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竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百十三 大伴池主、集歌3973の歌を鑑賞する

2015年04月11日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百十三 大伴池主、集歌3973の歌を鑑賞する

 今回は気になったインターネット公表の論文に関係して、巻十七に載る集歌38973の歌を鑑賞します。いつものようにひねくれた人格の下、悪臭ぷんぷんのものになっています。そこを最初にお詫びいたします。

 最初に『万葉集』巻十七に大伴家持から大伴池主に贈った集歌3969の歌に付けられた前置漢文に「幼年未逕山柿之門」と云う文章があります。『古今和歌集』の仮名序での取り上げられようから、この「山柿之門」の「山柿」とは山部赤人と柿本人麻呂と云う説が古くからあります。一方、明治後期以降の佐佐木信綱氏の問題提起から大伴旅人や大伴家の万葉歌人たちとの交友関係を踏まえると山上憶良と柿本人麻呂ではないかと云う説があります。
 ここで、山部赤人と柿本人麻呂であると云う説を唱える人の中には、今回紹介する集歌3973の歌を確定的な傍証の一つであるとして唱えます。その根拠としては次の三点です。

 集歌3973の歌群は大伴家持が「山柿之門」と云う語句を持つ前置漢文を載せる集歌3969の歌群との間では相聞関係にある。
 集歌3973の歌の前置漢文には「山柿謌泉、比此如蔑」と云う句を含み大伴池主は「山柿之門」と云う言葉を意識している。
 集歌3973の長歌に「春野尓 須美礼乎都牟等(春の野に 菫を摘むと)」と云う歌句があり、これは山部赤人が詠う集歌1424の歌「春野尓 須美礼採尓等 来師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来」を引用したものである。
 この三点からして、池主は家持の意図を理解した上で山部赤人が詠う集歌1424の歌を引用したのであろう。従って、家持の「山柿之門」、池主の「山柿謌泉」とは山部赤人と柿本人麻呂と認めて良いと考えられる。


 このように論拠を示されるとなるほどと感心します。従いまして、これで「山柿之門」が意味する人物とは山部赤人と柿本人麻呂とであるで決まりかと云うと、ところが学問ではそうではないようです。
では、なぜでしょうか。
 実は家持の集歌3969の歌も池主の集歌3973の歌も、歌中に先行する歌々の句の一部を取り込んだ、所謂、“引歌を利用したもじり歌”に分類される歌です。従いまして、自分の都合の良い部分だけを摘み食いをして論を立て、一方、意図的に都合の悪い部分はだんまりを決め込むと云う態度はアンフェアです。
 反論となる一例として、池主の集歌3973の歌には「久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良婆(紅の 赤裳裾引き 娘女らは)」と云う歌句がありますが、これは巻五に載る山上憶良が詠う集歌804の歌「哀世間難住謌一首并序」の中での「久礼奈為乃 阿可毛須蘇毘伎(紅の 赤裳裾引き)」と云うものの引用である可能性があります。このような背景があるために意図して都合の良い摘み食いから論を立てると云うスタイルのものに対しては良心的な学問者の立場の人々は距離を置くのでしょう。
 ただ、池主は、最初、家持が集歌3969の歌で先行する歌人たちの歌々を織り込んで長歌で遊んでいることに気が付かず、“三月三日”と云う日付を下に上巳の節句をテーマに家持からの贈答歌に対して漢文序と漢詩で応答していました。その返書を送りだした後に家持からなんらかの恨みの指摘を受け、家持がする引歌を利用したもじり歌の遊びに気が付いたようです。従いまして、一部の研究者がその遊びの全体像に気が付かないのは仕方がないのかもしれません。しかしながら、その引歌の遊びの都合の良い部分には気が付いたが、万葉集愛好家なら簡単に気付きそうな他のものにはまったく気が付かなかったと云う姿勢には興味深いものがあります。なお、弊ブログでは集歌3973の長歌には山部赤人が二首、山上憶良が二首、柿本人麻呂が三首が引歌されていると推定しています。


七言、晩春三日遊覧一首并序
標訓 七言、晩春の三月三日に遊覧せる一首并せて序
上巳名辰、暮春麗景、桃花昭瞼以分紅、柳色含苔而競緑。于時也、携手曠望江河之畔、訪酒迥過野客之家。既而也、琴樽得性、蘭契和光。嗟乎、今日所恨徳星己少欠。若不扣寂含之章、何以盧逍遥野趣。忽課短筆、聊勒四韻云尓、 (盧は手偏+盧が正字)
餘春媚日宜怜賞 上巳風光足覧遊
柳陌臨江縟玄服 桃源通海泛仙舟 (玄はネ偏+玄が正字)
雲罍酌桂三清湛 羽爵催人九曲流
縦酔陶心忘彼我 酩酊無處不淹留
三月四日、大伴宿禰池主

