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竹取翁と万葉集のお勉強

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独善か、研究か 万葉集古義の「かにかくに」を考える

2009年09月21日 | 万葉集 雑記
独善か、研究か 万葉集古義の「かにかくに」を考える

 最初に、日本の古典の原文はある時期まで「一字不違」の伝統があり、写筆において原文の改変は一字たりとも行わないのが基本ですし、写筆した本人の誇りでした。そして、万葉集の研究成果による原文の語字の変更・修正は、書き入れによって万葉集と個人の研究を明確に区分していました。
 ところが、現在の万葉集は江戸期から始まった研究方法により、原文自身に筆を入れ改変するようになってきています。このため、時代の万葉集研究者の第一人者が誤読をした場合や第一人者の思想によっては、普段の「万葉集」自身が変質する可能性が生まれました。特に、江戸期以降の万葉集の研究において、万葉集で重要な位置を占める女流歌人に対しては、水戸藩をパトロンとする万葉学者の空想的な「儒教の思想」の視点から万葉集を解釈したために確実に誤読と思われるものがありますし、その解釈の一部に、確信犯として「処女」や「娉」の語字のように誤読・曲訳するものもあります。このような空想的「儒教の思想」の観点からの誤読と原文の修正の例は、別なところで「玉釼」から「玉釵」への誤読による改変や「処女」の曲訳を、原文との比較を挙げて説明しました。
 ここでは、「特定の思想」に基づく万葉集の解釈方法とは別の角度から、もう一つの誤読が発生する可能性について見てみます。
 さて、万葉集に載る人麻呂歌集に以下に紹介する比喩歌の歌があります。これらの歌は比喩歌で、「寄衣」のジャンルに分類されますから、当然、何かを「衣」を使って比喩しているわけです。
 その最初に紹介するものは、万葉集古義以来の「語字の修正を行った正統な原文」とその解釈です。

譬喩謌 寄衣
標訓 比喩歌 衣に寄せたる
集歌1296 今造 斑衣服 面就 吾尓所念 未服友
訓読 今つくる斑(まだら)の衣(ころも)面影(おもかげ)に我(われ)に思ほゆいまだ着ねども
意訳 今、新しく作っている美しい斑の衣が私の瞼に浮かぶ。まだ着てはいないけれど。

集歌1297 紅 衣染 雖欲 着丹穂哉 人可知
訓読 紅(くれなゐ)に衣(ころも)染(そ)めまく欲(ほ)しけども着てにほはばか人の知るべき
意訳 紅の色の衣を染めたいと思うが、着て目立ったら人が知ってしまうであろう。

集歌1298 干各 人雖云 織次 我廿物 白麻衣
訓読 かにかくに人は言ふとも織り継がむ我が機物(はたもの)の白(しろ)き麻衣(あさごろも)
意訳 ああだこうだと人は言っても、織り続けよう。私の織機に掛けたこの白い麻衣は。

 次に紹介する歌は、万葉集で西本願寺本に準拠した原文とその私に行った試訓とその私訳です。集歌1298の歌の初句の漢字表記が、江戸時代の万葉集古義以来の「干各」と西本願寺本に残る万葉集本来の表記である「千名」とで違っています。

譬喩謌 寄衣
集歌1296 今造 斑衣 服面就 吾尓所念 未服友
訓読 今造る斑らの衣(ころも)服面(きおも)就(つ)く吾に念(おも)ひは未だ着ぬとも
私訳 今作っている摺り染めの着物、その由緒ある摺り染め着物は立派な貴方に相応しいと思う。私の心に貴方の私への想いを着せるように、貴方は私が造った衣をまだ着ていませんが。

集歌1297 紅 衣染 雖欲着 丹穂哉 人可知
訓読 紅(くれなゐ)に衣(ころも)を染めて着(き)に欲(ほ)しし丹(あけのに)の秀(ほ)や人の知るべし
私訳 紅色に衣を染め揚げて着て欲しい。そうすれば、朱に映える美貌の貴女の美しさを人が気づくでしょう。

