り囲むような席順にしました。私の隣は地元の教育長などなさった方。先生のおかげで、ただ旅行してたら出会えない方とお話することができました。秋田のお国言葉が新鮮!へば!



イワナ




山の芋鍋というのが名物らしく、囲炉裏に吊るした鍋で振る舞っていただきました。


これ美味しい!


イワナの刺し身と秘湯ビール。
秘湯ビールはかなり個性的な濃い味。ブナの酵母で作ってるんだそうです。


いブリ大根いぶり人参、緑色のは「ミズ」という山菜。茎は浅漬にしたり、お浸しにしたり、根の方は細かく切って叩くと粘りが出るそうで「ミズたたき」というものになり、葉は、天ぷらで出てきました。いま季節だそうで、ミズ尽くし。

それと、写真を撮り忘れたのですが、土地の人が「たけのこ」と呼ぶもののフライも出ました。「姫竹」(ネマガリタケ)と言うものでこの辺りの名産。秋田には孟宗竹はあまり育たないそうで、私達が普段「たけのこ」と言ってるものとは違うものです。

今年、クマに襲われた人たちが採っていた「たけのこ」というのはこれのことだそうです。私にとってたけのこは「掘る」ものですが、このたけのこは「とる」ものなんだって。やはりちゃんと聞かないとわからない話ありますね。あのニュース聞いたけのこ掘りを頭に思い浮かべていました。


お酒も秋田のしかもこの辺のお酒がズラリ並びました。
ズシンとしっかりした味で少し甘みもあり、普段好んで飲む新潟の酒とは全然違う個性で美味しかった。
翌日田沢湖のお土産店で「神代」というお酒を買って帰りました。




宴会のあとは、「ホタル鑑賞会」です。

この日程にしたのにはさらに理由があり、この辺りのホタルの出現特異日なんだとか。先生は数年前にたまたまこの日程で鶴の湯を訪れたそうで、その時ホタルを見たんだそうです。

「君たちも見たいだろ?この日が一年で一番ホタルが出るんだそうだよ。この日にしようぜ。」と先生。

蛍スポットまでは車でしばらく走ります。お酒を飲まなかった地元の方に運転していただいて連れて行ってもらいました。
沢の入り口に車を置いて歩いて真っ暗な沢沿いを登ります。先頭は御年86歳の先生です。
え??
地元の人が先頭を歩いてるんだと思ってました。
なんという健脚!

雨で濡れた真っ暗な山道を懐中電灯を手に一列縦隊で歩いていくと、蛍がぽおっぽおっと見え始めました。真っ暗な前方にもわぁっと白く光る滝が現れ、そこが蛍スポットのようです。
雨が多かったので、少し少なめだったのかもしれませんが、一帯に漂う蛍の光。
すごいなあと思ったのは、頭の上はるか遠くを飛ぶホタルです。滝のせいで高いところを飛んでるらしいです。写真は無理なので撮りませんでしたが、その分しっかりと目に焼き付けました。

蛍を堪能したくだり道、「ほらこれが夕食で出てきたミズだよ」と、地元出身の友人が路傍の草をとって見せてくれました。こういう沢のとこならどこにでも生えてるんだ。とのこと。


夜の鶴の湯

蛍を堪能したあとは、宿に戻り本陣の二間続きの「男子部屋」で宴会の続きです。
夕食時に飲み切れなかった日本酒の瓶が並ぶ並ぶ。




それと夕食のデザートのフルーツを持ち込んでの二次会です。

この鶴の湯のオーナーさんもやってきました。
せっかくなので、電気を消して灯油ランプの明かりだけで話をすることに。
そうすると不思議と声のトーンも落ちるんですね。

私は夕食時に飲みすぎたのか、ちょっと眠くなってきて、お酒は飲まず、ひたすら水を飲んでブドウやサクランボを食べていました。先生が請われて昔話などしてくださったんですけど、そのころには舟をこぐ有様。先生がお元気なのに、なんというだらしなさ。

