*エピソード「起死回生の技」
① 一昨日5月24日(金)ボクはいつもの仲間とプライベート麻雀を戦った。
6回戦の長丁場だ。
体調不良もあって、この日は絶不調。
4回戦まで全敗。
5回戦も最後の親の土壇場で、焼き鳥をかかえ、この日の大敗を覚悟した。
自摸牌は、一九字牌が多い。
しかし、国士無双を狙うのには、無理そう。
ボクは、無意識に<流し満貫>を狙っていた。
そしてこれが完成した。
これこそこの日のボクにとって<起死回生の技>となった。
5回戦と6回戦でツキが来て、その日のマイナス転じてプラスで終わった。
まさに、捨て牌で拾う<起死回生の技>となった。
② 大相撲、平幕朝乃山が大関豪栄道を下して、優勝した。
前日の栃ノ心との微妙な判定にも心を乱されることなかった。
勝因は<平常心>だと言う。
*ミネルヴァの梟は夕暮れに飛び立つ*
ボクも既に傘壽を超えた。
せいぜいこの世における残り少ない時間を「なるほど!」と楽しませてもらおう。
そのうちにボクなりの何かが生まれるかもしれないことを期待しつつ・・・。
「女の回廊」は、出版を目指すことにして、ブログからは外します。
今回からブログに適した題材として「なるほど!と思う日々」に変更することをお許しください。
1.「文明」
今から20年以上前の話である。
奈良の叔父が長年の闘病の末亡くなった。
午前11時から葬儀とのこと。日帰りで参列するため、東京駅発6時56分の<のぞみ>を手配する。
自宅から中央線最寄り駅の武蔵境に着いたのが6時過ぎ。
余裕のない状態であたふたするのは嫌だから念のため7時33分のに切り替えてもらった。
しかし、東京駅に着いたのは6時50分。変更しなくても間に合った。さらに7分前の7時26分にも<のぞみ>があった。
通勤列車並みの時間割だ。
福知山脱線事故と絡めて、日本の鉄道の過密さに思いを致した。
今や、<こだま>や<ひかり>よりも速いが料金の高い<のぞみ>の方が多い。
スピード、経済効率を考えれば、事故の危険性を包含しながらも当然の流れなのだろう。
「メキシコの朝」でD.H ロレンスは言っている。
*時間にしても、距離にしても、メキシコ人にとっては漠然としたものなのに、白人どもはそれらをぶつぶつと細かく、しかも精密に切ってしまう。
それを基に白人どもは人間が生活するカギを握ってしまった。
黒い眼のメキシコ人は生きるために傲慢な白人どもに従属をよぎなくされた。
一日の時間割、お金、秒単位で動く機械、メキシコ人もそういった白人どものトリックを否応なく学ばなければならなくなったのだ*
─続く─