昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(190)三鷹市民大学・哲学コース(3)

2017-05-22 04:24:43 | 三鷹通信
 <哲学とプレートテクトニクス>
  
 「極度の事物はわれわれにとって無いに等しく、われわれはまたそれらの事物にとって無に等しい、それらがわれわれを逃れるかわれわれがそれらを逃れる」
 これがわれわれの真のあり方である。
「このためわれわれは確実に知ることができず、また全然無知でいることもできない」
「われわれはたえず定めなく浮かびつつ、一つの端から他の端へと押しやられて空漠たる中間に漂う」
「いずれかの端にじぶんを繋いで落ち着こうとすると、そこはゆらいで離れていき、追えば手を逃れて滑り去り、どこまでも逃げる」
「何ものもわれわれのためにじっとしていてくれない」
 これがわれわれの本来のあり方である。
「しかるにこの状態はわれわれの好むところとまさに反対である」
「われわれは固い地盤と最後の変わらざる礎をみつけそこに無限に向かって伸びていく塔を建てようとの希望に燃える」
「ところがわれわれの土台はすべて揺らぎ、地面はさけて深淵をひらく」(パンセ)
 
 <私とは誰か>
 
「誰が私をこの世界に置いたかを私は知らない。また世界とは何であるか、私とは何であるかを私はしらない」
「私は、万事についての恐るべき無知のうちにいる」
「私の身体とはどういうものであるかを私は知らない」
「また私の感覚とは、私の魂とはどういうものであるか、それからまた私の語ることがらを考えるところの、そうしてあらゆることを反省し、自分自身をも反省するところの、しかし、ほかのものをと同じく自分自身を知らないところの私の一部分とは、何であるかを私は知らない」
「私は宇宙の恐るべき空間が私を取り囲むのを見る」
「私はこの広大なる広がりのなかの一つの片隅に繋がれている自分を見出す」
「そうして何がゆえに、自分がこの場所に置かれ他のある場所に置かれていないのかを知らない」
 ・・・
「しかし、私にとって何が分からないといって、私には避けえないこの死ほど私に分からないものはない」
 (パンセ)

 <他人とは何か>
 
「われわれの苦難の原因は三つある」
「第一は自分自身の肉体──結局は死滅するよう運命づけられていて、警報として役立つために苦痛や不安をすら欠くことのできない自分自身の肉体──であり」
「第二は、われわれに対して、破壊的で無慈悲で圧倒的な力をもって荒れ狂うことのある外界であり」
「第三は、他人との人間関係である」
 この最後の原因から生まれた苦痛はおそらく、他のあらゆる苦痛にも増してわれわれには苦痛と感ぜられる。
 
 ─続く─

 <好奇心コーナー>
 
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