佐藤忠男さん…。
以下、長いけど引用します。
「大島渚の世界」(1973年・筑摩書房刊)より。
大島渚は、芸術上の目標としては増村保造を徹底的にマークしていたが、社会現象として、また同じ映画界におけるもっとも華々しく大衆的影響力を持つ存在として、さらには、自分の同世代の若者で早くも脚光を浴びて社会的発言を行っている稀な存在として、とくに石原慎太郎を意識しないではいられなかったであろう。また、学生運動のなかで反体制運動の停滞を痛いほど体験したと繰り返し語っている大島渚は、石原慎太郎の提起した若者のいらだちには共感したであろう。しかし、同時に、慎太郎のいらだちが、実は社会的成功によってたやすく解消されるような性質のものであることを見抜き、そこをつくことによって彼らを乗り越えることができる、と考えたであろう。具体的にそう考えたかどうかは知らない。ただ、1960年代に若者のいらだちと非行的な反抗をモチーフにした映画をつくるということは、石原慎太郎のまきおこした、いわゆる太陽族映画ブームに便乗するか、あるいはそれに挑戦するか、という意味を追わざるを得ないことであった。そして、もちろん「青春残酷物語」は太陽族映画に挑戦してこれを打倒するものであった。
いいとか悪いとかは別にして、
太陽族映画に出てくる反抗的な若者は、
いずれ社会に出てブルジョワになるんだろうと
大島監督は見抜いていたのでは、
という佐藤忠男さんの考察に驚く。
映画評論とはこういうものを言うのかな、と
あらためて思ったりする。
とはいえ、佐藤忠男さんの熱心な読者ではなかったので、
知ったかぶりをするつもりはありません。
ただ、映画界に多大な功績のあった人であることは間違いなく、
その詳細はこれからさまざまなメディアで語られることでしょう。
長い間、ありがとうございました。合掌。
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