23時を回ったころ、そろそろお開きにしよう。と声がかかり、片づけてそれぞれの部屋へ。真っ暗なので先生をお部屋までお送りして、私たちもすぐ寝ました。お風呂は24時間とのことで、きっとお風呂に行った人もいたんでしょうね。

隣の先生の部屋から、コンコンと咳き込む声など聞こえました。
もっと早くにお開きにするべきだったかな‥‥
などと思ううち、眠っていました。



田沢湖と乳頭温泉の旅 2

2016年07月12日 | └─恩師
マイクロバスがどんどん山深く入っていきます。
これから向かう今夜の宿は「日本秘湯を守るの会 乳頭温泉郷 鶴の湯温泉」です。
秋田ならではのブナ林をくねくね進んでいくと、途中から砂利道になります。これも「秘湯」のもてなしだそうで、あえて舗装しないのだとか。きいた話では、鶴の湯温泉は通年営業だそうですが、冬季の除雪もすべて鶴の湯さんの自前で行うのだそう。公費に頼らない経営、これも心意気なんでしょうけど、すごいことだと思います。

途中にはミズバショウ群生地もあり、ハイキングコースもあるみたいなのでゆっくり滞在できたら楽しいだろうな〜。

そして到着したところ。
秘湯です。
茅葺屋根の家がとても雰囲気あります。





バスを降り、みんな興奮して写真撮ってます。先生は勝手知ったる感じでどんどん奥へ進んでいき、事務所棟で手続き。



沢から引いた水で飲み物冷やしているようです。

支配人さんが部屋割やお風呂、食事場所の説明をしてくれます。私達の泊まる部屋はさっき見た茅葺屋根の建物で、本陣と呼ぶらしい。江戸時代にお殿様の湯治があったときにお供が詰めていた建物なんだとか!5部屋ある部屋全部我らが泊まります。壁は板一枚で隣の話し声なんかもまる聞こえです。私たち貸切だったので今回は良かったですが、
一部屋だけとかなら、静かにしなくちゃね。



部屋に入る前に不揃いの石で組んだ階段があります。手すりなどもなく、バリアフリーには程遠いつくり。さすがにこの点だけは先生も怖いと思ったそうです。夜は暗くてさらに見えないから、先生の手を取って上り下りしました。

中は畳敷き、手前に囲炉裏があり奥に洗面所とトイレがあります。テレビとかそういう興ざめなものはありません。さらに部屋の扉は鍵がかかりません。中にいるときはつっかえ棒みたいなもので、開かないようにできるのですが使いませんでした。貴重品は封筒に入れて事務所に預けるようになってました。使わなかったけど。




水回りはきれいです。トイレはウォシュレットでした。この辺りも社長さんのこだわりなんだそうです。さらにこの宿の最高のもてなしは、携帯電話がほぼ圏外になることもありますね。
公衆電話はありますが。一部携帯が使えてる人もいましたが、私は2台(ソフトバンクとドコモ)ともずっと圏外でした。

まず、日本秘湯を守る会会員の宿ですからご自慢の温泉に浸かりましょう。


中の撮影はご遠慮くださいということなので、外観だけ。

ここの温泉は4種類。白湯と黒湯と滝湯とあとひとつは??女性は内湯3か所、露天風呂2か所、さらに混浴露天風呂にもはいれます。男湯は内湯2か所、露天は混浴のみ。女性が優遇されてますね。混浴露天風呂は外からも見えるつくりになってるのですが、とても大きくて解放感あります。女性の入り口は目隠しがされているので、白濁のお湯につかってから、広いところに出られるようになっています。ほんと、女性に優しい作りだと思います。

内湯にもシャンブーとかシャワー付きの洗い場などはなく、板張りの洗い場に、石作りの浴槽、いかにもクラシックな設えです。石鹸だけは置いてありました。温度はかなり高め。いいお湯!
露天風呂は岩風呂で、底から温泉湧いてます。露天の温度はぬるめなのですが、底から湧いてる部分は熱くて、移動すればいろんな温度を楽しめます。

