ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

なんだって走るんだ?こんなに辛いのに

2014-12-14 14:07:46 | ランニング
 辛い!本当に辛い!!もう4時間以上も走ったっていうのに、まだ残り10km近くもある。歩こうか、ちょっと立ち止まろうか、ほらほらあの先のエイドステーションで給水とエネルギー補給出来るからそのときはちょっと休憩したっていいんじゃないか、・・・走りながら考えることは、残りの距離とリタイアのことばかり。

 35km過ぎ、とうとう足が攣って歩道に倒れ込んだ時、やばい!って思うと同時に、やったって気持ちもちらと動いた。これでリタイアする理由ができた。この軟弱者の自分に笑っちゃったよ。でも、・・・

 また攣りそう、あっ、やばやば!なんて独り言言いつつも、そろそろと走りだしてるんだ。ラスト近づくと、もう100m単位で、あとなんぼ、あとどんだけって言い聞かせつつ、棒のように固まった足をひたすら前に出す。これってなんなんだ?

 僕だけじゃない。途中行き違ったランナーはほとんど歩くほどのスピード。折り返し前のここでこの時間じゃ絶対制限時間内にゴールできっこない!当人がよーくわかってるはず。なのに、走る!

 僕の前を行く人は上半身不自由なようで、腕は片方しか振れない。片側に大きく傾いた姿勢は、見ていて痛々しい。昨年の長井マラソンでは、片足義足のランナーもいた。

 なんだってそうまでして走るんだ?

 健康のため。うーん、たしかに体の調子は良くなった。高めの血圧は走ることで抑えられている。風邪も引かなくなった。胃腸の具合もきわめて良好、三度のメシが待ち遠しい。肥満?そんなのぜんぜん縁がない。気のせいかもしれないが、虫歯の進行もスローダウンしているような感じさえする。

 体力のため。体力は間違いなく付いた。疲れなくなった。たとえば夜の劇団や演劇学校の稽古でも、数時間立ちっぱなしだってどうってこともない。連日10km走ったからって疲労が溜まるってことも、体に痛み出るなんてこともない。年取ると三日後に疲れが出る、なんて嘘っぱちだからね。

 若返り効果。嘘だろう?って疑う人、走ってみたらいいさ。確実に若くなる。たぶん、僕の現在の肉体年齢は、実年齢より10歳は若いに違いない。あるいは20歳?調子のるな!足の筋肉量とか堅さとか、中年以降に経験したことないほどのものになってる。腹筋だって割れてるし。しかも、鍛えればさらに充実する予感あるなぁ。長い距離走った後太ももとかさわると、おっ、たくましくなってる!って感じるもの。タニタの体重計で体内年齢49歳だしね。まっ、これは体重と脂肪量から割り出してるだけだから、本当の若さってわけじゃないけどね。

 ともかく、ランニングにはたくさんの効用がある。だから、多くの人たちが走ってる。でも、マラソンとなると、・・・

 フルマラソンとかウルトラマラソン(60km,80km,100km)とかトレイルラン(山道を走る)になると、こりゃもしかすると健康を損なってるかもしれんなぁって不安になるハードさだ。あまり熱中すると、寿命縮めることになるかもなぁなんてちらっと思ったりもする。

 でも、走ってるわけだよ、人間は。記録に挑戦するトップアスリートから腹の突き出たおっさんまで。小学生から90歳の爺まで。

 理由は、自分を超えるってことだと思う。1km走って息切れしてたのが、10km走れるようになる。10kmがハーフになり、フルマラソンになる。さらに自分に挑戦してウルトラへ、トレイルランへ。距離を延ばすだけが挑戦じゃない。ハーフなら2時間を切る。フルならサブ4、4時間切り。その間に、自分なりの壁がいくらでも設定できる。その目標を、日々のトレーニングを積み上げつつ、超えていく。乗り越えた時の達成感!到達感!

 人間は、今の自分を、まっ、こんなもんだ俺は、ってどこかで見限っている。成功したにせよ、失敗したにせよだ。最近はやりの、ありのままでいいんだ、なんてメッセージはその典型だ。どうせ変われっこない、このままだ、だったら肯定しちゃいましょうよ、辛いことから目つぶって!ってわけさ。中でも、年齢とか肉体とかは取り替え不可能、諦めるしかない。60歳は60歳、年相応に。止めときな、年寄りの冷や水は。運動音痴は直りっこないから。

 この絶対真理と化した今の自分=本当の自分=変われない自分信仰を簡単じゃないけど打ち破れるのが、走るってことなんだな。誰でもできる。歳に関係なく、運動能力に左右されず、金持ちも貧乏人も。男も女も。爺さんも婆さんも。こつこつと辛さに耐えていけば、いつの日か、思いがけない自分と出会える。若さを取り戻し、体力を身につけ、身体機能が回復し、新たな地平に立った自分を発見する。

 できないと思いこんでいたことがでるようになれば、それは大きな自信につながる。年齢や肉体という面以外でも、前向きにぶつかっていこうという気持ちが生まれてくる。高齢者ならば、迫り来る老いと寿命に昂然と抗っていくことができる。体に不調を抱える人なら、その克服に向けて意欲がわき上がってくる。

 だから、走るんだ。苦しくても、辛くても、制限時間をオーバーしても。だって、戦いの相手は自分なんだから。制限は自分の限界でしかないんだから。


 

 
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