昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(250)市民大学・哲学コース、ハンナ・アーレント

2018-02-03 06:57:17 | 三鷹通信
 <自主活動9>「映画ハンナ・アーレント鑑賞」
 今季2回目の雪が降る中、参加者は18人と少なかった。
 
 ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントが、世界的スキャンダルを巻き起こしたナチス戦犯の裁判レポートで、ハンナが本当に語りたかった<真実>とは?
 そのレポートで彼女が語った発言、「アイヒマンは上の命令に忠実に従っただけの凡庸な官僚にすぎない。反ユダヤ主義ですらなかった」は、イスラエルやユダヤ人から猛烈な反発を喰らうことになった。
 ハンナ自身もユダヤ人であり、自らも抑留されていた過去を持っていたのに・・・。

 アイヒマンが「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字にすぎない」と述べたことは有名だ。
 
 ハンナは「思考がなくなると、平凡な人間が残虐な行為に走る」と言っている。

 特にこの映画の最後の場面で学生に語りかけている8分間のスピーチにその思いが凝縮されている。
 
「自発的に行ったことは何もない」
「善悪を問わず、そこに自分の意思は全く介在しない」
「ただ命令に従っただけなんだ」
 世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う<悪>なんです。
 そんな人に動機はなく、信念も邪心も意図もない。
 人間を拒絶したものなのです。
 私はこの現象に「悪の凡庸さ」と名づけました。

 
 人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。
 思考する能力です。
 私はこの問題を哲学的に考えました。
 「思考の嵐」がもたらすものは、知識ではありません。
 それは善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。
 私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。
 危機的な状況であっても、考え抜くことで、破滅にいたらぬよう・・・。

 なんと示唆的で力強い言葉でしょう。
 人間には2種類の人間がいるのです。
 自ら考える人間と、ただ権威に従うだけの人間と。
 ボクは3月2日(金)10時からの<自主活動>で話をさせていただくことになっています。
 タイトルは「男は女の使い走り」です。
 ハンナの言葉は大変なヒントになりました。
 ご期待ください。昭和のマロ