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竹取翁と万葉集のお勉強

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「和歌とは何か」 渡部泰明 岩波新書 を読む 続編

2009年08月22日 | 万葉集 雑記
「和歌とは何か」 渡部泰明 岩波新書 を読む 続編

 最初に御断りを申し上げます。
 この文の目的は、素人が万葉集は漢語と漢字で「表記する和歌」とするに対して、万葉集の専門家は万葉集は万葉仮名で音を表した「調べの和歌」とするとの違いと、現在の専門家の万葉集の和歌は自在に訓読みに合わせて原文の漢字を変更している可能性があることの二点を知っていただくことです。出版物に対する誹謗中傷を目的にするものではないことをご理解ください。あくまでも、素人が感じた学問の進化と云う名で万葉集の原文を変えて行くことに対する疑問なのです。

 先日、『「和歌とは何か」 渡部泰明 岩波新書 を読む』で紹介した笠女郎が詠う集歌597の歌について、少し、補足説明をしたいと思います。その補足説明のために、次のように万葉集の原文を紹介します。西本願寺本の表記は、

集歌597 宇都蝉之 人目乎繁見 石走 間近尓 戀度可聞
訓読 現世(うつせみ)の人目を繁み石(いは)走(はし)る間(あひだ)近くに恋ひ渡るかも

です。ここでは「間近尓」の表記に「君」の漢字はありません。ところが、「石走」を「いははしる」ではなく、「いしばしの」と読んで「石橋の」と訓読みすると「間近尓」の訓読みがなりたちません。そこで、「間近尓」の原文の表記を「間近君尓」と「君」の漢字を補って「まちかききみに」と読んで「間近き君に」と解釈することになっています。その補った新しい原文が、次の表記です。

集歌597 宇都蝉之 人目乎繁見 石走 間近君尓 戀度可聞
新訓 現世(うつせみ)の人目を繁み石橋の間近き君に恋ひ渡るかも

 同じ、西本願寺本を底本とする万葉集の本でも講談社文庫の「万葉集(一) 全訳注原文付 中西進 定価本体684円」では、この経緯を注釈に載せ、新しい訓を採用しています。一方、岩波書店の「万葉集一 新日本古典文学大系 定価本体4500円」では、「君」の漢字を補った原文とその新しい訓の結果だけを紹介しています。
 万葉集の歌では、「石走」は「磐走る」と読むのが自然ですが、漢字の意味を考えなければ「いははしの」と読むことは研究として不可能ではありません。ご承知のように、万葉集の勉強には岩波書店の「万葉集 新日本古典文学大系」や小学館の「万葉集 新日本古典文学全集」を使うのが本筋で、講談社文庫の「万葉集 全訳注原文付」を使うのは訓読や意訳が大胆で好ましくないとされています。当然、笠女郎が詠う集歌597の歌については、岩波書店の「万葉集 新日本古典文学大系」では不十分であることは明白なのですが、普段の研究者は原文の漢字から万葉集を読み直して資料とするようなことはしませんから、それで十分なようです。つまり、先日、紹介した訓読みについて私が紹介した万葉集の原文と東京大学文学教授の渡部泰明氏が使われている万葉集の原文とは違うものなのです。そのため、このように長々しく補足説明しないと、素人の私の説明では原文の語句を抜かして解釈したように見えてしまいます。渡部泰明氏は「石走」を孤立した詞としましたが、それは当然です。笠女郎は「石走 間近尓」の歌詞で「君」である大伴家持を間接的に表現したのですが、それを「君」の漢字で直接に補えば歌において二重の表現になり、蛇足です。その点では、「君」の漢字を補ったときに「石走」が孤立した詞になるのは正しいと思います。そのためにした専門家による変更・改変なのですから。
 ただ、研究者では無い普段の素人は、万葉集の原文についてインターネットを使いアメリカや中国のデータベースを利用して、その対照が容易にできますから、研究者が気にしない原文の変化の調査までマナーとしてやってしまいます。参考に、山口大学の吉村教授が創られた万葉集原文のデータは、アメリカのバージニア大学のデータベースにも収められていて、日本の他のデータベースに比べ容易にアクセスが可能です。ただし、この基となったデータの入力は複数の研究生の手によって行われたようで、巻毎の入力精度が若干違います。そのため、全首を比較してみた私個人としては、バージニア大学の「manyousyuu」データベースを使用・引用される場合、講談社文庫の「万葉集 全訳注原文付」と対比して交合して使用することをお勧めします。

