万葉雑記 色眼鏡 二五七 今週のみそひと歌を振り返る その七七
今回もまたまた巻十に載る七夕の歌に遊びます。実に季節はずれですが、これもまた、めぐり合わせです。ご容赦を。
先週に紹介しましたように万葉集で確実に七夕の歌が詠われた確実な日付が判る歌は、次週に鑑賞を予定している次の歌で、この庚辰の年とは天武天皇九年です。これは西暦680年8月10日に相当しますので、畿内 奈良盆地では確実に梅雨は明け、真夏の盛りです。
集歌2033 天漢 安川原 定而 神競者 磨待無
訓読 天つ川八湍(やす)し川原し定まりて神(かみ)競(きそは)へば磨(まろ)し待たなく
私訳 天の八湍の川原で約束をして天照大御神と建速須佐之男命とが大切な誓約(うけひ)をされていると、それが終わるまで天の川を渡って棚機女(たなはたつめ)に逢いに行くのを待たなくてはいけませんが、年に一度の今宵はそれを待つことが出来ません。
此謌一首庚辰年作之。
注訓 この歌一首は庚辰の年に作れり
右、柿本朝臣人麿之謌集出。
注訓 右は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
集歌2033の歌は柿本人麻呂の生涯年譜の基準点を与えるもので、万葉集中でも非常に重要な歌です。弊ブログで解説するように石見国の歌、中上りの歌などを組み立てますと、天武天皇三年から九年ごろの生涯年譜が推定され、それを持統天皇時代の年代が確定している数々の奉呈挽歌や御幸奉呈に繋ぐことが出来ます。まじめに万葉集に取り組めば、柿本人麻呂の生涯年譜について斯様な考察が可能です。
こうした時、七夕伝説以外で月に関係すると思われる伝説から取材したような歌が今週 取り上げたものの中にあります。それが次の歌二首です。
最初に集歌2041の歌では「織女之 天津領巾」と云う詞が、ついで集歌2043の歌では末句「月人牡子」が七夕伝説以外の月の伝説から取材して、七夕伝説に融合したような雰囲気があります。
集歌2041 秋風 吹漂蕩 白雲者 織女之 天津領巾毳
訓読 秋風し吹きただよはす白雲は織女(たなはたつめ)し天つ領巾(ひれ)かも
私訳 秋風が吹き漂わせる白雲は、織姫の天つ領巾なのでしょうか。
集歌2043 秋風之 清夕 天漢 舟滂度 月人牡子
訓読 秋風し清(さや)けき夕(ゆふ)へ天つ川舟滂(こ)ぎ渡る月人(つきひと)牡士(をとこ)
私訳 秋風が清々しいこの夕べ、その天の川を舟を操って渡る月人壮士よ。
一般には「織女之 天津領巾」には天の羽衣伝説や中国七夕神話の異説(牽牛が天の川原で天女の羽衣を隠し、婚姻したと云うもの)が背景にあるとされ、日々、布を織る役割を持たされた働く女性のイメージよりも召使を持つ着飾った女性のイメージがあります。
また、「月人牡子」と云う言葉は柿本人麻呂歌集に見られるものですが、これも「織女之 天津領巾」と同じように現代人には牛飼いの牧夫と云うイメージはありません。ただし、漢字原義からしますと『說文解字』では「牡、畜父也」と解説しますから、月に住む牛飼いの牧夫と云う、そのものずばりの用字です。しかしながら、七夕の祭りは月齢七日の半月ですから、夜たけなわの宴のころあいには月は地平線に沈んでいます。天の川を眺め七夕を祝う宴に月は相応しくありません。そうではありますが、大和では牽牛の住む里を月と考えたようです。ここが中国大陸とは違う大和の七夕伝説の解釈なのでしょう。
さらに、中国伝説では、月の世界は漢武帝の仙桃伝説の西王母、嫦娥奔月伝説の嫦娥、満月の輝きを説明する月で金木犀(漢語では「桂」)を切る呉剛たち、仙人・仙女が住む場所です。これらの中国伝説は万葉集の歌が詠われた時代には日本に紹介され、万葉集の歌の題材にもなっていましたから、伝説は人々の認識にあります。
集歌632 目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責
