万葉雑記 色眼鏡 三一五 今週のみそひと歌を振り返る その一三五
今週もまだ巻十四 東歌の鑑賞です。いろいろとテーマはありますが、今回は弊ブログ独特の解釈をする「人妻」について遊びます。
江戸期から明治期までは儒教からの建前をもって万葉集の歌を鑑賞します。そのため、万葉集での「処女」は未だ男を知らない生娘、未通娘と解釈しますし、「人妻」は他の男と婚姻している女であるから、その女との恋愛は不義になるから忌諱すべきことと解釈します。ところが、万葉集の時代、「処女」は漢文・漢語からしますと「実家に住む娘」以外の意味は持ちません。そのため、奉公に出たとか、入嫁した女でなければ、子沢山の女でも処女となります。
さて、飛鳥時代、妻問ひされる女の恋愛は不義と云う倫理や社会的な忌諱はあったでしょうか。弊ブログはそのようなものはなかったという立場です。
最初に今週、鑑賞しました集歌3557の歌を再掲します。
集歌3557 奈夜麻思家 比登都麻可母与 許具布祢能 和須礼波勢奈那 伊夜母比麻須尓
訓読 悩(なや)ましけ人妻かもよ漕ぐ舟の忘れはせなないや念(も)ひ増すに
私訳 心を悩ます自分の思いのままにならない娘だなあ、漕ぐ舟がやがて視界から消えるように、心から消えるどころか、恋焦がれる思いは増すのに。
ここで、次の集歌3472の歌を見てください。これが飛鳥から奈良時代での人々の感覚です。現代では非難されますが、昔の男には「減るものではないのだから、抱かせてくれ」と云う発想がありました。集歌3472の歌の世界はその発想そのままです。
歌の解釈において、人妻の「人」を、自分と他の人との関係での「人」としています。特定の夫婦関係での「人妻」と解釈していません。そこから、自分の所有でなくても所有者の承認があれば使えると云う感覚が現れます。「妻問ひ婚」か「入り嫁婚」かの状態の解釈が重要です。「妻問ひ婚」の時代に、庶民に「人妻不可触」のルールがあったとは思えません。歌において「いやよ」と拒否している女も他の男の妻だからと云う理由から拒否しているのか、強引だからなのか、そこは不明です。
集歌3472 比登豆麻等 安是可曽乎伊波牟 志可良波加 刀奈里乃伎奴乎 可里弖伎奈波毛
訓読 人妻と何(あぜ)かそを云はむ然(しか)らばか隣の衣(きぬ)を借りて着(き)なはも
私訳 「私は貴方の自由にならない女よ」と、どうして、そのように云う。それならば、困った時に隣の家の着物を借りて着ないのか。
もう一つ、江戸期から昭和初期まで夫婦間において妻は夫の所有物と云う風習があり、夫は妻を賃貸することが出来ました。この感覚からしますと、妻が他の男と交際をするなら男は夫の承認が必要ですし、場合により借り賃の支払いが求められます。江戸期では不義密通や姦通などの問題が生じたとき、女を妾奉公に出したという建前の処理が行われて、男から夫に奉公賃相当の金額で落とし前を付けたと云います。
校本万葉集の読解はこのような時代に行われたものですから、そのような時代感覚や社会風習から抜け出し、飛鳥から奈良時代の自由な恋愛社会は理解できなかったと考えます。そして同時期、宮武骸骨氏を代表として万葉集で相聞歌を詠う女流歌人を淫売女、商売女と罵倒しています。これが校本万葉集の時代感覚ですので「人妻不可触」と云う古代の妻問ひ婚時代にそぐわない解釈が生まれたのでしょう。
次の集歌3539の歌は、崖のそばに馬を繋ぐのは危険、それと同じように他の男の妻にてを出すのは危険だと云うふうには解釈していません。不確実と云うことをテーマに詠っているとしています。そこが標準的な解釈とは違います。
集歌3539 安受乃宇敝尓 古馬乎都奈伎弖 安夜抱可等 比等豆麻古呂乎 伊吉尓和我須流
訓読 崩岸(あず)の上(うへ)に駒を繋ぎて危(あや)ほかと人(ひと)妻(づま)子ろを息(いき)に吾(わ)がする
私訳 崩れた崖の上に駒を繋いで危ないと云うように、恋することは当てにならないと云う自分の思うようにならない娘子の、その娘を生きがいと私は選ぶ。
集歌2866の歌もまた、自分と他人の関係から吾妻や人妻と解釈します。このような解釈が前提ですから歌の三句目「酢衣乃」を「皮為酢寸」、「翼酢色之」、「酢軽成野之」などと同様に「すころもの=素衣の」と訓じています。標準訓である「さころもの=さ衣の」として「さ」は意味を持たない接頭語のような解釈はしません。ここでの「素衣」は染めていない衣と解釈し、模様のない純白の衣であり、妻問ひの夜の女性の夜着と解釈しています。
