竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 六八 再び鮒と鰒を鑑賞する

2014年04月12日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 六八 再び鮒と鰒を鑑賞する

 ずいぶん昔に載せた記事の焼き直しですが、今回は『万葉集』に載る鮒と鰒の歌を鑑賞します。実はこれらの歌は宴会で詠われた猥歌の可能性が高いものですから、大人の馬鹿話の一つとしてお付き合いをお願いします。つまり、まともな万葉集歌の鑑賞ではありません。

 最初に、その『万葉集』に載る鮒と鰒の歌を鑑賞する前に大人の与太話を紹介します。この大人の与太話が、歌の鑑賞の前提であることをご了解ください。その与太話からの「呆れた意訳=呆訳」です。
 さて、唐突ですが、性に関係する隠語の話をしてみたいと思います。古い言葉ですが「岐神」と記して日本書紀に、その訓みを「此云、布那斗能加微」と記されるように「フナドノカミ」と訓みます。また、古事記ではこの岐神のことを衝立船戸神(ツキタツフナドノカミ)と紹介します。この岐神は、平安時代以降には道教の庚申・道祖神信仰と結びついて、本来、大和神の「塞之大神」や「道反大神」が担っていた役割を肩代わりさせられ、地域の境界を守る御塞神(オサイジン)として解釈されるようになりました。そのためでしょうか、次に紹介する現在の解説では、この「塞之大神」や「道反大神」の役割や道祖神との習合を下にした新しい解釈に従って岐神を説明するのが過半と思います。

デジタル大辞泉より引用
ふなど‐の‐かみ 【岐神】
道の分岐点などに祭られる神。邪霊の侵入を防ぎ、旅人を守護すると信じられた。道祖神。塞(さえ)の神。久那斗(くなど)の神。巷(ちまた)の神。

 ところが、「フナドノカミ」との訓みをされる「岐神」は、どうも本来の神の姿とは、日本書紀の一書に紹介される「是謂岐神、此本号曰来名戸之祖神焉」の「来名戸之祖神(クナトノオヤカミ)」であって、それは勃起した男性器自体や男性が男根を勃起させて女性と性交する様を顕わす神であったようです。そのためでしょうか、この本来の姿である岐神への奉納物として相応しい物だと、陰陽物や陽物を奉納する風習が全国各地に残っています。また、この岐神は女性が夫との子宝授受や夫婦和合を願う時に祀る神とされ、その風習の一例として扶桑略記の天慶二年の項目には、「臍下腰底刻繪陰陽、・・・、号曰岐神。又稱御霊」と紹介します。一部の解説ではアイヌ語を引用して、「クナトノオヤカミ」とは縄文時代に遡る古代大和の男性器を意味する古語であるとしています。さらに「クナト」は「クナグ(婚グ)=男女和合」が本来の言葉で、「クナグ」から「クナト」へと音が転換したとの説もあります。
 この「岐神」と表記して「来名戸之祖神(クナトノオヤカミ)」や「布那斗能加微(フナドノカミ)」と訓むところから、古代から中世の知識者には、漢字表記での「岐神」の漢字表記を仲介して「クナトノカミ」と「フナトノカミ」との呼び名から「クナト」と「フナト」とが言葉遊びでは等価の言葉と扱われた可能性があります。そうした時、時代の流れと共に本来の由緒である杖を大地に立て、邪悪の侵入を遮ると云う「布那斗能加微(フナドノカミ)」が、その由来よりも言葉遊びでの等価の言葉から男性器を代表する「来名戸之祖神(クナトノオヤカミ)」と混同されていったのでしょう。
 さて、隠語が隠語として成り立つには創り手と読み手との間に共通の認識が必要ですから、この岐神の呼び名を仲介として「フナト」と「クナト」の言葉遊びは成り立つと思います。つまり、「フナ」なる音字から「クナ」の音字をイメージすることです。「クナト」は古代から中世では男性器や性交をイメージさせる言葉ですから、猥歌と推理されるような歌に「フナ」なる音字が使われる時、歌の詠い手と聞き手には男性器や性交をイメージした可能性があります。現代人での「H」なる音字と同じ働きがあるであろうと云う推定です。この推定からの飛躍ですが、これを前提に「鮒(フナ)」の字音から、引用する文脈において「フナト」の言葉のイメージが起き、さらにその「フナト」の漢字表記である「岐神」から「クナト」へのイメージ(勃起した男根)が浮かぶとの論理を取ります。