訓読 目には見に手には取らえぬ月内(つきなか)し楓(かつら)しごとき妹をいかにせむ
私訳 目には見ることが出来ても取ることが出来ない月の中にある桂(=金木犀)の故事(=嫦娥)のような美しい貴女をどのようにしましょう。
注意 四句目「楓如」の「楓」は現在は「かえで」と読みますが、万葉時代は「かつら」と訓じ、桂を示します。
集歌2202 黄葉為 時尓成良之 月人 楓枝乃 色付見者
訓読 黄葉(もみち)する時になるらし月人(つくひと)し楓(かつら)し枝の色づく見れば
私訳 黄葉する季節になったらしい。天空の月の世界の楓の枝が色付くのを眺めると。
注意 四句目「楓枝乃」の「楓」は現在は「かえで」と読みますが、万葉時代は「かつら」と訓じ、桂を示します。
集歌2223 天海 月船浮 桂梶 懸而滂所見 月人牡子
訓読 天つ海月し船(ふな)浮(う)け桂(かつら)楫(かぢ)懸(か)けて滂(こ)ぐ見ゆ月人(つきひと)壮士(をとこ)
私訳 天空の海に月の船を浮かべて月に生える桂の木でこしらえた桂の楫を船べりに懸けて漕ぐのが見えます。月の世界の勇者が。
注意 三句目「桂梶」は中国伝説の月に住む呉剛を踏まえたものです。
斯様に万葉集の歌に遊びますと集歌2041の歌や集歌2043の歌の背景には大陸の伝説や説話を大和風に受け取り、解釈した社会文化が存在するようです。それも大陸の文化を受け取り始めた初期段階ですから、七夕伝説はまだ大和として単純化されていません。その分、多くの伝説が一つの歌に取り入れられたと云うことになったのでしょうか。
加えて、七夕の歌には大和神話の天津国や八湍の川原が見え隠れしますので、これらを踏まえて鑑賞する必要があります。表面的には「七夕の歌ねぇ」ですが、文学的にはキツイものが隠されています。
今回もまた与太話に終わりました。反省です。
今回もまたまた巻十に載る七夕の歌に遊びます。実に季節はずれですが、これもまた、めぐり合わせです。ご容赦を。
先週に紹介しましたように万葉集で確実に七夕の歌が詠われた確実な日付が判る歌は、次週に鑑賞を予定している次の歌で、この庚辰の年とは天武天皇九年です。これは西暦680年8月10日に相当しますので、畿内 奈良盆地では確実に梅雨は明け、真夏の盛りです。
集歌2033 天漢 安川原 定而 神競者 磨待無
訓読 天つ川八湍(やす)し川原し定まりて神(かみ)競(きそは)へば磨(まろ)し待たなく
私訳 天の八湍の川原で約束をして天照大御神と建速須佐之男命とが大切な誓約(うけひ)をされていると、それが終わるまで天の川を渡って棚機女(たなはたつめ)に逢いに行くのを待たなくてはいけませんが、年に一度の今宵はそれを待つことが出来ません。
此謌一首庚辰年作之。
注訓 この歌一首は庚辰の年に作れり
右、柿本朝臣人麿之謌集出。
注訓 右は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
集歌2033の歌は柿本人麻呂の生涯年譜の基準点を与えるもので、万葉集中でも非常に重要な歌です。弊ブログで解説するように石見国の歌、中上りの歌などを組み立てますと、天武天皇三年から九年ごろの生涯年譜が推定され、それを持統天皇時代の年代が確定している数々の奉呈挽歌や御幸奉呈に繋ぐことが出来ます。まじめに万葉集に取り組めば、柿本人麻呂の生涯年譜について斯様な考察が可能です。
こうした時、七夕伝説以外で月に関係すると思われる伝説から取材したような歌が今週 取り上げたものの中にあります。それが次の歌二首です。
最初に集歌2041の歌では「織女之 天津領巾」と云う詞が、ついで集歌2043の歌では末句「月人牡子」が七夕伝説以外の月の伝説から取材して、七夕伝説に融合したような雰囲気があります。
集歌2041 秋風 吹漂蕩 白雲者 織女之 天津領巾毳