標訓 上巳の名辰(めいしん)は、暮春の麗景(れいけい)、桃花(とうくわ)瞼を昭(あ)かし以ちて紅(くれなゐ)を分ち、柳は色を含みて苔(こけ)と緑を競う。その時に、手を携へて曠(はる)かに江河の畔を望み、酒を訪(とぶら)ひて迥(はる)かに野客の家を過ぐ。既にして、琴樽(きんそん)の性(さが)を得、蘭契(らんけい)光を和(やわら)ぐ。嗟乎(ああ)、今日、恨むるは徳星己(すで)に少きことか。若(も)し寂(じゃく)を扣(たた)き之の章を含(ふふ)まずは、何を以ちて野を逍遥する趣(こころ)を盧(の)べむ。忽(たちま)ちに短筆に課(おほ)せ、聊(いささ)かに四韻を勒(ろく)し云ふに、

餘春の媚日(びじつ)は怜賞(あは)れぶに宜(よろ)しく 上巳(じやうし)の風光は覧遊するに足る
柳陌(りうはく)は江に臨みて玄服(げんふく)を縟(まだらか)にし 桃源は海に通ひて仙舟を泛(うか)ぶ
雲罍(うんらい)に桂(けい)を酌(く)みて三清を湛(たた)へて 羽爵(うしゃく)は人を催(うなが)して九曲に流る
縦酔(しょうすい)に心を陶して彼我(ひが)を忘れて 酩酊し處として淹留(えんりう)せぬなし

三月四日に、大伴宿禰池主

標訳 三月三日の佳日には、暮春の風景は美しく、桃花は瞼を輝かしその紅色を見せ、柳は色を含んで苔とその緑を競う。その時に、友と手を携えて遥かに入り江や川のほとりを眺め、酒を供に遠くの野に住む人の家を行き過ぎる。そして、琴を奏で酒を楽しむことを得、君子の交わりは人の気を和らぐ。ああ、今日の日を怨むことは賢人を最初から欠くことでしょうか。もし、この風景に心を結びて文章としなければ、何をもって野をそぞろ歩く、その趣を顕そう。そこで拙い文才でもって、いささかな四韻の詩をしるし云うには、

暮春の媚日は称賛するにふさわしく
三月三日の風光は遊覧するのに十分だ。
堤の柳は入り江に臨んで晴れの姿を美しくし
桃源郷は海に通じて仙人の舟が浮かぶ。
雲雷の酒樽に桂の酒を酌んで盃に清酒を湛え
羽爵の盃は人に酒を勧めて曲水を流れる。
酔うままに心は陶酔してすべてを忘れ
酩酊して一つ所に留まることはない。

三月四日に、大伴宿禰池主。


昨日述短懐、今朝汗耳目。更承賜書、且奉不次。死罪々々。
不遺下賎、頻恵徳音。英雲星氣。逸調過人。智水仁山、既韞琳瑯之光彩、潘江陸海、自坐詩書之廊廟。騁思非常、託情有理、七歩成章、數篇満紙。巧遣愁人之重患、能除戀者之積思。山柿謌泉、比此如蔑。彫龍筆海、粲然得看矣。方知僕之有幸也。敬和謌。其詞云

標訓 昨日短懐(たんくわい)を述べ、今朝耳目(じもく)を汗(けが)す。更に賜書(ししょ)を承(うけたまは)り、且、不次(ふじ)を奉る。死罪々々。
下賎を遺(わす)れず、頻(しきり)に徳音を恵む。英雲星氣あり。逸調(いつてう)人に過ぐ。智水仁山は、既に琳瑯(りんらう)の光彩を韞(つつ)み、潘江(はんかう)陸海は、自(おのづ)から詩書の廊廟(ろうべう)に坐す。思(おもひ)を非常に騁(は)せ、情(こころ)を有理に託(よ)せ、七歩章(あや)を成し、數篇紙に満つ。巧みに愁人の重患を遣り、能く戀者(れんしゃ)の積思(せきし)を除く。山柿の謌泉は、此(これ)に比(くら)ぶれば蔑(な)きが如し。彫龍(てうりゅう)の筆海は、粲然(さんぜん)として看るを得たり。方(まさ)に僕が幸(さきはひ)あることを知りぬ。敬みて和(こた)へたる謌。その詞に云ふに、

