昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(195)三鷹市民大学・哲学コース(8)

2017-06-10 05:17:37 | 三鷹通信
 昨日は久しぶりに晴れ。
 気温も上昇して歩くと汗ばむほどだ。
 三鷹市民大学、合田正人先生の「海図のない哲学の大洋を漂流してみよう」第3回目の講義だ。
 今まで同様、30人の受講者で満席。
 先生は少し遅刻、といっても1~2分だが。
 汗だくで会場に走り込んでこられた。
 今日も黒装束、厳つい見かけと異なり、なかなか真面目なお方と拝察した。

「今日のテーマは<自己>と<他者>です。・・・」
 額の汗を拭いながら本題に入った。        
 ・・・書物を超えて、まさに書物の彼方でも哲学しなければならない。誰もが、自分の条件、自分の生活を出発点として哲学しなければならない。自分の周囲を見回さねばならない・・・
 (聖ヴィクトルのフーゴー)
「西洋哲学は、自我論(エゴ)しか語ってこなかった。<他者>が欠けている・・・」
 
(ギリシャ語で「汝自身を知れ」)
「<私>が主語で展開していく。主導権を握るのは<私>である。そして、この潮流はストア派に受け継がれていく」
「しかし、私たち人間においては<自分がいる>ということの根本は、自分を意識している、というところにある。自分がいるということのいちばんの要は、自分を意識している、ということである」
 そして「我おもう、ゆえに我あり」という有名なデカルトのことばにたどり着く。 
  これは「意識が働いているということは疑い得ないのだから、意識作用の主体である限りの、自分の存在も疑い得ない」という意味である。 

 そして、合田先生のレヴィナスの<自己と他者>へと。
 う~ん、これからが纏めるのに大変だ。明日にしよう。

 
 ─続く─





最新の画像もっと見る

コメントを投稿