白湯も黒湯も白濁したお湯で一見どっちも「白湯」ですが泉質が違うらしい。酸性とアルカリ性なんだそう。確かに、なめてみると味が違いました。



かわりばんこにお風呂浴びて、なんとなく食事の時間まで真ん中の部屋に集合しておしゃべり。久しぶりに集まった同級生同士、話はつきません。
そうするうちに、宿の人が灯油ランプを持ってきてくれました。素敵。



そろそろご飯の時間です。

田沢湖と乳頭温泉の旅 1

2016年07月11日 | └─恩師
週末に1泊2日で、秋田県の田沢湖へ行ってきました。
2年も前から計画していた旅行で、前日は興奮してよく眠れなかったくらい。

大学時代の恩師が田沢湖と縁があるそうで、とても良い所だよという話を聞き、「同期会を田沢湖でやろうか」という企画が持ち上がったのが2年以上前の話。先生に「ご都合はいかがですか?」とたずねると、なんと2年先まで週末のスケジュールは満杯!!(どれだけ忙しい80代なのさー)もう鬼も笑わないよと言いながら、先生の2年先のスケジュールをおさえて、この日が来るのを待ったのでした。

秋田在住の同期に宿の手配などを任せ、新幹線や車の手配は学生時代の企画委員長に任せ、ほとんど連れて行ってもらうだけの形で参加。同期会ということですが家族も参加OKというので、私の夫も参加します。(何しろ先生のファンなので勝手に教え子にしてもらった)

普段同期会を東京で開催するときは50人くらいは集まるのですが、流石に秋田までの泊まりがけの企画、今回は先生も入れて12人の参加。
それでも九州、大阪、さらには台湾から駆けつけた同級生もいます。


東京駅で待ち合わせ、秋田新幹線こまち号に乗ります。行きの車内から修学旅行みたいな賑やかさ。田沢湖までの3時間があっという間に感じるほど。

3時間だなんて、近いですね。
秋田県は、東北で唯一行ったことのない土地で、とても遠く感じていたんですが、九州に比べて近いこと近いこと。
仙台から合流する人もいます。
指定席をブロックで買えたので、スムーズに出会えました。



お昼に田沢湖到着。
秋田市在住の同級生と田沢湖の教育関係の方が出迎えてくれました。先生のお人柄ですね。この先も行く先々で先生の有名人ぶりというか、人気に驚かされるのですが、それはまたおいおい。



東京出るときも雨でしたが、こちらも降ったりやんだりの雨模様。でも、暑くもなく快適。マイクロバスをチャーターしてくれたので、皆で一緒に動けます。こちらはただついていくだけ。楽ちんです。

まず向かったのが、駅からほど近い「山のはちみつ屋さん」のピザ工房。




先生はこちらの社長さんとも親しいそうで、以前から話は聞いてたのです。お会いしてみると、お話上手でとても楽しい方でした。はちみつについて相当研究されているようで、在京の大学などにも出向いてミツバチの生態なんかの最先端の研究にも明るく、それを秋田弁で面白おかしくレクチャしてくれて、もう皆大ファンになりました。

女王蜂は羽化後一週間で交尾のために巣の外に出て、晴れた日の昼間上昇気流に乗って高く飛び上がります。それについてきた体力のある雄と交尾するのですが、なんと、雄の性器性嚢まで自分の体に取り込んでしまうのだそうです。それで巣に戻ってからしばらくは産み続けることができるのだそう。そして精子の在庫が少なくなるとまた外に交尾に出かけるのだそう。そしてオスはといえば、交尾後数時間で死んでしまうのだそうです。
ひゃー知らなかった。