 ここで、少し話題を変えます。
 『万葉集』では海上・沖合を示す言葉の「オクヘ」は「奥邊」や「奥部」と記述するのが一般的ですが、『万葉集』の中で「奥弊」や「奥敝」と特殊な用字をした歌がそれぞれ一首あります。ここで、漢辞海からその解説を恣意的に引用しますと、この「弊」と「敝」の漢字には次の意味を取ることが出来ます。
弊;破れる、疲労する、疲れる、隠す、前に倒す。また、弊は蔽に通じる
敝;破れる、疲労する、疲れる、隠す。また、敝は弊に通じる
 つまり、歌の情景が成熟した男女の関係を前提にしたときに、それが猥歌と区分される歌で使われる「奥弊」や「奥敝」の漢字表記からは、男女の関係において、その文脈によっては奥まった場所にある蔽われた閨での性交の情景をイメージすることも可能になります。逆に歌の鑑賞において男女を詠う集歌625の歌の「奥弊徃」や集歌72の歌の「玉藻苅奥敝」の詞には隠語的な用法での「弊」と「敝」の用字を敢えて行ったのではないかと推定することも可能とする立場です。飛躍ですが、現代人が「淫」や「陰」の漢字に対して持つイメージと同じ感覚です。

 寄り道をしました。本来の趣旨である『万葉集』の鑑賞に進みます。
 寄り道で扱いました、その「鮒」と「弊」との文字が共に使われているのが、つぎの高安王が詠う集歌625の歌です。当然、「漢字交りひらがな表記」へと訓読みされた『訓読み万葉集』と「漢語と万葉仮名だけで表記」された『原文万葉集』とでは、鑑賞する世界は違います。

高安王裹鮒贈娘子謌一首  高安王者後賜姓大原真人氏
標訓 高安王の裹(つつ)める鮒を娘子(をとめ)に贈れる謌一首  高安王は、後に姓(かばね)大原真人の氏(うぢ)を賜へり
集歌625 奥弊徃 邊去伊麻夜 為妹 吾漁有 藻臥束鮒
訓読 沖辺(おくへ)往(い)き辺(へ)を去(い)き今や妹がため吾が漁(すなど)れし藻(も)臥(ふ)し束鮒(つかふな)
私訳 池の沖に出たり岸辺を行ったりして、たった今、愛しい貴女のために私が捕まえた藻の間に隠れていた一握り程の大きさの鮒です。
呆訓 奥辺(おくへ)往(い)き辺(へ)を去(い)き今や妹がため吾が巣(す)などれし藻(も)臥(ふ)し束鮒(つかふな)
呆訳 奥の閨へとやって来た、今夜は私の女となった愛しい貴女のためにと私の体についている、それが貴女の美しい柔毛のところに挿入している握り拳ほどの長さの男根です。
注意 「藻臥束鮒」が隠語ですと、「藻」は陰毛、「束」は握り拳ほどの長さ、「鮒」は男性器を意味します。およそ、「束鮒」なる言葉は標準的な勃起長を示唆します。

 この歌は、宴に招かれた女性に今夜は泊って行きませんかと云うような謎かけの歌とも取れますが、感覚で、くだけた宴での、その宴に出席している女性たちへ墨書して示した猥歌でしょう。この謎かけを理解して「応応」と答えれば、それが飛鳥・奈良時代の「清々し」と表現される女性の心意気を示すと思われます。
 これだけの謎かけの歌ですから宴に参加する娘子達からの答歌があっても良いと思います。そうした時、『万葉集』ではひとつ置いて次のような歌があります。ここで、集歌625の歌が宴での猥歌と推定した上で、それぞれの歌の標を一旦脇に置きますと、集歌625、集歌627と集歌628の歌は連続した宴での歌と解釈が出来ます。
 すると、現代にされる解説では集歌627と集歌628の歌とのそれぞれの「戀」の字を「変」の誤字として解釈していますが、そのような不自然な誤字説を採る必要性はなくなります。つまり、これらの歌は宴で出された肴の干物の鮒から詠いだされた集歌625の歌に隠された意味である貴女を抱きたいとの意を汲んで、娘女が詠う「鮒と鯉」との言葉遊びと「戀水=惚れ薬」の意味合いを許にした戯れの相聞として鑑賞することが可能になります。当然、猥歌では「鮒」が生きの良い男根なら「水」は女性の潤いです。また、奈良時代、精力剤を鹿の角を煮て作ったと云います。そうした時、集歌628の歌の「鹿煮藻闕二毛」の表記が利いてきますし、「戀水」は惚れ薬や精力剤の意味合いを意味していると解釈されます。