 今回の読書感想からは外れますが、笠女郎が読んだ大伴家持に贈った二十四首の歌の中に面白い歌があります。それが、次の歌です。最初にその原文、訓読と表の私訳を紹介します。

集歌594 吾屋戸之 暮陰草乃 白露之 消蟹本名 所念鴨
訓読 吾が屋戸(やと)の夕蔭草(ゆうかげくさ)の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも
私訳 私の家の夕刻のたそがれの中に光る草の白い露、その露が消えてしまいそうに、心もとなく思われてしまいます。

 ここで、原文の表記について万葉集の歌を散歩しますと、歌の詞の「朝果」の示す意味が定まっていないために歌全体の意味が未定のものがあります。それが次の集歌2104の歌です。

集歌2104 朝果 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼
訓読 朝の果(かん)朝露負(お)ひて咲くと云ふ夕(ゆふ)影(かげ)こそは咲きまさりけり
私訳 朝に萱草(カンゾウ)は朝露とともに咲くと云うが、同じ花でも夕萱草(ユウスゲ)の花の方が美しく咲く。

 歌の最初の歌詞である「朝果」について、西本願寺本では「朝果」の表記で、他の伝本では「朝杲」の用例や現代での「朝皃」への改変もあります。この歌からは花の咲き方の比較であることは判るのですが、肝心の「朝杲」が示す花が判らないのです。季節では旧暦で秋に咲き、同じ花ですが「朝の花」と「夕方の花」の開花状況が比較できるような花でなくてはいけません。漢字の表記において、原文の漢字を色々と改変はするのですが、結果として異なった「朝果」、「朝杲」、「朝皃」の漢字の表記は、すべて「朝顔」と訓読みした上で「ノアサガオ」、「キキョウ」、「ムケゲ」等と花自体は特定できていません。つまり、漢字表記を改変したことと和歌の解釈に関係がありませんから、これらの作業は和歌を理解するために漢字の表記を触っているのではなく、文字として漢字の表記を触っているようです。
 さて、漢字は漢語が基準ですから、「朝果」の「果」は漢語で「カ・カン」と発音し「萱」と同じ発音になりますし、まっすぐ伸びた茎の先に花がある姿です。そうすると、飛鳥・奈良時代に人々の間で流行し旧暦の秋に咲く花で、同じ種類の花でも同時期に朝に咲く萱草と夕刻に咲く夕萱草との比較が成立します。
 すると、次に示す集歌2159の歌は、雑草の茂る庭を眺めながらのコオロギの音ではなく、手入れの整った庭に咲く美しい夕萱草(ユウスゲ)を眺めながらのコオロギの音になりますし、その姿はどこにいるか判らないコオロギではなく、場所の特定されたコオロギです。

集歌2159 影草乃 生有屋外之 暮陰尓 鳴蟋蟀者 雖聞不足可聞
訓読 影(かげ)草(くさ)の生ひたる屋外(やと)の夕(ゆふ)影(かげ)に鳴く蟋蟀(こほろぎ)は聞けど飽かぬかも
私訳 夕萱草(ユウスゲ)の花が咲いている屋敷の庭の夕暮の草陰に、鳴くコオロギの音を聞いているが、飽きることがない。

 ここから類推して集歌594の歌の「暮陰草」は「夕萱草(ユウスゲ)」と理解できる可能性があります。歌での笠女郎と大伴家持の関係を想うと、万葉集では大伴家持の父親の旅人が詠った有名な歌が思い浮かびます。

集歌334 萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 不忘之為
訓読 萱草(わすれくさ)吾(わ)が紐に付く香具山の古(ふ)りにし里を忘れずがため
私訳 忘れ草よ。私の着物を纏める紐に付けよう。香具山の、時勢の流れに取り残され去って行った忘れられない故郷の地を忘れるために。

