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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

しみじみからぞくぞく

2025年03月13日 | 映画など
そういえば、
ジーン・ハックマンの映画を最近見たんだった。

コッポラの旧作が連続で公開されたときに見た
「カンバセーション…盗聴…」だ。
実はこれまで見る機会がなく、
たぶん見られないまま死んでいくんだろうな、
と思っていたけど、ハックマンが先に逝っちゃったのです。


ハックマン演じる盗聴のプロである主人公が、
依頼を受け、ある男女の会話を傍受したはいいが、
その会話の内容に不穏なものを感じたことから、
独自に調査を進めるストーリー。

この主人公、事件の真相に迫っていくはずが、
いつのまにか自らの半生でおかした罪に苛まれていく。
淡々とした描写ながら、
主人公の妄想なのかそれとも現実なのか
区別がつかなくなってくるところはホラー風味。
でもメカニックな盗聴の仕掛けもしっかり描写されていて、
幻想的な場面とリアルな場面のメリハリが巧みというか。

本作はウォーターゲート事件を予感した映画と言われたが、
コッポラはプライバシーをテーマにしたと語っているようだ。
社会派な映画というよりは、
一種の心理的スリラーといったほうがいいのかな。

ジーン・ハックマンが無骨に見えて、
じつは繊細な盗聴屋を好演していて、
彼の代表作の一本であることは間違いない。
さらにテリー・ガーとフレデリック・フォレスト、
ジョン・カザール、ロバート・デュバル、
さらにハリソン・フォードも出ていて豪華。みんな若い若い。

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ぼろぼろとぽろぽろ

2025年03月08日 | 映画など
武田一成監督
「おんなの細道 濡れた海峡」を見る。
にっかつロマンポルノの隠れた名作と言われる本作。
いつか見たいと思っていたんだけど、
たまに上映される機会がありながらことごとく見逃していた。
今回ようやく見ることができて、
おお。やっぱりまごうことなき傑作だと思った次第。
ありがとうシネマヴェーラ。


ヤクザの女房カヤ子(山口美也子)に
手を出した男(三上寛)が、そのヤクザが仕切っている
ストリップ小屋に許しを請いに行く。
しかし、怖じ気づいて一人で逃げてしまう。
それでもカヤ子に未練がある男は、
東北の町をあてどもなく彷徨い、そこで出会った
ワケありの女たちと情交を重ねていく。

男を演じる三上寛が実にいい味。
人の良さが滲み出ていて、それでいて好色なところが、
女たちの琴線に触れるのだろうか。
こんなコトしてていいのかな、
と自問自答しながら快楽に埋没していく。
なんともやるせないが、どこかからっとした
明るさというか能天気なムードが全編に漂う。
東北のさびれた街並みを映し出したロケーションも素晴らしい。

三上寛はフォークシンガーとして有名な人だけど、
俳優としても「新仁義なき戦い 総長の首」とか
「狂った野獣」などでも印象に残る役どころで、
歌うたいに演じさせるとやっぱりいいんだろうな。
ヤク中のストリッパー役の山口美也子も、
無頼な漁師役で登場する石橋蓮司も、どこか愛らしくて、
この二人の隠れた代表作の一本だと確信する。

武田一成監督は、
しみじみとしたユーモアあふれる映画を撮る人で、
今いちど再評価されるべき監督だと思う。
おまけに本作は脚本が田中陽造で原作が田中小実昌なんだから、
そりゃあ傑作になるだろうと。
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中指を立てて歌え

2025年03月04日 | 映画など
ジェームズ・マンゴールド監督「名もなき者」を見る。
なんという傑作。号泣に次ぐ号泣。
体内のありとあらゆるところから
水分が、よくわからない成分の液体が、
ダダ漏れでびしょびしょです(下品ですみません)。
残念ながらオスカーは獲れなかったけれど、
ディランに扮したシャラメ君、素晴らしすぎる。


ここに登場するディランは
かなりめんどくさいあんちゃんである。
気分屋でイライラしていることが多くて、
繊細なくせにがさつで傲慢。
愛に飢えていながら、愛されることが苦手。
近くにいたら、さぞかし鬱陶しい奴であることは間違いない。

