山中瑤子監督「ナミビアの砂漠」を見る。
主演が河合優実だ、と新たな神様候補に
浮かれて見に行ったシネフィル(自分、だ)にとって、
まったくもって己のアホさ加減に
気づかされる映画となったんじゃないだろうか。
映画はあんたの快楽を満たすためだけに
あるわけじゃないんだから。
と、最近の神様は、なんとも手厳しいのです。

何の目的もなく、二人の男のあいだを行き来し、
酒を飲んで、食べて、
美容サロンで働いて、ときに笑い、そして爆発する。
そんな主人公のカナを河合優実が演じる。
彼女の怒りのトリガーになるものが
はっきりと提示されず、相手をする男たちは戸惑うばかり。
この男たちはクズではない。多少の狡さは垣間見られるが、
ちゃんとした人間性があり、カナへの優しさもしっかり持っている。
でも、彼女の心に安寧は訪れない。あくまで彼女自身の問題であり、
何かに葛藤している姿は悲痛そのものだ。
彼女がスマホで見る動画は
遠いアフリカの地にあるナミビアの砂漠。
水牛(だと思う)が池の水を飲む動画に
安らぎを求めているのか、ここではないどこかに
行こうとしているのか。
似た映画を見たことがある。
神代辰巳監督の「アフリカの光」だ。
無為な青春を過ごすショーケンと田中邦衛が
アフリカの草原でキリンが駆けるショットを
夢想する49年前の映画。この映画のアフリカは
安らぎを感じさせる映像だったが、本作のナミビアの砂漠は
どこかシュールで作り物のようなイメージがあり、
デヴィッド・リンチの映画を思い起こさせる。
映画の後半、メンタルを病んだ彼女は
心理カウンセラーとの対話で、
少しずつ自分を見つめるようになっていく。
カウンセラー役の女性、どこかで見たと思ったら、
「悪は存在しない」で印象的だった渋谷采郁という人。
プロのカウンセラーにしか見えない役どころで
河合優実に箱庭療法をする場面は本作の白眉。
中国人とのハーフであったり、父親との確執も
ほのめかされて、複雑な出自が垣間見られる主人公は、
最後の最後に、少しの成長と
心の平安がほんのり映し出される。
これはハッピーエンドなんだろうか。
それとも少しマシになった地獄の始まりか。
正解のなさそうな結末の前で呆然とせざるを得なかったという。
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