昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(126)ICU祭そして泰山荘

2015-10-26 02:34:06 | 三鷹通信
 近くの国際基督教大学の学園祭へ行ってみた。
 
 やってるやってる。売店の売り込みだ。
 
 テニスクラブの富士宮焼きそば?
 
 さすが、外人さんまで「イカガデスカ!」と売り込みに必死だ。
 
 くたびれて芝生でくつろいでいる人も。
 ・・・さすが、佳子さまには会えなかった・・・
 そうだ、今日この学園祭に来た主目的は「泰山荘」なのだ。

 江戸から明治に時代が変わるころ、当時の辺境、蝦夷、樺太、千島列島を探検し「北海道」の名づけ親ともいわれる探検家、松浦武四郎の「一畳敷き書斎」。
 特筆すべきはここに用いられた建材だ。
 各地の社寺や歴史的建造物から古い用材を譲り受けている。
 「木材勧進」という目録によれば、
 白鳳1、奈良2、平安9、鎌倉14、室町6、桃山5、江戸初期17、江戸後期3、
 合計91まで番号が付けられている。
 (ヘンリー・スミス「泰山荘─松浦武四郎の一畳敷の世界」より)
 神田五軒町に建てられたが、以降代々木上原から三鷹へと移築された。
 持ち主も日産自動車、中島飛行機、ICUと管理が移っている。


 さて学園内を学舎、寄宿舎、食堂、図書館など、ぐるぐる歩いていたら、迷ってしまった。
 
 おっ! 和服の人をみかけた。泰山荘でお茶席が催されると聞いていたので付いていった。
 
 泰山荘の門前だ。
 
 予約していなかったのでこれ以上中へは入れない。
 和服姿の美人の写真を撮らせていただいた。

 
 実際の泰山荘。
 その構成は表門、高風居、書院、待合、書庫、蔵から成る。
  
 <年表>
 明治6年 松浦武四郎、岩倉具視邸内の長屋から神田五軒町へ引越。
  ”12年 一畳敷のための用材収集を開始。
   19年 一畳敷完成。
   39年 徳川頼倫、松浦家を訪問、一畳敷を実見。
   41年 麻布、南葵文庫松浦記念室横へ移築。
 大正13年 代々木上原の徳川邸へ移築。
 昭和9年  山田敬亮、三鷹市大沢の土地を購入。
   11年 現在の泰山荘内に移転。
   15年 中島知久平、泰山荘を購入。
   24年 知久平、泰山荘にて死去。
   25年 ICU,泰山荘を含む土地を取得。
 平成11年 泰山荘内の6つの建物が国登録有形文化財となる。
 (以上、ICU泰山荘プロジェクト泰山荘必携より)