 次に集歌594の歌の詞の「消蟹本名」の漢字表記に注目すると、古事記に面白い記事と歌謡があります。

是を以ちて其の産みましし御子を名づけて、天津日高日子(あまつひこひこ)波限(なぎさ)建(たけ)鵜葺草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)と謂う。
然れども後は、其の伺(かきま)みたまひし情(こころ)を恨みたまへども、戀しき心に忍びずて、其の御子を治養(ひだ)しまつる縁(よし)に因りて、其の弟(おと)、玉依毘賣(たまよりひめ)に附けて、歌を獻(たてまつ)りたまひき。其の歌に曰ひしく、

歌謡7 赤玉は緒さへ光れど 白玉の君が装し貴くありけり

といひき。爾(ここ)に其の比古遲(ひこぢ)、答へて歌ひたまひしく、

歌謡8 沖つ鳥 鴨著く島に我が率寝し妹は忘れじ 世のことごとに

 そして、この歌の背景を補足するものに、古語拾遺に「天祖彦火尊は海神の女豊玉姫命を娉ひ、彦瀲尊を生む。誕育の日に海濱に室を立て、時に掃守連の遠祖天忍人命を陪侍し供奉せしむ。蟹を掃く箒を作り、常に鋪設し遂ふ。以つて職と爲す、号して曰く、蟹守。(今の俗に借守と謂ふはかの詞の轉なり)」と云う一文があります。つまり、集歌594の歌の「蟹本名」をたどると、恋人に約束を破られて恥をかき、別れて行った豊玉毘賣(とよたまひめの)命(みこと)の故事が現れてきます。それは、笠女郎が思う「男に酷い仕打ちをされても、愛して忘れられない女」の姿です。
 つまり、笠女郎の詠う男女の歌の背景や引用されている歌や故事を想う時、集歌594の歌は非常に鬱陶しいものになります。一度、笠女郎と家持の間には体の関係が出来たのでしょうが、相手の女性は超一級の教養人で、人麻呂歌集、男の父親の歌や国書の記事などを引用して「私を捨てたの? 忘れたの? 約束はどうなったの? いつ私を抱いてくれるの?」と責められたら腰が引けるのではないでしょうか。そんな笠女郎が二十四首の歌の最後に家持に投げ掛けた歌が、次の歌です。邪けにされ、踏みつぶされている餓鬼より、もっと貴方に邪けにされていると、詠っています。

集歌608 不相念 人乎思者 大寺之 餓鬼之後尓 額衝如
訓読 相念(おも)はぬ人を思ふは大寺(おほでら)の餓鬼(がき)の後方(しりへ)に額(ぬか)つく如(ごと)
私訳 私が愛しても私を愛してくれない人をあれこれと思うことは、大寺にある護仏の四天王に踏み付けにされている餓鬼の、その後にひれ伏しているようなものです。

 笠女郎は、家持に贈る二十四首の歌から推測して、柿本人麻呂と軽の里の妻との関係を理想としていたような節があります。ですが、人麻呂や旅人とは違い家持には笠女郎の教養は重すぎたようです。笠女郎があと二十年早く生まれていたら、幸せであったかもしれません。
 現在は、研究者にとってその歌の意味が理解できないと原文の漢字を変えたり追加をしていますが、無理にそんなことをしなくても、ここで示したように、十分に万葉集の歌は楽しめるのではないでしょうか。専門の方からの普段の素人への無教養の指摘は当然ですが、素人は論文を知らない分だけ自由ですし、無責任に歌を楽しめます。ただ、知っていただきたいのは、現在の万葉集の専門家が研究する万葉集と普段の人が趣味で楽しむ万葉集は、その原文から始めて違うものである可能性があることです。



参考
笠女郎贈大伴宿祢家持謌廿四首
標訓 笠女郎(かさのいらつめ)の大伴宿祢家持に贈れる歌二十四首
集歌587 吾形見 々管之努波世 荒珠 年之緒長 吾毛将思
訓読 吾が形見(かたみ)見つつ偲(しの)はせあらたまの年の緒長く吾(わ)れも思(おも)はむ