娘子報贈佐伯宿祢赤麿謌一首
標訓 娘子(をとめ)の佐伯宿祢赤麿に報(こた)へ贈れる謌一首
集歌627 吾手本 将巻跡念牟 大夫者 戀水定 白髪生二有
訓読 吾が手本(たもと)纏(ま)かむと念(おも)はむ大夫(ますらを)は恋(こ)ふ水(みづ)定め白髪生(お)ひにけり
私訳 私を抱きたいと強く思う立派な男子は、私が飲む惚れ薬の恋の水を手に入れてください。(ぐずぐずしている内に) 貴方の髪には白い髪が生えていますよ。

佐伯宿祢赤麿和謌一首
標訓 佐伯宿祢赤麿の和(こた)へたる謌一首
集歌628 白髪生流 事者不念 戀水者 鹿煮藻闕二毛 求而将行
訓読 白髪生(お)ふる事(こと)は念(おも)はず恋(こ)ふ水(みづ)はかにもかくにも求めて行かむ
私訳 白髪が生えていることは気にかけません。貴女に飲ませる惚れる薬の恋の水は、とにもかくにも捜し求めてから、貴女を尋ねましょう。

 参考に一つ飛ばしました集歌626の歌を、次に紹介します。

八代女王獻天皇謌一首
標訓 八代(やしろの)女王(おほきみ)の天皇(すめらみこと)に獻(たてまつ)れる謌一首
集歌626 君尓因 言之繁乎 古郷之 明日香乃河尓 潔身為尓去
一尾云、龍田超 三津之濱邊尓 潔身四二由久
訓読 君により言(こと)し繁きを古郷(ふるさと)し明日香の川に潔身(みそぎ)せに行く
一尾(あるび)に云はく、龍田越え御津し浜辺にみそぎしに行く
私訳 貴方へのために恋いの噂話が酷いので、故郷の明日香にある川に心を清めるために禊ぎをしに行きます。
或る尾句に云うには「龍田の山を越え、難波の御津の浜辺に禊ぎをしに行く」と。

 ここで、集歌626の歌が詠われた宴で、その宴に列席する男性の多くが明日香で生まれた人々ですと、歌意には鮒が取れた明日香の川に女性が素肌の下半身を沈め、今も元気に泳ぐ鮒に身を曝す意味合いも現れて来ます。ただ、上品過ぎて集歌625の歌の答歌にはなりません。やはり、集歌627の歌の方が面白いとして鑑賞しました。

 次にもう一つ、特別に「敝」の用字を使った式部卿藤原宇合が詠う「奥敝」の言葉が載る集歌72の歌を紹介します。この歌は、伝承では慶雲三年の文武天皇の難波宮への御幸の折りに、十三歳であった藤原馬養(宇合)に夜伽の女性があてがわれ、その翌朝に年少の馬養がその情景を詠ったものとされています。
 この歌には夜伽の女性に後朝として歌を贈ったものと云うより、からかいで昨夜の首尾を聞く大人たちへの答歌の感覚があります。この歌の背景の伝承と用字からの呆訳です。

集歌72 玉藻苅 奥敝波不榜 敷妙乃 枕之邊 忘可祢津藻
訓読 玉藻刈る沖辺(おきへ)は漕がじ敷妙の枕の辺(あたり)忘れかねつも
意訳 玉藻を刈るからとて沖遠くは舟を出すまい。敷妙の枕を交わした人が忘れられないものを。
呆訳 美人の柔毛を別け奥の閨ですることは疲れ果てもう出来ません。褥を敷いて待っていた美しい枕もとのあの人が忘れられないでしょう。
右一首式部卿藤原宇合
注訓 右の一首は、式部卿藤原宇合


