おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

救済

2009-06-01 | ■ サマザマな おはなし

この歳になると 多少の摩擦を承知でも
自己の主張を一応立場上表明すべき
という感想を持つ機会が増えてきました

もともと 争いごとは好まず 何事もできる限り穏便に
という主義でしたが・・・


さて 今日の新聞
トップ記事は どうしてもGM問題

結論から言うと アメリカ政府首脳の方針には落胆

救済の理由付けは 要約すると
GM破綻の影響はあまりにも大きすぎ 避けなければならず
莫大な公金での支援も止む無し
ということか


落胆の理由

第一に
アメリカは自己責任主義標榜を徹底してきた国家
この原則も 人類が培ってきた英知の一つではありましょう
その根底を変えるような施策には 相当な基準が
要求されるべき 
どのように表現しようと 国家が関わって
自己統治 自由主義 公正競争などの大原則のルールに
口を出し
審判員たるものが 
あまたの利潤獲得競争参加出場メンバーの
特定一企業に関わり
熱をはかり 薬を与え ベッドをあつらえ 退院後も
結局は責任の一端を問われる位置に付くことになる
(なぜ あそこまで手厚くかまってもらえるのか
此処などには 見向きもしないのに・・・の声がもはや
ハッキリと聞こえる)
今後同様なケースの際 全世界規模での判定に耐え得る 公正な大多数が納得可能な基準での入院措置なのか
(恣意運用に流れる危惧はない基準なのか?
真摯な企業努力などに そして そもそも人間の英知に
いたずらに 無責任な邪魔をするような結果を生む虞は
ない施策なのか)

第二に
第一義的に救済され得るのは 直截的には
GM
経営陣
従業員
関連企業(取引先を含む広い意味で)
投資・投機関連者
などなどと 考えられるが 率直に言って これらは
いままで ある意味 いい眼をみてきたか すくなくとも
いい眼を見ることが可能なチャンスは与えられ得る
境遇には居れた人々

世界的規模の影響ということも理解できないではないが
影響波及などを盾にして 
優先して救われることになるであろう人が 
本来 自己責任をズッシリと感じとらねばならぬこれらの人々
というのは なんとも 不可解・・・

世の大部分の人々は はなから救済の対象にもなることなど
当てにせず 自己責任なんぞという
言葉の真の意味などを意識する余裕なんぞこれっぽっちも
なく 限界一杯に自己を削りながら どうにか生きながらえて
いる
血まみれの努力にさえ 理由もなく裏切られ
そもそも 投資など夢のまた夢の状態の日々の人たち
世界中の大半は まず そういった方たち

誤解を恐れず言えば すくなくとも 自己責任のもと
自分自身の富を増やすチャンスを得ることが
とにもかくにも可能だった人々です
チャンスを得 二次チャンスも得 そうして
第三次チャンスさえも・・・得れる ような
超ワンダーランドをプレゼントされ
その贈り物代の請求書は 誰にまわされているかというと・・・

自己責任による自己統治 
修正資本主義 
自由主義経済体制の自己治癒力

虚しい言葉が世界中で踊っています

どうしても救済対象にせねばならぬとしても
その範囲は いわゆる 本来の自己責任を負い得る選択権
さえ与えられず 黙々と 追随せざるを得なかった
第二次 第三次下請けといわれる企業群の人々あたりに
とどめるべき



言いたいことは尽きませんが
私の力では
あまり論点を拡げると 理由付けもぼやける虞があるので
この辺で 本日は止めますが
以前 日本でも同様な事態のときの施策に対し
なんともいえない不条理 不公正 不合理感が拭えず
いまだに悩んでおり
(アメリカにおける投資金融機関等の救済しかり)
本日は このような 記事になりました


反対の見解
ご批判は あって当然
人生観 政治観 などなどで見方が異なるのであれば
判断が各々になるのも自然の理


ただ 主張を求められたときは 今までよりは自己の意見を
できる限り ハッキリ述べようと 最近は思っています
率直なところ 人生 何時何があっても不思議ではなく
問われて表白もせずにいるうち
曖昧な基準で判断され 無念ということが
こんなチッポケな人生にも何度かありましたので



私の基本的スタンスは

曖昧な妥当策より
本来の基準に沿う施策を 可能なかぎり採る

ということです

 
すくなくとも より明確な公正さを
保ち得るスタンスかな と考えるからです