訓読 秋風し吹きただよはす白雲は織女(たなはたつめ)し天つ領巾(ひれ)かも
私訳 秋風が吹き漂わせる白雲は、織姫の天つ領巾なのでしょうか。
集歌2043 秋風之 清夕 天漢 舟滂度 月人牡子
訓読 秋風し清(さや)けき夕(ゆふ)へ天つ川舟滂(こ)ぎ渡る月人(つきひと)牡士(をとこ)
私訳 秋風が清々しいこの夕べ、その天の川を舟を操って渡る月人壮士よ。
一般には「織女之 天津領巾」には天の羽衣伝説や中国七夕神話の異説(牽牛が天の川原で天女の羽衣を隠し、婚姻したと云うもの)が背景にあるとされ、日々、布を織る役割を持たされた働く女性のイメージよりも召使を持つ着飾った女性のイメージがあります。
また、「月人牡子」と云う言葉は柿本人麻呂歌集に見られるものですが、これも「織女之 天津領巾」と同じように現代人には牛飼いの牧夫と云うイメージはありません。ただし、漢字原義からしますと『說文解字』では「牡、畜父也」と解説しますから、月に住む牛飼いの牧夫と云う、そのものずばりの用字です。しかしながら、七夕の祭りは月齢七日の半月ですから、夜たけなわの宴のころあいには月は地平線に沈んでいます。天の川を眺め七夕を祝う宴に月は相応しくありません。そうではありますが、大和では牽牛の住む里を月と考えたようです。ここが中国大陸とは違う大和の七夕伝説の解釈なのでしょう。
さらに、中国伝説では、月の世界は漢武帝の仙桃伝説の西王母、嫦娥奔月伝説の嫦娥、満月の輝きを説明する月で金木犀(漢語では「桂」)を切る呉剛たち、仙人・仙女が住む場所です。これらの中国伝説は万葉集の歌が詠われた時代には日本に紹介され、万葉集の歌の題材にもなっていましたから、伝説は人々の認識にあります。
集歌632 目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責
訓読 目には見に手には取らえぬ月内(つきなか)し楓(かつら)しごとき妹をいかにせむ
私訳 目には見ることが出来ても取ることが出来ない月の中にある桂(=金木犀)の故事(=嫦娥)のような美しい貴女をどのようにしましょう。
注意 四句目「楓如」の「楓」は現在は「かえで」と読みますが、万葉時代は「かつら」と訓じ、桂を示します。
集歌2202 黄葉為 時尓成良之 月人 楓枝乃 色付見者
訓読 黄葉(もみち)する時になるらし月人(つくひと)し楓(かつら)し枝の色づく見れば
私訳 黄葉する季節になったらしい。天空の月の世界の楓の枝が色付くのを眺めると。
注意 四句目「楓枝乃」の「楓」は現在は「かえで」と読みますが、万葉時代は「かつら」と訓じ、桂を示します。
集歌2223 天海 月船浮 桂梶 懸而滂所見 月人牡子
訓読 天つ海月し船(ふな)浮(う)け桂(かつら)楫(かぢ)懸(か)けて滂(こ)ぐ見ゆ月人(つきひと)壮士(をとこ)
私訳 天空の海に月の船を浮かべて月に生える桂の木でこしらえた桂の楫を船べりに懸けて漕ぐのが見えます。月の世界の勇者が。
注意 三句目「桂梶」は中国伝説の月に住む呉剛を踏まえたものです。
斯様に万葉集の歌に遊びますと集歌2041の歌や集歌2043の歌の背景には大陸の伝説や説話を大和風に受け取り、解釈した社会文化が存在するようです。それも大陸の文化を受け取り始めた初期段階ですから、七夕伝説はまだ大和として単純化されていません。その分、多くの伝説が一つの歌に取り入れられたと云うことになったのでしょうか。
加えて、七夕の歌には大和神話の天津国や八湍の川原が見え隠れしますので、これらを踏まえて鑑賞する必要があります。表面的には「七夕の歌ねぇ」ですが、文学的にはキツイものが隠されています。
今回もまた与太話に終わりました。反省です。
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