 これから紹介する次の集歌327の歌は年増の宮中女官が女犯禁制の僧侶をからかうことに対して、僧侶からの軽い皮肉を込めた答歌として有名な歌です。ここで鰒は古来より女隠を顕わす言葉であることがミソです。なお、標の「賜」の用字から「或娘子等」は女性ですが通觀僧より身分は上ですから、宮中の女官であることが推測されます。
 なお、干鮑は神餞や饗宴での饌食の食材ですから、僧侶に贈答すること自体は特別に奇異なことでも淫靡な意味合いがあるわけではありません。そこからしますと、集歌327の歌が詠われる「特別な前提」が宮中女官と僧侶との間にあったと思われます。それで標での「戯請通觀僧之咒願」の「戯」の言葉の意味が出てきます。

或娘子等賜裹乾鰒戯請通觀僧之咒願時通觀作歌一首
標訓 或(あ)る娘子等(をとめら)の、裹(つつ)める乾鰒(ほしあはび)を賜りて戯(たわむ)れに通觀(つうかん)僧(ほふし)の咒願(しゅがん)を請(こ)ひし時に、通觀の作れる歌一首
集歌327 海若之 奥尓持行而 雖放 宇礼牟曽此之 将死還生
訓読 海神(わたつみ)し沖に持ち行きに放(はな)つともうれむぞこれしよみがへりなむ
私訳 生まれ故郷の海神が宿る沖合い遥かに持っていって海に放ち放生回向をしたとしても、どうして乾鰒が生き返るでしょうか。
呆訓 海女(あま)若(わか)し奥に持ち行きにただ放(はな)ちうれむぞこれしよみがへりなむ
呆訳 まだ若い海女を閨に連れ込み、その体に何度も射精をする。それでもきっと、この男根はなんども勃起をするでしょう。

 参考に食べる鰒(鮑)を詠う歌が催馬楽(さいばら)に「我家」と云う曲名であります。歌の隠れた意味合いにおいて、鮑と栄螺は形で示し、ウニは海胆や海栗でなくあえて「石陰子」の漢字表記で示したと理解するのが良いようです。それで、私の三人の娘は抱き心地が良いから、その内の一人の娘の夫になってくれとの歌の意味が出てきます。この催馬楽は奈良時代、天平十三年の恭仁遷都頃の曲とされていますので、先の集歌327の歌と同時代性があります。歌から、どのような時代であったのかを感じて頂ければ、紹介した鑑賞がある程度の背景があると理解されるのではないでしょうか。
 参考としてくだらない解説ですが、一応、善良・健全な若い人への確認として、鮑はその身をよじり縮める姿が女性器外淫を、栄螺はその形から女性器膣を、石陰子はその漢字表記から女性器全体を暗示する言葉です。真面目に歌を鑑賞すると、この歌もまた性的露骨な歌となっていることに気付かされます。時代です。

わいへは とばり帳(ちょう)も たれたるを 我家は 帷帳も 垂れたるを
おほきみきませ むこにせむ 大君来ませ 聟にせむ
みさかなに なによけむ  御肴に 何よけむ
あはびさだをか かせよけむ 鮑栄螺か 石陰子よけむ
あはびさだをか かせよけむ 鮑栄螺か 石陰子よけむ


 最後に集歌3828の歌は「鮒」の言葉からの勢いでの呆訳です。単なる実験としてご笑納ください。

詠香塔厠屎鮒奴謌
標訓 香、塔、厠、屎、鮒、奴(やつこ)を詠める歌
集歌3828 香塗流 塔尓莫依 川隈乃 屎鮒喫有 痛女奴
訓読 香(こり)塗(ぬ)れる塔(たふ)にな寄りそ川隈(かはくま)の屎鮒(くそふな)食(は)めるいたき女(め)奴(やつこ)
私訳 好い匂いのする香を塗った貴い仏塔には近寄るな。川の曲がりにある厠から流れる屎を餌に育った鮒を食べた臭いがきつい女の召使よ。
呆訳 良い女と同衾する、その立派な男の持ち物にその手で触れるな。川の曲りのところで、どうしようもない男の男根を堪能したとんでもない女よ。


