「文藝2021冬号」(河出書房新社)の特集は、
「聞き書き、だからこそ」。
岸政彦さん編著の「東京の生活史」刊行のタイミングなのかな。
人の話を聞き、それを書くことについての論考や対談、
そして実作などが編まれていて、とても興味深い。
いとうせいこうさんの「東北モノローグ」は
仙台で災害の本を出版している人の聞き書きだ。
なんだか、その人がすぐ近くにいるような、
体温のようなものが感じられて、
さすがだなあ。こんな風に書けたらいいなあと。
そのせいこうさんと岸政彦さんの対談がまた興味深い。
ふたりの発言を抜粋してみよう。
岸:
前に僕は路上のギター弾きのおじいちゃんに生活史を聞いたことがあって、やくざに絡まれたエピソードがあったんです。おもしろいけど削られた、「まだ(やくざ)と付き合いがあるんで」って。でも意外なことに、削った後もおもしろさが変わらなかったんですよね。
いとう:
同じ単語をくり返し言うとか、文法的に間違った言い回しとか、校閲から修正が入りそうなところほど念入りに語り手の言語を守る。それが出汁になる。
そうなのか。
話を聞いたときに、ものすごく面白いエピソードって、
文字原稿にすると、意外と面白くないし、
本筋から離れてしまっていたりする。なくてもいいんだな。
でも、話し手のくり返しの単語とか、
文法的な間違いは直してしまう。
それは自分が話し手のことを信用していないからだろうか。
話し手がどんなに間違った言葉づかいをしても、
そのエッセンスを書き手が理解していれば、
読み手にも正確に伝わるということなのだろうか。
あと、梯久美子さんの論考
「声は消える」が衝撃的で。
ものを書く人間には「目の人」と「耳の人」がいるのではないかと思う。もちろんすぐれた作家は目も耳もいいのだが、たいていの場合、どちらかが優秀である。
ひい。そんなの考えたこともなかったです。
自分はライターとして目がいいのか、耳がいいのか、
と自問自答してみる。でも両方ともたいしたことはないと
すぐ結論が出てしまう情けなさ。
それでも前を見て、耳を澄ますしかないのです。
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