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竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
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山上憶良を鑑賞する  書殿にして、餞酒せし日の和へたる謌

2010年09月20日 | 万葉集 雑記
書殿にして、餞酒せし日の和へたる謌

 西本願寺本では集歌879の歌が、集歌880の歌と集歌881の歌との間に置かれ、集歌876の歌の標にある「書殿餞酒日和謌四首」と歌数が合いません。また西本願寺本での「和謌」と現在の訓読み万葉集での「倭謌」との表記の差があります。
 なお、大宰府での送別の感情の歌と奈良の京に帰ってからの旅人への願いの区分で、歌を鑑賞すると西本願寺本の歌の区分の方が相応しくなりますので、「四首」と「三首」の言葉は、紀貫之以降の後年に追記されたものかも知れません。また、西本願寺本での「和謌」の言葉が正としますと、集歌876の歌から集歌882の歌までは、大伴旅人を書殿で大宰府の官人達が正式に送別した後に、山上憶良が自宅で一人しみじみと惜別の念で歌を詠ったことになります。ここで、「倭謌」とするならば、送別の宴会での官人を代表するような公式な和歌の歌となりますし、別に漢詩の歌も詠われたことになります。そのとき、歌の背景や意味合いは大きく違います。私は、西本願寺本の伝える解釈に従って「和謌」の言葉が正とし、山上憶良が一人しみじみと惜別の念で歌を詠ったとしています。
 ただし、「倭謌」の誤記説を取ると、「梅花の歌三十二首、并せて序」の歴史的な意味合いが違ってきます。大伴旅人や山上憶良たちは、「梅花の歌」に見られるように漢語を使わずに一字一音の万葉仮名で和歌を詠う運動をしていますが、その彼らが大伴旅人の送別の宴で、わざわざ、漢詩で送別の歌を詠うでしょうか、甚だ、疑問です。もし、万葉集の歌々に歴史や文化的背景を認めるのなら、「倭謌」の誤記説は成立しないのではないでしょうか。
 なお、ここでのこうした論議は、万葉集の歌の本質は漢語・漢字と万葉仮名で記された歌であり、一字一音の万葉仮名表記の歌は特殊な位置づけにあるとする、素人の推論が根拠です。現在の万葉学の根本である「万葉集は、本来、一字一音の万葉仮名で記述され、その万葉仮名表記自体に意味を採らない訓読み万葉集」では、成り立たないものです。


書殿餞酒日和謌 四首
標訓 書殿(ふみとの)にして、餞酒(うまのはなむけ)せし日の和(こた)へたる謌 四首

集歌876 阿麻等夫夜 等利尓母賀母夜 美夜故摩提 意久利摩遠志弖 等比可弊流母能
訓読 天飛ぶや鳥にもがもや京(みやこ)まで送り申(まを)して飛び帰るもの

私訳 天空を飛び翔ける鳥になりたいものです。貴方を奈良の京まで送り申し上げて、飛び帰って来ましょうものを。


集歌877 比等母祢能 宇良夫禮遠留尓 多都多夜麻 美麻知可豆加婆 和周良志奈牟迦
訓読 人もねのうらぶれ居(を)るに龍田山御馬(みま)近づかば忘らしなむか

私訳 人が皆、淋しく思っていますのに、貴方は奈良の京への峠である龍田山に貴方の御馬が近付くと我々を忘れるでしょか。


集歌878 伊比都々母 能知許曽斯良米 等乃斯久母 佐夫志計米夜母 吉美伊麻佐受斯弖
訓読 云(い)ひつつも後(のち)こそ知らめとのしくも寂(さぶ)しけめやも君坐(いま)さずして

私訳 このように云っていますが、後になってこそ、しみじみと寂しさを感じるのでしょう。本当に寂しく感じるのでしょう。貴方がいらっしゃらないと。



敢布私懐謌 三首
標訓 敢(あ)へて私の懐(おもひ)を布(の)べたる謌 三首

集歌880 阿麻社迦留 比奈尓伊都等世 周麻比都々 美夜故能提夫利 和周良延尓家利
訓読 天離る鄙(ひな)に五年(いつとせ)住まひつつ京(みやこ)の風俗(てふり)忘(わす)らえにけり

私訳 奈良の京から遥かに離れた田舎に五年も住んでいて、奈良の京の風習を忘れてしまいそうです。


集歌879 余呂豆余尓 伊麻志多麻比提 阿米能志多 麻乎志多麻波祢 美加佐良受弖
訓読 万世(よろずよ)に坐(いま)し給ひて天の下奏(もう)し給はね御香(みか)去(さ)らずて

私訳 万年も長生きなさられて、天下の政治を天皇に奏し上げて下さい。古里の明日香に引退することなく。


集歌881 加久能米夜 伊吉豆伎遠良牟 阿良多麻能 吉倍由久等志乃 可伎利斯良受提
訓読 如(かく)のみや息(いき)衝(つ)き居(を)らむあらたまの来(き)経(ふ)往(ゆ)く年の限り知らずて

私訳 このようにばかり、溜息をついているのでしょう。年魂が改まる新年がやって来て、そして去って往く。その区切りとなる年を知らないで。


集歌882 阿我農斯能 美多麻々々比弖 波流佐良婆 奈良能美夜故尓 佐宜多麻波祢
訓読 吾(あ)が主(ぬし)の御霊(みたま)賜(たま)ひて春さらば奈良の京(みやこ)に召上(めさ)げ賜はね

私訳 私の主である貴方の思し召しを頂いて、春がやって来たら奈良の京に私を召し上げするお言葉を賜りたいものです。

天平二年十二月六日、筑前國守山上憶良謹上
注訓 天平二年十二月六日に、筑前國守山上憶良、謹(つつし)みて上(たてまつ)る。


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