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竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百四十 万葉人の色彩を楽しむ

2015年10月17日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百四十 万葉人の色彩を楽しむ

 今回は万葉集の歌に現れる色彩を鑑賞します。それも、服飾の色彩を中心に据えて歌を鑑賞したいと思います。
(奈良時代の色彩は次のHPを参照ください。https://irocore.com/tag/%E5%A5%88%E8%89%AF%E3%81%AE%E8%89%B2/)
 服飾の色彩の歴史では飛鳥浄御原宮の時代まではそれほどには服飾の色彩は多彩ではなかったようですが、藤原京から前期平城京時代に急速に各種の染料が輸入され、また、染色技術が大唐からもたらされたようです。それを反映するのでしょうか、人麻呂時代から旅人時代へと遷るに連れて多彩な色合い、それも華やかな紅(くれなゐ)や蘇芳(すほう)のような紅系統の色が現れて来るようです。
 色彩には国力と社会状況の反映があるとされますから、それらを想像して歌を鑑賞して頂けたら幸いです。

 初めに人麻呂時代のものを鑑賞します。それも飛鳥浄御原宮時代のものです。

集歌503 珠衣乃 狭藍左謂沉 家妹尓 物不語来而 思金津裳
訓読 玉衣(たまきぬ)のさゐさゐしづみ家(へ)し妹(いも)に物言はず来(き)に思ひかねつも
私訳 美しい衣を染めるために藍瓶に沈める、そのように私の心は沈み込む、私の妻である貴女を後に置いて声を掛けずに出かけてきて、後悔しています。

 この歌を鑑賞する時、五行思想からしますと末句「思金津裳」の「金」は白色を意味しますから、人麻呂の妻の服装は「珠衣乃狭藍」から連想しますと現代で云う「甕覗」に分類される淡い藍色に染められた前合わせの衣を纏い、その衣に白色の裳を付けていたと推定されます。
 伝統では上流階級の女性は腰まで伸びるような黒髪を美の象徴としますから、人麻呂の妻には淡い藍色に染められた衣、白い裾裳、それに黒髪と云う色彩があります。なお、呉藍は染色を意味しましたから、場合により「狭藍」は「うす染め」の意味だけかもしれません。それでも常の人は紫や紅系統の染色は禁色ですから、消去法からも藍色、褐色、黒褐色系に絞られるでしょうか。

 次に紹介する歌は人麻呂時代ですが、先の集歌503の歌より時代が下り、藤原京時代のものです。

集歌1672 黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉裙須蘇延 往者誰妻
訓読 黒牛潟(くろうしがた)潮干(しほひ)の浦を紅(くれなゐ)し玉裳(たまも)裾(すそ)引(ひ)き行くは誰(た)が妻
私訳 黒牛の潟の潮が干いた浜辺を紅の美しい裳の裾を引いて歩いているのは誰の恋人でしょうか。

 さて、染料の中に蘇芳と云う色があります。インドやマレー半島を原産とする植物系染料で奈良時代頃渡来したとされます。色合いとして落ち着いた紅色である蘇芳と云う色として独立した染料としても、また、紅や紫紺の代用品としても貴族社会で非常に流行した色です。奈良時代、紅系の染料としては茜、紅花、蘇芳がありましたが、茜や紅花は国産栽培が可能ですが、蘇芳は輸入産品で貴重な染料です。時代と輸送状況を反映して、桃山時代以降の大量に蘇芳が輸入された時代とはその価値感は大きく違うようです。
 また、当時も紅花は各地の産地で花弁を集め洗浄・発酵後に紅餅と云うような玉状に成型して調物となり、都へと送られたようです。これを踏まえると歌の「紅玉」と云う表現にはその染色の技法を示唆している可能性があります。
 ところで、歌は「紅玉裙須蘇延」と詠います。その時、そこでは「裳(も)」の用字ではなく「裙(くん)」の用字です。人麻呂時代と云う時代を想像しますと女性のファッションにおいて重ね着スタイルを下に「裙(くん)」は下の巻スカート風の「も」であり、「裳(も)」は上の巻スカート風の「も」と云う姿を暗示させています。また「紅玉」と「蘇延」と云う表現ですから、そこには「裳」は紅花染の明るい紅色(韓紅色;からくれない、または桃色;つきそめ)、「裙」はそれよりも落ち着いた紅色(蘇芳)だったと推定されます。
 歌を歌として鑑賞しますと、このように女性のファッションが鮮やかによみがえり、想像を掻き立てられます。これは人麻呂が漢字を自在に操った天才であったためでもあります。