標訳 昨日、拙い思いを述べ、今朝、貴方のお目を汚します。さらにお手紙を賜り、こうして、拙い便りを差し上げます。死罪々々(漢文慣用句)。
下賤のこの身をお忘れなく頻りにお便りを頂きますが、英才があり優れた気韻があって、格調の高さは群を抜いています。貴方の智と仁とはもはや美玉の輝きを含んでおり、潘岳や陸機の如き貴方の詩文は、おのずから文学の殿堂に入るべきものです。詩想は高く駆けめぐり、心は道理に委ね、たちどころに文章を作り、多くの詩文が紙に満ちることです。愁いをもつ人の心の重い患いを巧みに晴らすことができ、恋する者の積る思いを除くことができます。山柿の歌々はこれに比べれば、物の数ではありません。龍を彫るごとき筆は輝かしく目を見るばかりです。まさしく私の幸福を思い知りました。謹んで答える歌。その詞は、

集歌3973 憶保枳美能 弥許等可之古美 安之比奇能 夜麻野佐婆良受 安麻射可流 比奈毛乎佐牟流 麻須良袁夜 奈邇可母能毛布 安乎尓余之 奈良治伎可欲布 多麻豆佐能 都可比多要米也 己母理古非 伊枳豆伎和多利 之多毛比尓 奈氣可布和賀勢 伊尓之敝由 伊比都藝久良之 餘乃奈加波 可受奈枳毛能曽 奈具佐牟流 己等母安良牟等 佐刀眦等能 安礼邇都具良久 夜麻備尓波 佐久良婆奈知利 可保等利能 麻奈久之婆奈久 春野尓 須美礼乎都牟等 之路多倍乃 蘇泥乎利可敝之 久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良婆 於毛比美太礼弖 伎美麻都等 宇良呉悲須奈理 己許呂具志 伊謝美尓由加奈 許等波多奈由比

訓読 大王(おほきみ)の 御言(みこと)畏(かしこ)み あしひきの 山野(やまの)障(さは)らず 天離る 鄙も治むる 大夫(ますらを)や なにか物思ふ 青丹(あをに)よし 奈良道来(き)通(かよ)ふ 玉梓の 使絶えめや 隠(こも)り恋ひ 息づきわたり 下(した)思(もひ)に 嘆かふ吾(わ)が背 古(いにしへ)ゆ 言ひ継ぎくらし 世間(よのなか)は 数なきものぞ 慰むる こともあらむと 里人の 吾(あれ)に告ぐらく 山傍(やまび)には 桜花散り 貌鳥(かほとり)の 間(ま)なくしば鳴く 春の野に 菫(すみれ)を摘むと 白栲の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 娘女(をとめ)らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋(こひ)すなり 心ぐし いざ見に行かな 事はたなゆひ

私訳 大王の御命令を尊んで、足を引くような険しい山や野も障害とせず、都から離れた鄙も治める立派な大夫が、どうして物思いをしましょうか。青葉が美しい奈良への道を行き来する立派な梓の杖を持つ官の使いがどうして途絶えるでしょう。部屋に隠って人恋しく、ため息をついて心の底から嘆いている私の大切な貴方、昔から語り継いできたように、世の中は取るに足らないもののようです。貴方の気持ちを慰めることができないかと、里の人が云うには「山には桜花が散り、郭公が間も空けず続けて鳴く、春の野に菫を摘もうと紅の赤い裳の裾を引き、娘女たちは心を乱して恋人を待っていると、心の内で恋している」と。鬱陶しいことです。さあ、会いに行きましょう。行くことは決まっているのです。

集歌3974 夜麻夫枳波 比尓々々佐伎奴 宇流波之等 安我毛布伎美波 思久々々於毛保由
訓読 山吹は日(ひ)に日に咲きぬ愛(うるは)しと我が思ふ君はしくしく思ほゆ
私訳 山吹は日一日と咲きます。うるわしいと私が思う貴方のことは、しきりに気に掛ります。

集歌3975 和賀勢故邇 古非須敝奈賀利 安之可伎能 保可尓奈氣加布 安礼之可奈思母
訓読 吾(わ)が背子に恋ひすべながり葦垣(あしかき)の外(ほか)に嘆かふ吾(あれ)し悲しも
私訳 私の尊敬する貴方を慕っても甲斐がありません。葦の垣根のように隔てた外で嘆いている私は、辛い。
三月五日、大伴宿祢池主
左注 三月五日に、大伴宿祢池主


 紹介しました“引歌を利用したもじり歌”の遊びについて、参考資料として、最初に集歌3973の長歌訓読を紹介して、次いで弊ブログで想定する引歌を披露します。このように山部赤人からの引歌があるとするのですと、柿本人麻呂や山上憶良からの引歌も、また、あり得ることになります。

