昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(281)又吉直樹「火花」の才に敬服(1)

2015-10-29 05:36:26 | エッセイ
 芸人ピースの又吉直樹の「火花」が芥川賞を受賞した。
 
 早速図書館に借りに行ったが予約27番目だった。
 昨日ようやく2か月半ぶりに手にした。
 最初はうっとおしい書き出しだと思ったが、読み進めるうちに引き込まれ一気に読んだ。

 奇想天外でありながら人間味溢れる神谷をお笑い芸人の師匠として慕う後輩徳永。
 笑いとは何か、人間とは何かを饒舌かつ巧みな筆致で浮かび上がらせる又吉直樹の才に敬服した。
 その一端を作品からピックアップしてみる。

 適当に歩いたはずが、いつの間にか、井の頭公園に向かう人達の列に並んでいた。公園に続く階段を降りて行くと、色づいた草木の間を通り抜けた風が頬を撫で、後方へと流れて行った。公園は駅前よりも時間が緩やかに進んでいて、目的を持たない様々な種類の人達がいたので、神谷さんも馴染んだ。僕は、この公園の夕景に惚れていて、神谷さんを連れてこれれたことを嬉しく思った。
 池のほとりに腰を降ろし、太鼓のような長細い楽器
(こんなのかな?)を叩いている若者が平凡な無表情を浮かべていて、僕も確かに気にはなったのだが、神谷さんは周りを憚ることなく、男の前で露骨に立ちどまると、首を傾けて不思議そうに男の顔と楽器を交互に見比べた。なぜ数多くある楽器の中から、この男はそれを選んだのか。しかし、神谷さんにしても、更に複雑な形状の、いかなる音が出るのか想像もつかないような楽器を選びかねない人種であることは間違いなかった。楽器の男は注目されるのが不快だったのか眉間に皺を寄せて、気怠そうに演奏をとめた。
「ちゃんと、やれや!」
 突然、神谷さんが叫んだ。僕は驚きのあまり動けなかった。神谷さんは、両眼を見開き男を睨みつけていた。男は一瞬とまった後、自分の被る赤い帽子のつばに触れ、怒鳴られたことを恥じるようにうつむいた。その所作が、怒鳴られたのは自分ではなかったと信じたいように見えた。
「お前に言うとんねん!」
 神谷さんは男を逃がさなかった。やはり、この人は頭がおかしいのかもしれない。とめるべきだろうか。でも僕は、なぜ神谷さんが感情を露にするのか理由が知りたかった。
「お前がやってんのは、表現やろ。家で誰にも見られへんようにやってるんやったら、それでいいねん。でも、外でやろうと思ったんやろ? 俺は、そんな楽器初めて見た。めっちゃ格好良いと思った。だから、どんな音すんのか聴きたかったんや。せやのに、なんで、そんな意地悪すんねん。聴かせろや!」
 男は神谷さんを見上げて。「いや、そういうんじゃないから」と鬱陶しそうに答えた。
「そういうのってなんや? なんか俺、変な奴みたいになってんのかな?」と神谷さんは不安そうな目で僕を見た。
 僕は「完全に変な奴ですよ」と神谷さんに教えて差し上げたが、神谷さんは、なぜ僕が笑っているのかわからないようだった。
 僕は男に謝った上で、すぐに立ち去るので少しだけ楽器の音を聴かせて欲しいと頼んだ。男は渋々、太鼓らしきものを叩きはじめた。神谷さんは眼を瞑り、腕組みしながら右足でリズムを取っている。男も神谷さんの様子を見て安心したのか、テンポを上げだした。夕暮れの公園を歩く人達が珍しそうに僕達を見ていた。男が楽器を激しく叩く。益々テンポが上がり連打に入った。すると神谷さんは右足でリズムを刻んだまま、右手を前に出して、空気を押すように二度ほど手の平を動かした。それに気づいた男が少しずつテンポを落とし、適度なところで神谷さんは右手を戻した。男はテンポをそこで固定して再び演奏に没頭しだした。いつの間にか、僕達の周りに若い女性が何人か集まっていた。ますます乗ってきた男が、今までになかったような斬新な打ち方を始めると、神谷さんは右足でリズムを刻んだまま、再び右手を出してそれを制した。男は斬新な打ち方をやめて、元の打ち方に戻した。ほとんど神谷さんは指揮者だった。男の額からは汗が流れ、更に足をとめる人が増えた。僕も無意識のうちに、音に合わせて首を動かしていた、音と音との余韻が連鎖して旋律になった。そして神谷さんもその一部だった。男は赤い帽子から出た長い毛を振り乱して楽器を烈しく叩いた。
 その時、唐突に神谷さんが「太鼓の太鼓のお兄さん! 太鼓の太鼓のお兄さん! 真っ赤な帽子のお兄さん! 龍よ目覚めよ! 太鼓の音で!」と幼稚な詩を大声で唄い出した。僕が止めても、しばらくは神谷さんは唄うことをやめなかった。 


 情景がまざまざと浮かび上がってきます。
 明日も別な個所をピックアップします。又吉さん悪しからず!