 次の歌は末採花と云う言葉がキーワードの歌です。つまり、紅花のこととなります。万葉時代では古代に中国から渡来した染料と云うことで集歌2623の歌で詠われるように呉藍(からのあい、くれのあい)とも称しています。

集歌1993 外耳 見筒戀牟 紅乃 末採花之 色不出友
訓読 外(よそ)しのみ見つつ恋ひなむ紅(くれなゐ)の末摘花(うれつむはな)し色し出(い)でずとも
試訳 今は遠くからだけ貴女の姿を眺めて恋い慕いましょう。紅の末摘花の色のように、今はまだはっきりと将来の貴女のあでやかな姿が現れていなくても。

<参考歌>
集歌2623 呉藍之 八塩乃衣 朝旦 穢者雖為 益希将見裳
訓読 紅(くれなゐ)し八汐(やしほ)の衣(ころも)朝(あさ)な朝(さ)な穢(な)れはすれどもいやめづらしも
私訳 紅花によって紅色に何度も染めた衣は、貴女との出逢いの朝毎に穢れていく(=夜の男女の行いに床の敷栲がシワになる)。その言葉のひびきではないが、貴女との関係に馴れていきますが、でも、貴女はいつも新鮮で鮮やかです。

 ここで、集歌1993の歌を歌としてそのままに鑑賞しますと「末採花之色」の色彩は紅色ではありません。色は黄色みのするオレンジ色です。歌での表現「紅乃末採花」は紅の染料を取る末採花の意味合いであって、紅色をした末採花という意味ではありません。
 どういうことかと云いますと、紅花は外側(古語で「末」)から開花した花を摘み、その花を水洗いして、黄色の成分を洗い流し、花びらに残った紅色の成分だけ紅餅と云う形で取り出しそれを染色に利用します。そのため、この手間がかかっていない生の状態の末採花は紅色ではないのです。
 さらに染色では染料原料となる紅餅を灰汁溶液に溶かし込み、それに布を漬け一次染色(アルカリ染色)の工程に入ります。その一次染色から烏梅(ウバイ)から作られた溶液により徐々に酸性溶液と変化させることで、より紅色の濃い染色へと進行させて行きます。この烏梅で調整された紅染染料に何度も布を潜らせることで色は深みを増して行きます。その何度も何度も染色工程を繰り返す様を集歌2623の歌では「呉藍之 八塩乃衣」と詠います。
 このような染色工程がありますから集歌1993の歌では「紅乃末採花之色不出」と詠うのです。もし、集歌1993の歌が男歌ですと、手塩のかかっていない初々しい娘女に対して、今の幼い姿に将来の手塩をかけて育ち、女へと羽化した先の乙女の姿を眺めているとも鑑賞が出来ることになります。歌を鑑賞する時、染色方法までも考慮しますと、従来の歌の鑑賞とは違った方角から鑑賞することが可能となります。

 その染色方法に関係しまして、紅花染の衣は草木染の弱点である紫外線などによる劣化や水性染料であることからの洗濯や水濡れなどの要因による退色と云う問題があります。また、紅花は花を最初に黄色系の成分を洗浄することで抜きますが、その黄色に染まった洗浄後の溶液の再利用として布を染色することも行っていました。このような状況がありますから、次に紹介する歌は解釈に幅が出て来ます。

集歌4109 久礼奈為波 宇都呂布母能曽 都流波美能 奈礼尓之伎奴尓 奈保之可米夜母
訓読 紅(くれなゐ)はうつろふものぞ橡(つるはみ)の馴(な)れに衣(きぬ)になほ及(し)かめやも
私訳 紅色は、やがて、色褪せるものです。橡で赤き白橡色に染めた着なれた衣に、どうして、及ぶでしょうか。

