昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(315)三鷹市民大学「江戸の思想史」①武士をめぐって」

2019-01-26 06:52:40 | 三鷹通信
 今日の三鷹市民大学「日本の文化コース」の講師は、田尻祐一郎東海大学文学部教授です。
 近世日本の儒学思想を中心にして、日本の思想史を研究されていますが、今日の課題は「江戸の思想史から武士をめぐって」です。

 日本の武士は、アジア文明圏のスケールから見ると、他にはない特異な存在のようです。
 つまり、刀を振り回す野蛮な戦闘者という見方です。しかもその軍事政権が社会の統治者として長く続いた。
 
 東アジアの中国を中心とする儒教的な価値観によれば、<武>による支配は野蛮であり、<文><徳>による支配こそが文明社会だという考え方です。
 <科挙>という(紙と筆の、つまり哲学・文学・歴史を重視する)制度で選ばれた階級を問わないエリートが社会を支配すべきで、その点日本の武士による統治は<野蛮>だというのです。

 では、日本の武士なる本質は如何なるものなのでしょう?
 <忠>と<死の覚悟>でしょうか。
 その本質を探る意味で<赤穂事件>は格好の題材です。
 人格(殿様)への忠誠か、組織(お家)への忠誠なのか?
 <死の覚悟>は、<恥>(同輩から腰抜けとみられること)を嫌うからか? 理屈による自己合理化への嫌悪なのか? つまり<理>に基づくより情緒化・心情化していく傾向にある。

 いわゆる儒教(特に朱子学)に基づき、<文>に価値を置き、<武>に価値はないとする人達からみれば、日本の武士は異様で、野蛮に見えるのだ。
 山本常朝の口述によるという「葉隠」によれば、・・・武道に於いて分別(理性)できれば、はやおくるるなり、忠も考も入らず、武士道に於いて死狂いなり、この内に忠孝はおのずから籠るべし・・・武士道といふは死ぬ事と見つけたり・・・と言っている。
 また、<赤穂事件>に対しては・・・浅野殿浪人夜討も泉岳寺にて腹切らぬが落ち度也、叉、主を討たせて敵を討たすこと延々也、・・・上方衆は智恵かしこき故、褒めらるる仕様は上手なれ共、・・・無分別にすることはなられぬ也とも言っている。

 今日の講演からボクが得た教訓は、やはり、<天地の秩序を守ること> つまり「エゴからの解放」ということかな?
 
 





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