集歌588 白鳥能 飛羽山松之 待乍曽 吾戀度 此月比乎
訓読 白鳥(しらとり)の飛羽(とば)山(やま)松(まつ)の待ちつつぞ吾が恋ひ渡るこの月ごろを

集歌589 衣手乎 打廻乃里尓 有吾乎 不知曽人者 待跡不来家留
訓読 衣手(ころもて)を打廻(うちみ)の里にある吾を知らにぞ人は待てど来(こ)ずける

集歌590 荒玉 年之經去者 今師波登 勤与吾背子 吾名告為莫
訓読 あらたまの年の経(へ)ぬれば今しはと勤(いめ)よ吾が背子吾が名告(の)らすな

集歌591 吾念乎 人尓令知哉 玉匣 開阿氣津跡 夢西所見
訓読 吾が思ひを人に知るれか玉匣(たまくしげ)開き明(あ)けつと夢(いめ)にし見ゆる

集歌592 闇夜尓 鳴奈流鶴之 外耳 聞乍可将有 相跡羽奈之尓
訓読 闇(やみ)の夜に鳴くなる鶴(たづ)の外(よそ)のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに

集歌593 君尓戀 痛毛為便無見 楢山之 小松之下尓 立嘆鴨
訓読 君に恋ひ甚(いた)も便(すべ)なみ平山(ならやま)の小松が下(した)に立ち嘆くかも

集歌594 吾屋戸之 暮陰草乃 白露之 消蟹本名 所念鴨
訓読 吾が屋戸(やと)の夕蔭草(ゆうかげくさ)の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも

集歌595 吾命之 将全牟限 忘目八 弥日異者 念益十方
訓読 吾が命(いのち)の全(また)けむ限り忘れめやいや日に異(け)には念(おも)ひ増すとも

集歌596 八百日徃 濱之沙毛 吾戀二 豈不益歟 奥嶋守
訓読 八百日(やほか)行く浜の沙(まなご)も吾が恋にあに益(まさ)らじか沖つ島守(しまもり)

集歌597 宇都蝉之 人目乎繁見 石走 間近尓 戀度可聞
訓読 現世(うつせみ)の人目を繁み石(いは)走(はし)る間(あひだ)近くに恋ひ渡るかも

集歌598 戀尓毛曽 人者死為 水無瀬河 下従吾痩 月日異
訓読 恋にもぞ人は死にする水無瀬(みなせ)川(かは)下(した)ゆ吾れ痩(や)す月に日に異(け)に

集歌599 朝霧之 欝相見之 人故尓 命可死 戀渡鴨
訓読 朝霧のおほに相見し人故(ゆゑ)に命(いのち)死ぬべく恋ひわたるかも

集歌600 伊勢海之 礒毛動尓 因流波 恐人尓 戀渡鴨
訓読 伊勢の海の礒(いそ)もとどろに寄する波恐(かしこ)き人に恋ひわたるかも

集歌601 従情毛 吾者不念寸 山河毛 隔莫國 如是戀常羽
訓読 情(こころ)ゆも吾は念(おも)はずき山川も隔(へだ)たらなくにかく恋ひむとは

集歌602 暮去者 物念益 見之人乃 言問為形 面景尓而
訓読 夕されば物(もの)念(おも)ひ益(まさ)る見し人の言(こと)問(と)ふ姿面影(おもかげ)にして

集歌603 念西 死為物尓 有麻世波 千遍曽吾者 死變益
訓読 念(おも)ふにし死にするものにあらませば千遍(ちたび)ぞ吾は死に返(かへ)らまし

集歌604 劔太刀 身尓取副常 夢見津 何如之恠曽毛 君尓相為
訓読 剣(つるぎ)太刀(たち)身(み)に取り副(そ)ふと夢(いめ)に見つ如何(いか)なる怪(け)そも君に相(あ)はむため

集歌605 天地之 神理 無者社 吾念君尓 不相死為目
訓読 天地の神の理(ことわり)なくはこそ吾が念(おも)ふ君に逢はず死にせめ

集歌606 吾毛念 人毛莫忘 多奈和丹 浦吹風之 止時無有
訓読 吾も念(おも)ふ人もな忘れおほなわに浦吹く風の止(や)む時もなし

集歌607 皆人乎 宿与殿金者 打礼杼 君乎之念者 寐不勝鴨
訓読 皆(みな)人(ひと)を寝(ね)よとの鐘(かね)は打つなれど君をし念(も)へば寝(い)ねかてぬかも

集歌608 不相念 人乎思者 大寺之 餓鬼之後尓 額衝如
訓読 相念(おも)はぬ人を思ふは大寺(おほでら)の餓鬼(がき)の後方(しりへ)に額(ぬか)つく如(ごと)

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