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竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 三二三 今週のみそひと歌を振り返る その一四三

2019年06月15日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 三二三 今週のみそひと歌を振り返る その一四三

 先週から巻十五 中臣朝臣宅守与狭野弟上娘子贈答歌の組歌に入り、鑑賞しています。すでに紹介しましたように弊ブログではこの贈答歌の組歌とは何らかの歌物語と考えており、その歌物語は原万葉集の編纂、それも後半部分の編纂状況を示すものと考えています。
 原万葉集の前半部となる「奈弖之故」の編纂に関わった橘諸兄と丹比国人はすでに失脚しています。このため、後半の「宇梅乃波奈」の編纂は都に残った人たちに託されています。それも強度に唐や百済の漢風文化を好む藤原仲麻呂(恵美押勝)や百済系氏族たちの圧迫下にあります。そうした状況下での原万葉集後半部の編纂状況を示すものと考えています。

 今週もひどい妄想や空想を最初に紹介しましたが、鑑賞はこの妄想と空想が背景です。
 さて、編纂の建前からしますと、中臣宅守と狭野弟上娘子との相聞問答で奈良の都でのものは先週に鑑賞しました集歌3730の歌で終わりとなり、それ以降は配流先の中臣宅守と都に残る弟上娘子との相聞問答となります。つまり、建前では相当の地理上での距離感と和歌交換での時間的距離感があることになります。奈良の都いる藤原房前と九州大宰府にいる大伴旅人のような朝廷高官と云う立場であっても書簡交換に数か月を要しますから、犯罪者の中臣宅守と狭野弟上娘子にあってはそれ以上の時間が必要だと云う社会的現実を想像してください。

集歌3730 加思故美等 能良受安里思乎 美故之治能 多武氣尓多知弖 伊毛我名能里都
訓読 畏(かしこ)みと告(の)らずありしをみ越し路の手向(たむ)けに立ちて妹が名告(の)りつ
私訳 恐れ多いと貴女(万葉集)の名前を口に出さずにいましたが、配流先へ山を越して行く道の手向けの場に立って、貴女(万葉集)の名前を思わず口に出してしまった。
左注 右四首、中臣朝臣宅守上道作歌
注訓 右は四首、中臣朝臣宅守の上道(みちたち)に作れる歌
私訳 右の四首は、中臣朝臣宅守が配流地への道中に上るに当たって作った歌。

 一方、中臣宅守と狭野弟上娘子との相聞問答において、集歌3741の歌と集歌3745の歌は使う表現表記などからすると応答関係にあると思われます。つまり、最初に配所に着いた中臣宅守から集歌3741の歌などの歌が贈られ、その贈られた歌に合わせて弟上娘子が集歌3745の歌などの返歌を返したと考えられます。標準の解釈では集歌3753の歌からしますと中臣宅守は配所で都から贈られてきた衣と手紙類を受け取ったことになっています。

集歌3741 伊能知乎之 麻多久之安良婆 安里伎奴能 安里弖能知尓毛 安波射良米也母
訓読 命をし全(また)くしあらばあり衣(きぬ)のありて後(のち)にも逢はざらめやも
私訳 貴女(万葉集)の心が変わりなくあるのならば、玉のように美しい衣が常にあるようにいつかは貴女に逢えないことがあるでしょうか。
説明 「あり衣のありて」は訳さずに音感を取るほうがよいでしょう

集歌3745 伊能知安良婆 安布許登母安良牟 和我由恵尓 波太奈於毛比曽 伊能知多尓敝波
訓読 命(いのち)あらば逢ふこともあらむ吾(あ)がゆゑにはだな思ひそ命だに経(へ)ば
私訳 生きていれば、また(万葉集と)見ることもあるでしょう。私の万葉集の編纂の状況のためにそんなにひどく思い込めないで、貴方の命さへ永らえれば。

集歌3753 安波牟日能 可多美尓世与等 多和也女能 於毛比美太礼弖 奴敝流許呂母曽
訓読 逢はむ日の形見にせよと手弱女(たおやめ)の思ひ乱(みだ)れて縫へる衣(ころも)ぞ
私訳 貴方に再び逢う日までの形見にして下さいと、力不足の私が思い乱れて編纂した万葉集の草稿です。
左注 右九首、娘子
注訓 右は九首、娘子
私訳 右の九首は、娘子の贈答歌

 すると、配所で中臣宅守が都に残る弟上娘子から返歌をもらうのはどんなに早くても半年以上の月日が経った後ということになります。
 ここで季節に注目しますと、その弟上娘子から返歌である集歌3746の歌からすると夏でしょう。まず、稲刈り後ではないでしょう。

集歌3746 比等能宇々流 田者宇恵麻佐受 伊麻佐良尓 久尓和可礼之弖 安礼波伊可尓勢武
訓読 人の植(う)うる田は植ゑまさず今さらに国別れして吾(あ)れはいかにせむ
私訳 いつもなら貴方が植える田は今は誰も田植えをされないように、貴方が編纂すべき万葉集を編纂する人もいなくて、今は他国と住む場所を別れて、私はどうしたらよいのでしょう。

 一方、弟上娘子から返歌に対する返事となる中臣宅守が詠う歌である集歌3754の歌を詠いますから、和歌での約束事からすると初夏です。もう、ここで1年の月日が経っていることになります。

集歌3754 過所奈之尓 世伎等婢古由流 保等登藝須 多我子尓毛 夜麻受可欲波牟
訓読 過所(くわそ)なしに関飛び越ゆる霍公鳥(ほととぎす)髣髴(おほ)しが子にも止まず通はむ
私訳 関所の通行手形を持つことなく、関所を飛び越えるホトトギス、そのように身分や場所を越えての弓削皇子と額田王との吉野の相聞歌や人麻呂の吉備津采女死時の歌にも、そんな万葉集に絶えることなく心を通わせます。

 その集歌3754の歌などの返しが次の集歌3770の歌です。これも和歌の約束からしますと「アジ鴨」を詠いますから秋となります。すでに半年がたっていることになります。

集歌3770 安治麻野尓 屋杼礼流君我 可反里許武 等伎能牟可倍乎 伊都等可麻多武
訓読 あぢ真野に宿れる君が帰り来む時の迎へをいつとか待たむ
私訳 配流地のあぢの群れが鳴き騒ぐ原野に宿泊されている貴方が帰ってくる時のお迎えは何時かと待っています。
注意 普段の解説は「安治麻野」を味真野と訓読みして越前市味真野を示しますが、万葉集では「あぢ」はアジ鴨を指します。私は「あぢ真野」を一般名称としてアジ鴨の棲む原野としています。

 そして次の歌は標準的には天平十二年六月にあった大赦にちなむものとされています。

集歌3772 可敝里家流 比等伎多礼里等 伊比之可婆 保等保登之尓吉 君香登於毛比弖
訓読 帰りける人(ひと)来(き)たれりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて
私訳 帰って来る人が来たと云ったので、ほとんど死にそうになりました。貴方かと思って。

 すると、時間的経緯と季節感を追いかけますとこれらの弟上娘子からの返事に先行する歌々に大赦に漏れた大きな感情があってもよいと思われるのですが、それもありません。そこが不思議となります。建前では同じ配流先にいる大勢の刑罰者の中でただ一人、中臣宅守だけが大赦の対象から外されています。そのような状況ですが、歌にその感情がありません。

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