白石和彌監督「止められるか、俺たちを」を見る。
若松孝二監督率いる若松プロが、
先鋭的なピンク映画を量産していた1970年前後。
助監督として若松プロに入ったひとりの女の子の
目を通して、時代と政治、そして映画づくりを描く。
主役をつとめた門脇麦の魅力も相まって、
若々しくも切ない青春映画という側面にも好感。
若松プロにゆかりのある実在の人たちを、
俳優が演じるところが
いささかこそばゆいと思いながら見ていたら、
若松監督を井浦新、足立正生監督を山本浩司が演じていて、
この二人の芝居に引きこまれる。
若い頃の若松監督ってこんな感じだったんだ、と。
商売人で胡散臭いけど、
ピュアなところもしっかり持っていて、
これはいい意味でも悪い意味でも騙されるでしょう。
それだけ魅力的な人だったという。ARATA名演。
それから足立監督ってこの映画を見る限り、
理想家でしかも人情味あふれる人だったのかな。
演じた山本さん。中年になって、
バイプレイヤーとして花咲く日も近い、
というかもう咲いていると思う。
沖島勲、大和屋竺、秋山道男、小水一男(ガイラ)、
高間賢治、福間健二、荒井晴彦、斎藤博、
そして大島渚に松田政男、重信房子、
さらには赤塚不二夫先生まで出てくるわけで、
あの頃の映画と社会状況に思い入れのある人なら、
それはそれは感慨深く見ることができるだろう。
とは言っても自分は、若松プロ全盛時代の
映画はリアルタイムでは見ていないので、
すべて後追いというか。
その時代の空気は皮膚感覚ではわからないし、
偉そうなことは何も言えないのです。
だから、「なんかすごい」「こわいけど面白そう」
「ここならあたいのやりたいことができるかも」
と思って(たぶん)、助監督になった主人公めぐみの心情に
よりフィットできるというか。
表現したくてしたくてたまらない。
でも自分に何ができるか。もっと言うなら、
そもそも表現したいものが自分にあるのか、
という自問自答で苦しむ彼女の姿は、
若松プロ全盛の時代を知らなくても、じゅうぶん入り込めるわけで。
そういう意味で、本作は普遍的なテーマを持つ、
まぎれもない青春映画。
若松プロ出身の白石監督は、
先輩たちの情熱あふれる時代をなぞりつつ、
実にいい作品を撮ってくれたと思う。
映画の終盤、めぐみが
新聞記者のインタビューを受けるシーン。
初めて、この女の子の出自が明らかになり、
クールな物言いをしながらも、その心情が浮き彫りになるところ。
この映画は門脇麦さんのためにあるような。
そんな気がするほどの名場面。切なくていとおしい。
「ボヘミアン・ラプソディ」も泣けるぞ。