でも、そんなことはどうでもいい。
だって、ステージに上がって、
「時代は変わる」を歌うんだもの。
そりゃあみんな感涙するでしょう。
で、もちろんこの映画を見ている観客、
つまり自分も号泣していたという。
ディランがイケズであればあるほど、
彼の歌がどんどん神々しくなっていく不思議。

ただし、
ディランはそこでとどまるようなタマではなく、
時代に背中を押され、エレクトリックで武装し、
フォークシンガーとしての自分を否定しながら、
世の中に異を唱える、というか、
喜怒哀楽のすべてをぶちまけていく。

これぞ、まさにロックであり、このときのディランは
世界最高のロックンローラーである。
そのあたりがじつに丁寧に描かれているわけで、
いや、もう。ほんとに驚くやら感激するやら。

ディランのマニアのなかには、
史実と違うとか、あんなエピソードはない、
なんてことをいろいろ言う人がいるかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
お前、いいから聞け。
ディランの、シャラメの歌を聞け、と言いたい。

恋人役のエル・ファニング。
すっかり大人の俳優になったなと思う。
シャラメ君とは二度目の共演かな。
ふたりともこれからのアメリカ映画を
背負っていく人たちだと確信する。

ピート・シーガー役のエドワード・ノートン。
オスカー獲っても不思議じゃない好演。
妻は日本人だったんだな。演じた初音映莉子さんも存在感があった。
ジョーン・バエズ役のモニカ・バルバロは、
エルファニとのコントラストがとても良かった。
ジョニー・キャッシュ役のボイド・ホルブルックも
やたらにカッコ良くて。演奏場面は痺れましたよ。

そういえばジェームズ・マンゴールド監督って、
ジョニー・キャッシュの伝記映画を撮っていたっけ。
残念ながら未見だけれど、きっとどこかの映画館で
本作との二本立てをやってくれるでしょう。

残念ながらお客さんはかなり少なめ。
自分のようなディラン好きか
シネフィルのおっさんしかいなかった印象。
でもまあ、宣伝の人からすると、
ディランを前面に出して売るわけにいかないしなあ。
シャラメ君がオスカー獲ってくれれば、
と願っていたんだろうけど。
っていうか、歌と演奏までやってるんだから
主演賞あげてもよかったんじゃないの。
アカデミーの人たちもイケズですな。

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あなたは一人ではない

2025年02月19日 | 映画など
松重豊監督「劇映画 孤独のグルメ」を見る。
もともと原作マンガもテレビもずっと好きで見ていたし、
松重豊という人は自分的には好感度が高い。
ていうか、いまやこの俳優さんが嫌いという人は
あまりいないんじゃないだろうか。
強面だけどお茶目な個性。誠実な佇まい。
てことで、本作を見に行かない選択肢はないのです。


これは前半こそ「孤独のグルメ」だけど、
後半に行くに従って「孤独じゃないグルメ」になっていく。

もともとこの作品は、
腹を空かせた井の頭五郎が
食べ物屋を物色して、
注文したものをこっそり食すだけのシチュエーション。
脳内はさまざまな食材や味で大騒動だが、
五郎はあくまで物静かに(でもうまそうに)食すのみ。
そのオフビート感がいい味を出しているわけで。

でも今作は映画だから、スケールをアップさせて、
フランスや韓国に行かせたり、カヌーで遭難させるなどの
スペクタクルを見せていく作品となっていく。
五郎も孤独ではいられなくなり、塩見三省演じる老人の
思い出の味を再現するために、輸入雑貨商の枠を超えて、
多くの人たちの協力を得ながらいい話を紡ぎ上げていく。

塩見三省さん、お元気そうで何より。
大病をしたから身体を動かす芝居は厳しそうだけど、
スクリーンで見られて良かった。
磯村勇斗も毒気のない役どころは久しぶりに見る。
本作のヒロインは内田有紀かなと思いつつ、
傍役の一人としての佇まいを保つところも好感。
ときおり登場する、韓国の移民局の職員とか、
兵士の恰好をしながら、ただの便利屋っぽいアメリカ人に
オフビートなおかしさが滲んでいて、
松重さん、次はアキ・カウリスマキ的な
クールな人情コメディを作ってくださいな。

