「急に具合が悪くなる」(晶文社)という本を読み返している。
哲学者の宮野真生子さんと、
人類学者の磯野真穂さんの往復書簡。
宮野さんはがんを患い、余命いくばくもないなかで、
生と死について思索の言葉を紡いでいる。
がんに見舞われていても、自分の人生を手放していないのは、
不運に怒りつつも、なんとかその不運から
自分を取り戻そうともがいているからだ、と。
以下、宮野さんの書簡から引用。
不運に打ちのめされ、提示された原因を前に理不尽を受け入れて、100パーセント患者になる人びともいます。もちろん本当は納得していないのかもしれません。しかし、わからないと怒ってもはじまらないし、それなりの原因と結果が提示されていれば、その物語におとなしく従った方が合理的かもしれません。でも、その物語に従うことは、自分の存在を「患者」という役割で固定することにもつながっているんじゃないでしょうか。そのとき、人は自分の人生を手放すことになります。不幸が生まれるのはこの瞬間なんじゃないでしょうか。なんだかとても皮肉なことだけど、不運という理不尽を受け入れた先で自分の人生が固定されていくとき、不幸という物語が始まるような気がするのです。
なんという名著。なにかあるたびに
読み返すべき本かもしれない。