秋田の野菜がゴロゴロ乗ったピザ


はちみつもいろいろ試食できて、気に入ったものをお土産に買ってきました。


ピザ屋さんの裏には田んぼが広がってました。緑が目に優しいですね。遠くの山に発電所らしき建物が見えました。調べたら「先達発電所」というそうです。水路式の水力発電。


さて、ここから乳頭温泉の宿へ向かいます。

福島みずほ氏講演会@武蔵野公会堂

2016年05月25日 | └─恩師
またまた、仕事を早退して駆けつけました!恩師主催の講演会です。人手不足とのことで運営のお手伝いもすることになりました。



テーマ:「子どもたちに幸せな未来を」
昔ばなし研究所主催。
ゲスト福島みずほ氏。
会場は吉祥寺駅近くの武蔵野公会堂。
参加費500円。


私は普段あまり政治的な活動はしていませんし、社民党支持でもないし、恩師の関係がなければ関心も持たなかったと思いますが、縁とは面白いものですね。

主催の小澤俊夫先生はドイツ文学者で昔ばなし研究者で、大学を退官されてからも「昔ばなし大学」という勉強会を全国で開催されていて、80を超えるご高齢ながら、毎週全国各地を精力的に飛び回っていらっしゃいます。私は昔ばなしを勉強もしてませんが、ただ先生とお酒を飲むのが愉快なので、機会があるとご一緒させていただいてます。

先生は、満州生まれで戦時中は軍国少年だったそうで(終戦時中学3年生)、そのご自身の体験から、昨今の安保法制や、安倍さんに代表される右傾化をとても危惧しておられまして、これまでも何度となく、考えを発信して来られたんですが、ついに黙っていられなくなり、この講演会を計画されたそうです。

私は戦後生まれですし、先生ほどの強烈な思いをどうしても持つことができずにいます。さらには安倍さんの言うこともわかるな~などと思ったりするわけですが、今回はいい機会なので勉強のために参加することにしました。


開演前に会場近くのカフェに打ち合わせに行ったら、先生と一緒にご家族もいらっしゃって、なんと小澤征爾氏まで同席されてるではないですか!一気に緊張しましたが、図々しく写真一緒に撮ってもらいました。きゃー!舞い上がってしまったので、この間の新日フィル演奏会の感想を伝えることも忘れました。熊本地震追悼のG線上のアリアで泣いた話なんかすればよかったなー。と帰りの電車の中で思いました。







講演会は福島みずほさんが舞台に立って原発の話、戦争の話、安保法案の話、憲法改正の話などをされてました。原稿も何も見ずにあれだけの話をするというのはすごいな~、と思いました。
へ~と思ったのは彼女の本籍地が熊本だったという話やお父さんがアメリカ生まれで、親戚は戦争中強制収容所にいたという話など。こういう会だったからでしょうけど普段テレビなどでは聞けない話で興味深かった。



もう一人制服向上委員会のシンガー・ソングライターの女性が登壇して歌を披露してくれました。感想は………自粛します。


講演会の後半、客席の質疑や感想コーナーがありましたが、これが面白かった。

戦没者遺族という八百屋さんの女性。
「どんな戦死も全部犬死だ。どんなに美化しても犬死だ」

高校教師を長年つとめたという82歳の男性。
「暴走族や右翼に走る少年たちは家庭からも社会からも学校からも締め出されてるの。彼らと話をするのには半年はかかる」

中国帰国者の女性。
「終戦後の中国で身内がどれだけ苦労したか、自分の祖父母、母後と涙と引き換えに手にしたのが日本国憲法だ」

先生のつながりがなかったら絶対行かなかったであろうこの手の集会。小澤征爾さんも、「生まれて初めて政治家の話を聞きました。自分の人生にとって、とても大きな意味のある体験になった」と言ってましたが、私も良い勉強になりました。

私なりに戦争をしないですむにはどうしたら良いか、考えていこうと思います。

福岡経由熊本帰省 福岡で恩師を囲む会

2016年05月03日 | └─恩師
これは地震の前から予定していたGWの旅行です。

福岡一泊、熊本一泊。

仕事場を早退して、羽田へ。先々週よりもガラガラな空港です。時間帯によるんでしょうか??
羽田発福岡行きに乗ります。



熊本へ行く飛行機とは航路が違ってて新鮮です。山陰の海岸線を見ながらの空の旅。


福岡の海岸線も個性的ですね。



到着してすぐに地下鉄で街へ。福岡空港は日本の国際空港の中で最高に便利なところにあると思います。


祇園駅。
駅の地下道に自転車置き場が併設。初めて見ました、こう言うの。

これから、大学の恩師を囲んでの食事会です。(簡単に言うと飲み会)
福岡在住の同級生と先生の教え子さんなどが参加しました。先生が出演されてる福岡のラジオ番組の収録に合わせ実現した会でした。これからも時々やりましょうという話でした。