<長歌訓読>
大王(おほきみ)の 御言(みこと)畏(かしこ)み あしひきの 山野(やまの)障(さは)らず 天離る 鄙も治むる 大夫(ますらを)や なにか物思ふ 青丹(あをに)よし 奈良道来(き)通(かよ)ふ 玉梓の 使絶えめや 隠(こも)り恋ひ 息づきわたり 下(した)思(もひ)に 嘆かふ吾(わ)が背 古(いにしへ)ゆ 言ひ継ぎくらし 世間(よのなか)は 数なきものぞ 慰むる こともあらむと 里人の 吾(あれ)に告ぐらく 山傍(やまび)には 桜花散り 貌鳥(かほとり)の 間(ま)なくしば鳴く 春の野に 菫(すみれ)を摘むと 白栲の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 娘女(をとめ)らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋(こひ)すなり 心ぐし いざ見に行かな 事はたなゆひ

<引歌紹介>
本文 大王の 御言畏み
集歌1785 ・・・大王之 御命恐美 天離 夷治尓登
大王(おほきみ)の 命(みこと)恐(かしこ)み 天離る 鄙治めにと
作歌 笠朝臣金村之謌中出

本文 あしひきの 山野障らず
集歌927 足引之 山毛野毛
あしひきの山にも野にも
作歌 山部赤人

本文 天離る 鄙も治むる
集歌29 ・・・天離 夷者雖有 石走
天離る 鄙にはあれど 石(いは)走る
作歌 柿本人麻呂

本文 青丹よし 奈良道来通ふ
集歌806 ・・・阿遠尓与志 奈良乃美夜古尓 由吉帝己牟丹米
青丹(あをに)よし奈良の都に行きて来むため
作歌 大伴旅人

本文 玉梓の 使絶えめや
集歌619 ・・・玉梓之 使母不所見 成奴礼婆
玉梓の 使(つかひ)も見えず なりぬれば
作歌 大伴坂上郎女

本文 隠り恋ひ 息づきわたり
集歌881 ・・・伊吉豆伎遠良牟 阿良多麻能
息衝(いきづき)居(を)らむ
作歌 山上憶良

本文 下思に 嘆かふ吾が背
集歌3022 ・・・下思尓 吾曽物念
下思(したもひ)に吾(われ)ぞ物思ふ
作歌 無名歌人

本文 古ゆ 言ひ継ぎくらし
集歌3255 従古 言續来口 戀為者
古(いにしへ)ゆ 言ひ継ぎけらく 恋すれば
作歌 古歌集より無名歌人

本文 世間は 数なきものぞ
集歌793 余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子
世間(よのなか)は空(むな)しきものと知る時し
作歌 大伴旅人

本文 慰むる こともあらむと
集歌207 ・・・遣悶流 情毛有八等 吾妹子之
慰もる 情(こころ)もありやと 吾妹子が
作歌 柿本人麻呂

本文 里人の 吾に告ぐらく
集歌3303 里人之 吾丹告樂 汝戀
里人(さとびと)の 吾に告(つぐ)ぐらく 汝(な)が恋ふる
作歌 無名歌人(長歌より)

本文 山傍には 桜花散り
集歌1212 ・・・絲鹿乃山之 櫻花 不散在南
糸鹿(いとか)の山の桜花(さくらはな)散らずもあらなむ
作歌 古歌集より無名歌人

本文 貌鳥の 間なくしば鳴く 春の野に
集歌1898 容鳥之 間無數鳴 春野之
貌鳥(かほどり)の間(ま)無く數(しば)鳴く春の野の
作歌 無名歌人

本文 春の野に 菫を摘むと
集歌1424 春野尓 須美礼採尓等
春の野にすみれ摘みにと
作歌 山部赤人

本文 白栲の 袖折り返し
集歌2812 ・・・白細布之 袖反之者
白栲の袖返ししは
作歌 無名歌人

本文 紅の 赤裳裾引き 娘女らは
集歌804 ・・・久礼奈為乃 阿可毛須蘇毘伎
紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引き
作歌 山上憶良

本文 思ひ乱れて 君待つと うら恋すなり
集歌2015 吾世子尓 裏戀居者 天漢
吾(わ)が背子にうら恋ひ居(を)れば天の川
作歌 柿本人麻呂歌集

本文 心ぐし いざ見に行かな 事はたなゆひ
集歌44 吾妹子乎 去来見乃山乎
吾妹子(わぎもこ)をいざ見の山を
作歌 石上大臣

 以上、紹介しました。
 なお、ここでの引歌からの“もじり歌の技法”は、他にこの歌群の相聞相手である大伴旅人、『万葉集』の編纂に深く関わったと思われる丹比国人、さらに『古今和歌集』の紀貫之などの作品に見ることが出来ます。それは中国文学での詩中において特定の語句でもって引用した古典を示すものと同様ですから、彼らは中国文学からそのような引歌技法を学んだのではないかと想像します。
 そうした時、誰が最初に“もじり歌の技法”で長歌を詠ったのかと考えますと、個人の幼い推測ですが、大伴家持が最有力で、それは天平十九年二月のことではないかと考えています。

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