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悔恨と暴走

2025年02月13日 | 映画など
吉田大八監督「敵」を見る。
いやはや。苦笑の連続ですこぶる面白い。
元大学教授の老人が、心身の衰えと共に、
時空を超え、あっちの世界やこっちの世界を行き来し、
現実と妄想の境界が無くなるブラックコメディ。
笑うやら身につまされるやらで、
暴走老人ならぬ暴走映画と化していくのでした。


筒井康隆の原作を読んだのは20年以上前のことで、
あれからさらに年を取っている自分としては、
より身につまされる内容になっているというか。

自分は長塚京三演じる元大学教授のような
インテリではないけれど、男という生き物は
年を取ったらいい感じで枯れるなんてとんでもない。
心の奥底はそれはそれはヨコシマな欲望でまみれていて、
それを知性とか分別で隠そうとしても
ある瞬間、ぼこっと現れてくるというか。
しかも目の前に現れる女性が、
瀧内公美とか河合優実だったりするわけで、
そりゃあ頭がどうかなっちゃいますよ。
絶対狂うね。この老教授。ほらあ狂った。

さらに老いというものに抗うことができず、
心身が衰えていくとともに、
不安や恐怖がこの老教授に忍び込んできて、
現実と妄想の区別がつかなくなってくる。こわいこわい。
そういえば、この映画は全編モノクロで撮られていて、
もしかすると、そもそも最初から、
つまり全編が妄想なのかもと思ったりする。

長塚京三は年を取っても、
ダンディだし絵になる人だと思うけど、
よくぞこれだけ腐臭を放つ老人が演じられたと思う。
瀧内公美と河合優実の思わせぶりな芝居も、
じつは長塚京三の妄想なんだなと思うと納得感が増す。

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38年目の覚醒

2025年01月26日 | 映画など
アニエス・ヴァルダ監督
「カンフー・マスター!」を見る。
初公開時に見逃してしまい、以後、見る機会がなく、
結局見られないまま死んでいくのかと思いきや、
ジェーン・バーキン一周忌のタイミングで
デジタルレストア版として再公開。
何がいいたいかというと、生きてて良かったということと、
ジェーン・バーキンという俳優の魅力を
今さらながら認識したという。


バーキンが演じるのは、40歳のマリー。
15歳と5歳の娘がいる設定だが、両方ともバーキンの実の娘だ。
上の娘は言わずとしれたシャルロット・ゲンズブール。
そしてバーキンとジャック・ドワイヨン監督とのあいだに生まれた
ルー・ドワイヨンが演じる、というか、まだ5歳だから
母と娘の関係性がものすごくナチュラルに映し出されている。

物語は、マリーが娘のルシー(シャルロット)
のために開いた誕生会から始まる。
酒を飲んで潰れていたルシーのクラスメイトで、
空手のアーケードゲーム好き
(本作のタイトルはこのゲーム名が由来)の
ジュリアンを介抱したことから、
この25歳も年下の少年と恋仲になってしまう。

さぞかし禁断のラブストーリーになるかと思いきや、
タブーを冒している感じがさほどない。
それは、劇中、シングルマザーであるマリーが、
家事や仕事をこなしながら、反抗期のルシーとの
コミュニケーションに四苦八苦する
いち生活者としての姿が
映し出されているからではないかと思ったりする。

ナチュラルかつリアルな描写を積み重ねて
日常のなかに、ぽんと湧き起こった恋心。
観客がマリーにもジュリアンにも
共感できるような、生活の一風景としての
ラブストーリーをさりげなく見せてくれた。

ジェーン・バーキンは、
歌手としての印象が強く、時代のアイコンではあるけれど、
映画女優としてはあまり印象がなかった。
シャルロット・ゲンズブールの
母ちゃんはすげえキレイな人だったんだという
頭の悪い認識しかなかった自分を恥じたい。
等身大の女性としてのバーキンのナチュラルな存在感を
映し出してくれた本作はとても貴重なんじゃないだろうか。

