昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(80)文明の進化路線に逆らえるか(15)

2011-07-08 04:47:41 | エッセイ
電力の安定供給を重視し、玄海原発再稼働OKだと断を下した海江田経産相に対し、ストレステストを持ち出し、菅首相は<脱原発>に傾斜する姿勢を明確にした。  そして彼は<ひとりぼっちになった>。

 <信なくば立たず> それでも彼は<脱原発>の大義に向けて立つことを決断したのだろうか。

 <文明の進化路線に逆らえるか>に対し、友人からコメントをいただいた。
「(この中で)脱原発は文明の進化路線への反逆であり、革命でもある。  
 また、人間の進歩しようとする性癖を、人間は理性で克服できるのだろうかとも言って、問題提起をしています。
 私は脱原発は、文明の進化の踊り場(少し長くなるかも知れない)だと思います。
 何回もおなじことを言うようですが、文明の進歩が早すぎることが問題で、人間がコントロールができなくなる。
 百年また三百年後にやってくる我々の子孫たちは、もっと知恵を持って現れると思います。人類は進歩を止めることはできません。他の生物との生存競争で勝ち残り、また強調することで生き残って来ました。 
 進化を放棄すれば、肉眼では見えないウイルスにも負けてしまうでしょう。鳥インフルエンザでさえ進化しています。
 地球最後の日まで、人類は進歩を続ける運命にあると思います。


 大津波、大地震に誘発された原発事故で、原発に対する懸念、不安は我が国を覆い尽くしているようにも見える。
 <ひとりぼっち>の菅さんが率いるかどうかは別として、こうしたムードに乗っかって、<再生可能エネルギー>に楽観的な<脱原発>派が台頭して、ドイツやイタリアのように日本をリードすることになるのかもしれない。

 西洋文明を率いて世界を支配していたアメリカ、イギリスなどの体制派に対抗した日独伊枢軸同盟の昔を思い出す。
 急いてはことを仕損じる。
 <脱原発>の理想を掲げて短絡的に、つまり成算もなしに、ムードで事を運ぶのは危険であると言わざるを得ない。
 旗を掲げるのはけっこうだが、処々に目を配りながら、やることは地道に。

 進化路線に突き進むのが人間の特徴であるが、試行錯誤、現状の不具合を克服しながら、一歩一歩進んで行くのも人間の生き方なのだ。