もし、初句の「人妻」に対し「人妻不可触」と云う言葉の解説をしたとき、この歌は成り立つのでしょうか。人妻たる女とその女に恋した男は、今、夜の床で抱き合っています。そこで、女から男に、今一度、ここで口説けと責めています。そのような場面で、「人妻不可触」ですか。
集歌2866 人妻尓 言者誰事 酢衣乃 此紐解跡 言者孰言
訓読 人妻(ひとつま)に言ふは誰が事素(す)衣(ころも)のこの紐(ひも)解(と)けと言ふは誰が言(こと)
私訳 自分の思いのままにならない女に愛を誓っているのは誰のなさり様ですか。私を抱きたいとばかりに「俺のために純白の夜着の下紐を解かないかなあ」と神に願うのは誰の願いですか。
今回、「人妻」と云う言葉で遊びましたが、要は江戸期から明治期の言葉感覚で飛鳥・奈良時代の言葉が解釈できるのかと云うことに行き着きます。同じことが平安時代最末期から鎌倉時代にも生じています。もし、江戸期から明治期の言葉感覚で飛鳥・奈良時代の言葉は解釈できないのですと、同様に平安時代最末期から鎌倉時代の言葉感覚で飛鳥・奈良時代の言葉は解釈できません。
飛鳥・奈良時代の言葉は大陸からの漢語や漢字を輸入して大量の単語が生み出された時代です。従いまして、歌を解釈すると、もし、歌の解釈がぎくしゃくするなら、一度、伝統の訓じを保留し、漢語や漢字の語源や意味まで探る必要があるのではないでしょうか。ただ、このような鑑賞スタイルは雑事に追われる万葉集研究者では時間が足りないでしょうから、市井の社会人が趣味の範囲で研究すべき事柄と思います。ただし、ここで指摘することは摘まみ食いの語釈研究を意味しません。本来の言葉に立ち戻り、歌本来の鑑賞の薦めです。
歌言葉の語尾活用研究やピックアップした語釈研究は翻訳された漢字交じり平仮名歌には有効ですが、本来の漢語と借音真仮名だけの原歌表記のものには適用のしようがありません。言葉の規則や語彙の概念が形作られる段階でのものへ、そこから作り上げられた後でのものが規則正しく適用できるかは、だれがどのように判定するのでしょうか。こうした時、定家仮名遣いで正しく翻訳された漢字交じり平仮名歌や訓読み万葉集を参照例題に挙げるのは無しです。
今週もまだ巻十四 東歌の鑑賞です。いろいろとテーマはありますが、今回は弊ブログ独特の解釈をする「人妻」について遊びます。
江戸期から明治期までは儒教からの建前をもって万葉集の歌を鑑賞します。そのため、万葉集での「処女」は未だ男を知らない生娘、未通娘と解釈しますし、「人妻」は他の男と婚姻している女であるから、その女との恋愛は不義になるから忌諱すべきことと解釈します。ところが、万葉集の時代、「処女」は漢文・漢語からしますと「実家に住む娘」以外の意味は持ちません。そのため、奉公に出たとか、入嫁した女でなければ、子沢山の女でも処女となります。
さて、飛鳥時代、妻問ひされる女の恋愛は不義と云う倫理や社会的な忌諱はあったでしょうか。弊ブログはそのようなものはなかったという立場です。
最初に今週、鑑賞しました集歌3557の歌を再掲します。
集歌3557 奈夜麻思家 比登都麻可母与 許具布祢能 和須礼波勢奈那 伊夜母比麻須尓
訓読 悩(なや)ましけ人妻かもよ漕ぐ舟の忘れはせなないや念(も)ひ増すに
私訳 心を悩ます自分の思いのままにならない娘だなあ、漕ぐ舟がやがて視界から消えるように、心から消えるどころか、恋焦がれる思いは増すのに。
ここで、次の集歌3472の歌を見てください。これが飛鳥から奈良時代での人々の感覚です。現代では非難されますが、昔の男には「減るものではないのだから、抱かせてくれ」と云う発想がありました。集歌3472の歌の世界はその発想そのままです。
歌の解釈において、人妻の「人」を、自分と他の人との関係での「人」としています。特定の夫婦関係での「人妻」と解釈していません。そこから、自分の所有でなくても所有者の承認があれば使えると云う感覚が現れます。「妻問ひ婚」か「入り嫁婚」かの状態の解釈が重要です。「妻問ひ婚」の時代に、庶民に「人妻不可触」のルールがあったとは思えません。歌において「いやよ」と拒否している女も他の男の妻だからと云う理由から拒否しているのか、強引だからなのか、そこは不明です。
集歌3472 比登豆麻等 安是可曽乎伊波牟 志可良波加 刀奈里乃伎奴乎 可里弖伎奈波毛
訓読 人妻と何(あぜ)かそを云はむ然(しか)らばか隣の衣(きぬ)を借りて着(き)なはも