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せまいよくらいよあばれるよ

2025年01月19日 | 映画など
ソイ・チェン監督
「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」を見る。
いや。その。すごく面白かったんだけど、
なんかすごく懐かしくて、熱量の高い
カンフーアクションの連続でありながら、
しみじみと見てしまったという。


見ようと思ったのは、サモ・ハンが出ているからだ。
キン・フーの武侠映画で名を上げ、
ブルース・リー映画の出演を経て、
「燃えよデブゴン」を始め「五福星」や「スパルタンX」で
ユン・ピョウ、ジャッキーと黄金トリオを組んだサモ・ハン。
73歳の太っちょスターが、
やたらに気合いの入っていそうな
香港アクションに出ていて、しかも悪役だというから
それは見たくなるだろう。

で、肝心の映画の中味。
時代は1980年代の香港。密入国してきた青年チャンが、
かつて実在した九龍城砦という、魔窟のような巨大なビルに逃げ込み、
黒社会のヤクザたちとの抗争を繰り広げる。
とにかく、実際に存在した九龍城砦を再現した
緻密な背景美術のなか、狭っ苦しい通路で、
踏んだら壊れてすぐ落下しそうな窓の外枠で、
飛んで蹴って戦う男たち。
重力に逆らうワイヤーアクションの連続。
壁に追突して、大きな穴があいて
その奥に突っ込むマンガのような描写。
一度仕えたボスへの忠義と、仲間たちの熱い友情。
金と欲にまみれた敵役が繰り出す極悪非道な裏切りの連続。
ここにはブルース・リーもジャッキーも、
男たちの挽歌もワンチャイも詰まっている。

つまりはノスタルジーなんだろうな。
それを九龍城砦という、
現在は失われた場所で再現してのけたのが本作というか。
そのなかに当時の空気を知っているサモ・ハンが
いてくれる安心感というか、保険みたいな存在。
香港ではナンバーワンヒットというから、
ぜひ続編も作ってもらいたいけれど、それは
単なるノスタルジーの再生産で、何の発展もないじゃないか、
という批判はとりあえずやめておきましょう。

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記憶と更新

2025年01月13日 | 映画など
「Ryuichi Sakamoto
 Playing the Orchestra2014」を見る。
教授が亡くなって2年近くになるんだな。
東京都現代美術館での展覧会も始まって、
教授が遺した作品群をあらためて受け止める流れは
しばらくは続くのだろう。
YMOと戦メリといけないルージュマジックの人、
というイメージから抜けきれない自分としては、
オーケストラを指揮する教授の姿を新鮮な思いで見て、聞く。


スクリーンで見る(聞く)のもかなりのものだけれど、
もしナマでこの東京フィルの演奏を聴いたら、たまげるだろうなあ。
教授はそもそもクラシックと現代音楽の人だから、
いわゆる劇伴=映画音楽の圧倒的な迫力に気持ちを持っていかれる。
「戦メリ」とか「シェルタリング・スカイ」とか、
音楽の力があったから、あれだけの見ごたえだったわけで。

3・11の後におこなわれた公演だけに、
追悼の意と、やるせない怒りと、
未来への思いが込められた曲にも感じ入る。

照れながら話す教授のMCを聴いていると、
俺、そんなに偉くないよ、という感じが漂ってくる。
オーケストラの演者を信頼して、大きな音のかたまりを
観客に届けようと懸命になっているところに好感。

YMOの曲からは「Castalia」を演奏。
さすがに「東風」とか
「ビハインド・ザ・マスク」というわけには
いかないんだろうなと思いつつ、大いに楽しめた2時間。
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共感なんかいらない

2025年01月06日 | 映画など
山中瑤子監督「ナミビアの砂漠」を見る。
主演が河合優実だ、と新たな神様候補に
浮かれて見に行ったシネフィル(自分、だ)にとって、
まったくもって己のアホさ加減に
気づかされる映画となったんじゃないだろうか。
映画はあんたの快楽を満たすためだけに
あるわけじゃないんだから。
と、最近の神様は、なんとも手厳しいのです。