 この集歌4109の歌は官位を持たない最下級の役人で史生を務める尾張少咋が同居する妻を捨て、遊行女の左夫流に心を奪われた時に、それを諫めるために大伴家持が尾張少咋に歌でもって叱責を与えたものです。
 当時の遊行女婦は官営の馬駅や国衙・郡衙に養われていた官奴身分の女性たちが中心であり、売り上げのすべてや歩合で自由に出来る自営業ではありません。そのため、遊行女婦が身に纏う衣装は貸与が基本であったと思われるため非常に安価な布で作られていたと思われます。可能性として尾張少咋のような常連客が与えたものだけではないでしょうか。そのような状況を踏まえますと紅花染ですが紅色に染めた高価なものではなく、紅花を洗浄した後の溶液を再利用したオレンジ色に近い黄色の染め物であった可能性があります。つまり、遊行女婦の左夫流が着ている衣は農民の娘たちですとそれなりの特別なハレの日に着るような彩の衣装でしょうが、簡単に退色をするようなものであったと思われます。
 その退色しやすのですが、それでも庶民階級の娘女がハレの日に着ると云う様子をうかがわせる歌が万葉集にあり、それが集歌3877の歌です。歌の感覚では田舎の裕福な氏族ですが、本格的な染色を行った紅色の衣装を身に纏うと云う身分ではないのでしょう。歌は紅花染に染めた衣装は雨に遇えば色が抜けると云うことを前提として、「常の安いぽっい染付の紅染の衣は雨に遇えば色が褪せるが、私の想いは特別仕立ての濡れるとなお一層、色が鮮やかになる本物の紅染の衣のような本物の恋心」を示唆しています。

<参考歌>
集歌3877 紅尓 染而之衣 雨零而 尓保比波雖為 移波米也毛
訓読 紅(くれなゐ)に染(そ)めにし衣(ころも)雨降りににほひはすともうつろはめやも
私訳 紅色に染めた衣、雨が降り濡れて色が鮮やかになっても、その色が褪せることがあるでしょうか。

 このように紅花染の技法を下に万葉集の歌を丹念に調べますと、同じ「紅」の用字ではありますが、色彩はオレンジ系のものから深紅までを指し可能性があります。

集歌2624 紅之 深染衣 色深 染西鹿齒蚊 遺不得鶴
訓読 紅(くれなゐ)し濃染(こそめ)の衣(ころも)色(いろ)深(ふか)く染(し)みにしかばか忘れかねつる
私訳 紅色に深く染めた衣の色のように、私の心に貴女が深く染み込んだからか、忘れることができません。

 なお、紅花染では一斤(いっこん)の紅花で染めた衣は身分の低い者でも身に着けることが許された「許し色」でした。この紅色の薄い色であり、「許し色」でもある一斤染を題材にした歌があります。それが次の集歌2966の歌です。
 この歌からは、娘女は一斤染の衣を着る立場ですから身分の低い階級に所属していることが推定でき、また、好いた男に身を許したことも推定できます。染色と云う方面から鑑賞しますと、相当な娘の情報が得られる歌でもあります。

集歌2966 紅 薄染衣 浅尓 相見之人尓 戀比日可聞
訓読 紅(くれなゐ)し薄(うす)染(そ)め衣(ころも)浅らかに相見し人に恋ふるころかも
私訳 紅を薄く染めた衣のように、わずかに体を許したあの人に恋い焦がれる今日この頃です。

 集歌2966の歌は推定で一斤染と思われます。一斤染は桜色系のものですが、桜色系では染色が浅い順に一斤染、桜色、桃染とあり、次第に淡い桜色から深みのある桃色へと変化して行きます。さらに紅花染料を濃くすると、中紅、深紅へとその紅色は深く鮮やかになります。次の紹介する集歌2970の歌は、一斤染から二段階進んだ桃染(ももそめ)、または桃花褐(つきそめ)を詠うものです。

集歌2970 桃花褐 浅等乃衣 浅尓 念而妹尓 将相物香裳
訓読 桃花褐(あらそめ)し浅らの衣(ころも)浅らかに思ひて妹に逢はむものかも
私訳 安っぽく桃色に浅く染めた衣、その色薄い衣のように、安っぽく軽い気持ちで愛しい貴女に逢う(=抱く)ことがあるでしょうか。

 もう少し、染色技法に触れますと、紅花で中紅や深紅を行うような場合、退色の防止と色揚げを目的として布は最初に黄柏(きはだ)やウコンなどで黄色に下染を行い、その下染を行った布に対して紅花染を行ったとします。つまり、手間暇や発色技法からしますと、下染を要しない桃染ぐらいまでは浅染と扱われていたのでしょう。
 ここで、同じ紅系統の色目ですが、集歌2655の歌の「一云」では「紅之須蘇衝河乎」と詠います。この用字からしますと、娘女は身分の高い氏族の出身で高価な蘇芳を使って染めた衣を成女式の儀式で身に纏っているのかもしれません。そして、歌は大きな屋敷の中での儀式の場面を詠いますから、皇室とも関係するような大族の娘女なのでしょう。