私訳 「私は貴方の自由にならない女よ」と、どうして、そのように云う。それならば、困った時に隣の家の着物を借りて着ないのか。
もう一つ、江戸期から昭和初期まで夫婦間において妻は夫の所有物と云う風習があり、夫は妻を賃貸することが出来ました。この感覚からしますと、妻が他の男と交際をするなら男は夫の承認が必要ですし、場合により借り賃の支払いが求められます。江戸期では不義密通や姦通などの問題が生じたとき、女を妾奉公に出したという建前の処理が行われて、男から夫に奉公賃相当の金額で落とし前を付けたと云います。
校本万葉集の読解はこのような時代に行われたものですから、そのような時代感覚や社会風習から抜け出し、飛鳥から奈良時代の自由な恋愛社会は理解できなかったと考えます。そして同時期、宮武骸骨氏を代表として万葉集で相聞歌を詠う女流歌人を淫売女、商売女と罵倒しています。これが校本万葉集の時代感覚ですので「人妻不可触」と云う古代の妻問ひ婚時代にそぐわない解釈が生まれたのでしょう。
次の集歌3539の歌は、崖のそばに馬を繋ぐのは危険、それと同じように他の男の妻にてを出すのは危険だと云うふうには解釈していません。不確実と云うことをテーマに詠っているとしています。そこが標準的な解釈とは違います。
集歌3539 安受乃宇敝尓 古馬乎都奈伎弖 安夜抱可等 比等豆麻古呂乎 伊吉尓和我須流
訓読 崩岸(あず)の上(うへ)に駒を繋ぎて危(あや)ほかと人(ひと)妻(づま)子ろを息(いき)に吾(わ)がする
私訳 崩れた崖の上に駒を繋いで危ないと云うように、恋することは当てにならないと云う自分の思うようにならない娘子の、その娘を生きがいと私は選ぶ。
集歌2866の歌もまた、自分と他人の関係から吾妻や人妻と解釈します。このような解釈が前提ですから歌の三句目「酢衣乃」を「皮為酢寸」、「翼酢色之」、「酢軽成野之」などと同様に「すころもの=素衣の」と訓じています。標準訓である「さころもの=さ衣の」として「さ」は意味を持たない接頭語のような解釈はしません。ここでの「素衣」は染めていない衣と解釈し、模様のない純白の衣であり、妻問ひの夜の女性の夜着と解釈しています。
もし、初句の「人妻」に対し「人妻不可触」と云う言葉の解説をしたとき、この歌は成り立つのでしょうか。人妻たる女とその女に恋した男は、今、夜の床で抱き合っています。そこで、女から男に、今一度、ここで口説けと責めています。そのような場面で、「人妻不可触」ですか。
集歌2866 人妻尓 言者誰事 酢衣乃 此紐解跡 言者孰言
訓読 人妻(ひとつま)に言ふは誰が事素(す)衣(ころも)のこの紐(ひも)解(と)けと言ふは誰が言(こと)
私訳 自分の思いのままにならない女に愛を誓っているのは誰のなさり様ですか。私を抱きたいとばかりに「俺のために純白の夜着の下紐を解かないかなあ」と神に願うのは誰の願いですか。
今回、「人妻」と云う言葉で遊びましたが、要は江戸期から明治期の言葉感覚で飛鳥・奈良時代の言葉が解釈できるのかと云うことに行き着きます。同じことが平安時代最末期から鎌倉時代にも生じています。もし、江戸期から明治期の言葉感覚で飛鳥・奈良時代の言葉は解釈できないのですと、同様に平安時代最末期から鎌倉時代の言葉感覚で飛鳥・奈良時代の言葉は解釈できません。
飛鳥・奈良時代の言葉は大陸からの漢語や漢字を輸入して大量の単語が生み出された時代です。従いまして、歌を解釈すると、もし、歌の解釈がぎくしゃくするなら、一度、伝統の訓じを保留し、漢語や漢字の語源や意味まで探る必要があるのではないでしょうか。ただ、このような鑑賞スタイルは雑事に追われる万葉集研究者では時間が足りないでしょうから、市井の社会人が趣味の範囲で研究すべき事柄と思います。ただし、ここで指摘することは摘まみ食いの語釈研究を意味しません。本来の言葉に立ち戻り、歌本来の鑑賞の薦めです。
歌言葉の語尾活用研究やピックアップした語釈研究は翻訳された漢字交じり平仮名歌には有効ですが、本来の漢語と借音真仮名だけの原歌表記のものには適用のしようがありません。言葉の規則や語彙の概念が形作られる段階でのものへ、そこから作り上げられた後でのものが規則正しく適用できるかは、だれがどのように判定するのでしょうか。こうした時、定家仮名遣いで正しく翻訳された漢字交じり平仮名歌や訓読み万葉集を参照例題に挙げるのは無しです。
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