何の目的もなく、二人の男のあいだを行き来し、
酒を飲んで、食べて、
美容サロンで働いて、ときに笑い、そして爆発する。
そんな主人公のカナを河合優実が演じる。
彼女の怒りのトリガーになるものが
はっきりと提示されず、相手をする男たちは戸惑うばかり。
この男たちはクズではない。多少の狡さは垣間見られるが、
ちゃんとした人間性があり、カナへの優しさもしっかり持っている。
でも、彼女の心に安寧は訪れない。あくまで彼女自身の問題であり、
何かに葛藤している姿は悲痛そのものだ。

彼女がスマホで見る動画は
遠いアフリカの地にあるナミビアの砂漠。
水牛(だと思う)が池の水を飲む動画に
安らぎを求めているのか、ここではないどこかに
行こうとしているのか。

似た映画を見たことがある。
神代辰巳監督の「アフリカの光」だ。
無為な青春を過ごすショーケンと田中邦衛が
アフリカの草原でキリンが駆けるショットを
夢想する49年前の映画。この映画のアフリカは
安らぎを感じさせる映像だったが、本作のナミビアの砂漠は
どこかシュールで作り物のようなイメージがあり、
デヴィッド・リンチの映画を思い起こさせる。

映画の後半、メンタルを病んだ彼女は
心理カウンセラーとの対話で、
少しずつ自分を見つめるようになっていく。
カウンセラー役の女性、どこかで見たと思ったら、
「悪は存在しない」で印象的だった渋谷采郁という人。
プロのカウンセラーにしか見えない役どころで
河合優実に箱庭療法をする場面は本作の白眉。

中国人とのハーフであったり、父親との確執も
ほのめかされて、複雑な出自が垣間見られる主人公は、
最後の最後に、少しの成長と
心の平安がほんのり映し出される。
これはハッピーエンドなんだろうか。
それとも少しマシになった地獄の始まりか。
正解のなさそうな結末の前で呆然とせざるを得なかったという。


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あいだにあるもの

2024年12月26日 | 映画など
ベリコ・ビダク監督
「キノ・ライカ 小さな町の映画館」を見る。
アキ・カウリスマキ監督は、
兄のミカとヘルシンキで映画館とバーを
経営していたことはよく知られていたが、
大企業が映画館の入っていたビルを買収し、閉館の憂き目に遭ったらしい。
代わりにアキの故郷カルッキラで、鉄鋼工場の跡地に
映画館を新たにつくる経緯がドキュメンタリーに。
監督は違う人なのに、ぶっきらぼうで淡々とした見せ方は
まさにアキ・カウリスマキ的。これまでこの監督の映画を
好んで見ていた人にはたまらない一作だ。


なんか画面が暗い。
いかにも北欧という感じの
森と湖の奥にある小さな鉄鋼工場の町で暮らす人たちが、
口々に「こんど映画館ができるんだって」「楽しみだわ」
みたいな話をしている。なかにはアキの映画が好きな人もいて、
「真夜中の虹」などの話をぼそぼそと呟いている。
アキの映画に出た俳優や、アキの作風を継承していると言われた
「コンパートメントNo.6」の監督もいたり、さらには
ジム・ジャームッシュが出てきて、アキと彼の映画について語る。

映画館の建設と設営に勤しんでいる人たちが映し出される。
よーく見ると、寡黙な小太りのおっさんが、
けっこうてきぱきと作業する人たちに指示をしていた。
あ、あのおっさんがアキだ! と必死で目を凝らすも、
映画は特に主役にフォーカスしない。
ただ淡々と映画館がつくられている様子を映し出すのみ。
作業と労働を慈しんだ映画を撮る
アキ・カウリスマキっぽい感じがして微笑ましい。

終盤に来て、ようやくアキが語る場面に注目する。
いや、アキが喋った、という
軽い驚きと言ったほうがいいかもしれない。
映画が大好きだった少年時代。
そして「極北のナヌーク」と「黄金時代」
この2本のあいだに、世の中の映画のすべてが入る。
そう語る彼の言葉を有り難く受け止める。

村上春樹がエッセイで、
ヘルシンキのアキの映画館のことを書いていて、
映画館に併設されたバーのモットーは
「冷たいサービスと、温かいビール」だと。
カルッキラの映画館にもバーはあるみたいだから、
同様のサービスが継承されているといいな。

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