集歌2655 紅之 襴引道乎 中置而 妾哉将通 公哉将来座
訓読 紅(くれなゐ)し裾引く道を中置きに妾(われ)や通(かよ)はむ公(きみ)や来(き)まさむ
私訳 紅色の裳裾を引いて歩く道を奥の部屋に置きました(=成女式の裳着の儀式が終わりました)。もう、女となった私へは妻問いに通って来れますよ。さあ、貴方はお出でになるでしょうか。
一云 須蘇衝河乎 又曰 待香将待
一(ある)は云はく、
訓読 裾(すそ)漬(つ)く川を 又、曰はく、 待ちにか待たむ
私訳 或いは云うには「裳裾を濡らす川を」、また、云うには「待ちに待ちましょうか」

 以上、紅系統の色鮮やかな色彩の歌を鑑賞しました。

 万葉集には以下のような橡(つるばみ)を詠う歌があります。この橡はクヌギの古語でドングリの木のことです。色は黒目の濃い黒橡や灰色系の白橡があり、この白橡には赤色目の強い赤き白橡と緑色目の強い青き白橡とに分かれます。橡からの染料に灰汁を媒染しますと薄茶系となり、鉄分を媒染しますと焦げ茶から黒系となります。なお、榛染も同系統のものです。
 集歌2965の歌や集歌2968の歌の感覚からしますと、一見、渋い桃花染にも見える赤き白橡染の衣を女は身に纏っていたのではないでしょうか。そうしますと、衣装は普段着の装いではありますが、それなりの華やかな色目となります。

集歌2965 橡之 袷衣 裏尓為者 吾将強八方 君之不来座
訓読 橡(つるはみ)し袷(あはせ)衣(ころも)し裏にせば吾(われ)強(し)ひめやも君し来(き)まさぬ
私訳 橡色の袷の衣を色が褪せて来たからと裏返しで着たら、そのやり方が恋する思いを恋人に届けると云う風習と同じ。裏返しに着ることは私が貴方に私の許に来るように強いたことになるのでしょうか。それでも貴方は私の許にいらっしゃらない。

集歌2968 橡之 一重衣 裏毛無 将有兒故 戀渡可聞
訓読 橡(つるはみ)し一重(ひとへ)衣(ころも)しうらもなくあるらむ子ゆゑ恋ひわたるかも
私訳 普段に着るような橡色の単衣の衣に裏が無いように、心(うら)が無い(=恋愛感覚に疎い)、そのような素朴なあの娘だから、心惹かれ恋い焦がれてしまう。


 今回は色彩を取り上げましたが、残念なことに色見本を載せることが出来ませんでした。お手数ですが、インターネットで取り上げました色を示す言葉を検索して、その色をご確認下さい。特に赤白橡や桃花褐については一度はご確認下さい。歌の解釈で従来の感覚が正しいか、どうか、視線が変わるかもしれません。


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2 コメント

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染色技術から (自閑)
2015-10-17 22:05:15
染色技術から万葉集を見る事を初めて見ました。
多くの色と定着技術が、輸入されたであろとは思いますが、考古学上は、色の脱劣化したもの、正倉院に保管された物しか見る事は有りませんよね。万葉集が、その技術を確かに保証していますよね。
あをによし、茜さす、紫の、射干玉の、そして白妙の。当時の枕詞まで色関係が、多いです。
勉強になりました。
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染め物の周辺 (作業員)
2015-10-18 08:22:25
まずは、ご来場のお礼を申し上げます。
私は作業員と云う立場ですので、歌を鑑賞する時、その社会構造や生活に先に目が行きます。正統な教育を受けていませんから歌道での先人の鑑賞をままに拝受する立場ではありませんし、拘束もされません。このような背景がありますので、色を詠う歌を鑑賞する時、その色が時代的に存在したか、また、技術はあったのかと云う面もまた確認します。実に標準的な歌の鑑賞とは異質で、異常なものです。ただ、そのような背景を知って歌を鑑賞すると、万葉人の漢字文字選定の背景が想像でき、非常に楽しいものがあります。
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