 おまけで、
 「鮒侍」なる言葉が江戸中期以降に有名になりました。そうです。忠臣蔵の浅野匠頭を揶揄する言葉です。一般には「鮒侍」なる言葉に対して「井の中の鮒」なる解説を引用し、世間知らずの田舎者を意味すると説明します。
 さて、このような落語もどきの解説はさておき、本来の仮名手本忠臣蔵では「鮒侍」なる言葉が使われる前段階で、次のようなストリーが展開します。その最終末が「鮒よ、鮒よ、鮒侍だぁ」の罵倒です。それを紹介するのにインターネットから仮名手本忠臣蔵「松の廊下」段を引用します。

 仮名手本忠臣蔵は有名な赤穂事件を元に脚色された義太夫狂言で、当時実名で上演すると幕府からお咎めを受けるので、吉良上野介を高師直、浅野内匠頭を塩冶判官、大石内蔵助を大星由良之助とし、あくまでも南北朝時代の出来事という設定で史実と虚構を巧みに織り交ぜて書かれた名作です。
 鶴ヶ岡八幡の造営を祝い副将軍足利直義が下向し、塩冶判官と桃井若狭之助がその饗応役を勤めることとなりました。高師直はかねてより天下一の美人と名高い塩冶判官の奥方顔世御前に横恋慕をしており、鶴ヶ岡にて恋文を渡し言い寄ります。若狭之助の機転により顔世は無事逃れますがその腹いせに師直は若狭之助を罵倒します。屋敷に戻った若狭之助は余りの口惜しさに師直を斬ろうと決心しますが、是を知った家老の加古川本蔵が、大事に至らぬようにと密かに師直へ莫大な進物を行いました。
 さて、そうとは知らない若狭之助は怒りにまかせ師直と差し違えるつもりで登城し、松の間にて師直主従を見つけ刀に手をかけます。しかし、権高だった師直が一転して卑屈なまでにへりくだって謝ります。刀を抜くきっかけを失った若狭之助は怒りの収まらぬまま師直を罵倒し控えの間に去ります。
 そこへ遅参・登城してきた塩冶判官は、師直に愛妻顔世御前からの手紙を渡し、そこに書かれていた和歌から師直は恋が破れた事を知ります。恋の逆恨みと最前、若狭之助に追従した反動とが重なり師直は判官を散々にいたぶり辱めます。判官は理由の解らぬまま我慢に我慢を重ねますが、最後には「鮒よ、鮒よ、鮒侍だぁ」と罵られて、ついに屈辱に耐えかね刃傷に及んだのです。


 以上の解説からしますと、高師直から見て、塩冶判官は副将軍饗応接待役の務めよりも美人の奥方顔世御前との睦を先として大事な役務に遅参する男だと、人々の前で罵っていることに気付く必要があります。そうした時、仮名手本忠臣蔵は上方で初演された義太夫の作品ですので、当時の上方の言葉や祭事が取り込まれている可能性があります。つまり、「クナト」と「フナト」との言葉遊びの可能性です。そこに塩冶判官は美人の奥方顔世御前との夫婦和合をもっぱらにし、本来の侍の姿が見えないとの罵りが存在する可能性があります。当然、江戸に下っては畿内の言葉からの「クナト」と「フナト」との言葉遊びは理解不能でしょうから、別な解説で刃傷事件の背景を説明する必要が生まれます。それが「井の中の鮒」や「鮒と云ふのも無理はない、もとのおこりはこひの道」なのでしょう。ただ、それは私のような「洒落も知らない井の中の蛙」者には判らない世界です。
 当然、男と云う対面を最重視する武士社会で美人との「H」だけが取り柄の男と揶揄されたら、やはり、対面を保つために決闘をせざるを得ないのではないでしょうか。

 今回は、呆れた法螺話となりました。反省です。ただ、当たりくじがあるのなら、江戸期の作品ですら正確に作品を鑑賞出来ていないと云う手本になるかもしれません。そのとき、『万葉集』は遥か玄遠です。

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