博多は食べ物美味しいですね。
幹事さんが飲み放題にしてくれてたので、焼酎を飲み過ぎました。
あは、いつものことです。

福岡在住の友人で先生のファンにも声をかけたら駆けつけてくれました。30年位前の先生の本を持参しててサインをもらってました!スゴイ。先生も喜んでくれました。

帰りはタクシーで先生をホテルまで送り、私も天神のホテルへ。
楽しい宴でした。


ホテルはレディースフロアにしてくれてました。嬉しいマッサージ機!

大学の同期会

2014年09月19日 | └─恩師
先日5年ぶりに大学時代の同期会があり、行ってきました。

卒業して3回目です。(5年前の同期会
一学年80数人のところ半分近くの人が集まりました。遠くは海外から、北海道、九州、日本全国に散らばってる同級生たちがこの日のために都合を合わせてやって来ました。世話をする人がいて、名簿が定期的に更新されているのがこういう会を開ける理由ですね。
幹事に感謝。


今回も地方から集まるみんなに都合の良いように東京駅前での開催。お店探しの下見に幹事に付き合いましたが、良い会場が見つかってよかった。

今回は、おしゃべりに時間を取ろうということで、ほとんど企画もなかったのですが、同級生の中には本を出した人などもいて、そのインタビューコーナーなどは面白いものでした。また海外の大学で教鞭をとってる人が参加してたので、その人にもインタビューもありました。同期生の活躍を知るのもよいものです。

卒業以来初めて会う人もいて、懐かしくもありましたが、一番強く感じたのは、あの人に会えた!とか言うことではなく、みんなが一緒にいる空間にいることができた。というようなこと。
学生時代に幾度となくみんなで集まってイベントやったり、合宿やったり、コンパやったり。あの時のわ~っと人がいて、その中に自分がいる、ゆるい帰属の感覚がもう一度味わえたのが嬉しかった。
あの空気をもう一度呼吸できた感覚というのかな。

何十人もいる同期生の中には、仲の良かった人もいればあまり話をしなかった人もいます。でも、あまり親しくなかった人とでも学生時代のような感覚で話しができる、これが同期会の醍醐味だなーと感じました。今回その幸福感でことのほか酔ってしまい、最寄駅で降りそびれて(終電だったのに!)一駅歩いて帰るなんてことにもなりました。楽しかったなぁ。




集合写真、さすがにそのままのせるのはあれなので、油絵風に加工。

父を語る (1972年)

2014年06月05日 | └─恩師
父を語る (1972年)
小沢さくら 東京 中央公論事業出版

課題図書その3
小澤征爾氏のお父様小澤開作氏のことを家族がまとめた本。
小澤開作氏についてはほかの人が書いた本もありますが、まずはここから行こうかと思います。

小澤開作氏は、山梨の貧しい農家に生まれ、それでも歯科医になるべく勉強をし、さらに勉強をしたいとドイツに向かおうと思っていた。シベリア経由で行こうと思ってまず満州にわたりそこで働きつつ機会を待っていたところで、石原莞爾らと出会ってしまい、歯医者をやめて政治活動家になっていくのだそう。そうして、五族協和の理想に燃えた活動をしていたが、最終的には満州から追放され、太平洋戦争の開戦前に日本に戻ってくることに。戦時中は立川に住んだが、特高が張り付く日々だったらしい。戦後は川崎で歯科医を再開したとか。

ここまでは、先生に聞いた話。相当豪胆な人物で、武勇伝の数々があるのだそう。本には詳しく書いてあるらしいので、楽しみ。

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