集歌1298 千名人 雖云 織次 我廿物 白麻衣
訓読 千名(ちな)の人(ひと)雖(ただ)云ふけれど織りつがむ我廿物(はたもの)の白き麻(あさ)衣(きぬ)
私訳 多くの人は、私と貴方のことを噂するだけですが、私は織り続けましょう。私が織る、たくさんの、貴方が云うようにどのような色にも染まる白い麻の衣を。

参照
・斑衣は、摺り染めの衣とすると、神事や宮中行事で着る伝統の衣です。
・服面で、「きおも」と読むと着物を着た人の姿です。

 どちらの解釈が比喩歌になっているかは、読者の判断に任せます。
 ただ、集歌1298の歌の「千名人雖云」の万葉仮名表記を鹿持真澄氏が万葉集古義で「干各 人雖云」へと漢字表記を変えた理由は不明ですし、それを支持した現代の万葉学者の理由も不明です。一応、万葉学として形式上は万葉集本来の「千名人雖云」の表記では意味が取れないとの不思議な理由が付けられているようです。つまり、万葉集の第一人者が原文で歌の解釈が出来ないものは、現代の万葉学において「万葉集の原文自体が間違い」とすることが可能なようです。
 また、集歌1297の歌の「着丹穂哉」の漢字表記は、「万葉集古義」以来の定訓では「着てにほはばか」と読みますが、万葉集の歌が詠われた、ほぼ同時代の祝詞と思われる龍田風神祭の祝詞や中臣寿詞に同様な「丹穂」の表記の言葉があり、その読みと意味は「万葉集古義」以来の定訓とは違います。

万葉集の定訓とされる訓読
集歌1297 紅 衣染 雖欲 着丹穂哉 人可知
訓読 紅(くれなゐ)に衣(ころも)染(そ)めまく欲(ほ)しけども着てにほはばか人の知るべき

龍田風神祭の祝詞の一節より
原文 志貴嶋大八嶋國知皇御孫命、遠御膳・長御膳、赤丹穂、聞食五穀物始、
訓読 志貴嶋に大八嶋國知しめしし皇(すめ)御孫(みま)の命(みこと)の遠御膳(とほみけ)の長御膳(ながみけ)と、赤(あか)丹(に)の穂(ほ)に、聞こし食(め)す五(いつくさ)の穀物(たなつもの)を始めて

中臣寿詞の一節より
原文 大倭根子天皇、天都御膳・長御膳・遠御膳、汁實、赤丹穂、所聞食、豊明明御坐、
訓読 大倭根子天皇が天つ御膳(みけ)の長御膳(ながみけ)の遠御膳(とほみけ)と、汁にも實(み)にも、赤(あか)丹(に)の穂(ほ)にも、聞こし食(め)して豊の明(あか)りに明り御坐(おほま)しまして

 この祝詞に出てくる赤い「丹穂」は古代の神事に使用する赤米とされています。古来、神道では「丹穂」の「丹」は生と死を司る聖なるものとされていましたし、「穂」は穀物や植物の「穂先」だけでなく、「秀」、「火」、「陰(ほ)」などの優れたものや大切なものを表す言葉であったようです。人麻呂は草壁皇子の挽歌に祈年祭や中臣寿詞と同じ精神を取り込んでいますから、手前味噌ですが人麻呂の歌の「丹穂」の読みは中臣寿詞のものと同じとするほうが相応しいと考えます。
 参考に、万葉集原文と同様に万葉学者は、二つの国書の原文で、次のように「日本紀」と明確に表記してあっても、これを続日本紀と日本後紀との記事に載る「日本紀」は「日本書紀」の誤記と断定することになっています。

続日本紀より
原文 先是、一品舍人親王奉勅修日本紀。至是功成、奏上紀卅巻・系図一巻。
日本後記より
原文 前日本紀與利以來、未修繼在留久年乃御世御世乃行事乎、勘搜修成弖。續日本紀四十卷進留勞。

 ご存じのように、現在は昭和60年代以前の特別な専門家が資料を独占していた状況とは違い、普段の人々がインターネットを使うと専門家が述べた理由の原本とその根拠を、「日本紀」の記事のように参照と検証が容易に出来ます。

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