旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

フラメンコを堪能する

2008-09-12 15:54:43 | 時局雑感

 

 「古橋紀子アカデミア」というフラメンコ舞踊団が豊橋市にあり、その発表会を見る機会に恵まれた。
 実は私の会社の社員(取締役営業部長を務める32歳の女性)が、その名古屋教室に通っており、彼女の日ごろの成果を観ることになったのだ。彼女は忙しい業務の合間をさいて熱心に教室に通い、日々研鑽を積んでいる話を聞いていたが、正直なところ私は、いわゆる趣味の遊びに過ぎないのだろうぐらいに考えていた。
 ところがどっこい、その名の示すとおりなかなかアカデミックな踊りの連続で驚いた。彼女も2ステージ登場したが、本格的な踊りを披露した。
 フラメンコといえば、カスタネットを打ち鳴らし足を踏み鳴らし、とにかくエキセントリックに踊るものと心得ていたが、この教室の踊りは、もっとずっとバレーに近いように感じた。背筋を伸ばした美しい体の線が、実にさわやかに舞台を彩った。
 どんなに激しく下半身を動かしても、上半身の上下動のないこと、それと、お腹を突き出すことなく背筋を反らせる(反った背中に大きな卵が入るぐらい)こと、これが美しい姿勢の決め手だと彼女が解説してくれた。
 何事もその道の真髄に触れることが重要だ。

 今月はもう一度名古屋に行く。娘の音大時代の同級生がオペラに出演するので、名古屋芸術劇場まで応援に行くことになっている。
 またその週は、知人の岩森栄助氏のコンサートもある。
 だんだん芸術の秋らしくなってきた。
                            


カボス・・・大江健三郎

2008-09-10 13:37:46 | 時局雑感

 

 8月23日のこの欄で「カボス、憲法9条、大江健三郎・・・」という記事を書いた。ふるさと臼杵の産品カボスが送られてきた箱の中から、713日に臼杵で行われた大江健三郎講演会(「9条の会・うすき」主催)の模様を伝えるたくさんの記事が出てきたからだ。
 講演会の詳報を読みながら、カボス箱から出てきたものを短絡的に並べて「カボス、憲法9条、大江健三郎」という表題にしたのだ。今回の表題は、その中から憲法9条をはずしてあるので、「9条を守る会」からお叱りを受けるかもしれない。まあしかし、決して9条を無視したり軽視しているつもりはないので、お許しを願いたい。

 実はその後、大江氏の臼杵市講演会を主催した弟と電話で何度か話し、その講演内容の良さもさることながら、大江健三郎という人のすばらしさを何度も聞かされた。「やさしさがにじみ出ているような人柄」、「丁寧で、謙虚で、ユーモアにも富んだ人」などなど。
 その下りは、8月23日の前掲ブログに対する弟のコメントに詳しいが、そこに書かれた「大江氏のカボスの食べ方」が問題になっている。お土産代わりにカボスを送ったところ、お礼の手紙に「カボス、毎日飲んでいます」と言う一文があり、弟も「? 飲む?」と、その食べ方を気にしているようだ。
 カボスの酸味は相当にきつく、そのまま飲むには酢っぱ過ぎる。焼酎などに垂らして飲んだり、蜂蜜などに混ぜて飲むことはあるが、ひょっとして大江氏は、カボ酢そのままを顔をしかめて飲んでいるのではないか?
 この著名なノーベル賞作家は、文章や講演はうまいが、カボスの食べ方は知らないのではないか?
 いや、氏は四国の出身だ(愛媛県内子町?)。四国の人なら「スダチ」を知っているだろう。だとすれば、スダチの強敵カボスを知らないわけはなかろう。

 このような心配ばかりしているので、憲法9条が間に入る余裕が無い。なんとしても大江氏が、カボスを飲むだけでなく、新鮮な刺身や焼き魚などに適量を垂らして味わいを深めていただきたいと願ってやまない。
 それが判明したとき、改めて憲法9条を論じよう。
                            


まぼろしのヤシ酒「テュバ」を追って(4)

2008-09-06 13:05:46 | 

 

 思いがけずも地元のおばあちゃんから、そのハズバンドが造ったと言うテュバを頂き(もちろん私は、「要らない」と言うおばあちゃんに相応のお代を払ったが)、そのネイティヴな味に満足した。私は出来ることならおばあちゃんの家を訪ね、「ハズバンドがヤシ酒を造る」ところを見たかったが、それを手にしたのは旅の最終日四日目で、とてもその余裕はなかった。
 トラベルジャーナル社の『ワールド・カルチャーガイドミクロネシア』に、ヤシ酒の造り方が書かれてあるので、いくつか引用させていただく。

 
「ヤシの実がなる花穂を切り落とし、そこから垂れる液汁を
 
 集めて醗酵させただけである」しかし「液汁がよく出るよ
  う、一日に二、三回木に登り、花穂の切り口をナイフで切り
  落とす作業がいる」
 「・・・一度切った花穂からは一ケ月か二ヶ月間液汁が出る。
  それを
ヤシの器(核皮)やガラス瓶で集める。(中略)常温
  で半日も放置すれば、白濁してドブロクのような酒になる。
 (中略)醗酵し出来上がったヤシ酒は、アルコール含有量4
  ~7パーセントと、ビール程度」(同書126頁)

 
酒は「糖を酵母の力で発酵(アルコールと炭酸ガスに分解)させる」と出来る。要するに、ヤシの実をつける茎から出る液汁を溜めて、その中の果糖自然の酵母が働きかけて酒となるのであろう。日本酒の製造過程のように、培養酵母を加えて酒母(酒のもと)を作ったり、酵母の働きが落ちないように三段仕込みをしたり、厄介なことはしない代りにアルコール度はせいぜい数パーセントだ。しかし立派な酒である。むしろ南国らしい野性味がいい。
 簡単な造りとはいえ、液汁を溜める容器にヤシの核皮を使い、それは洗わないというから、そこにはヤシ酒を造り続けた酵母がたくさん住み着いているはずだ。それがより早い醗酵を促すのだ。自然の理(経験?)に適った造りだ。

 気になったことは、同書にも「ヤシ酒はまだ細々と作られているが、そのうち『幻の島酒』として高価になってしまうかもしれない」と書かれてあることだ。「おばあちゃんのハズバンドが造ったテュバ」に比べ、「四川ラーメン」の白っぽいテュバは、もう一つコクがなかった。本物はどんどん姿を消していくのかもしれない。
 最も自然が残っている筈のグアム・・・、その島をつつむエレジー・・・
                             


まぼろしのヤシ酒「テュバ」を追って(3)

2008-09-05 14:26:01 | 

 

 グアム3日目の午前のこと、ひと泳ぎして部屋に帰りシャワーを浴びていると、ホテルの制服を着たおばあちゃんが冷蔵庫のチェックに来た。私は作夜しまったテュバが見つかり「変なものがある」と捨てられては大変と、あわててバスタオルを腰に巻いて一物だけは隠し(おばあちゃんと雖も相手は女性、しかも人前にさらすほど立派な物でもないので)シャワー室を飛び出て、「これは苦労して手に入れたテュバというヤシ酒だ。捨てないでくれ」と告げた。

 
そのビンを手にして、しげしげと見つめたおばあちゃんが振り向いた。
「あんた方はテュバが好きか?」
「もちろん。グアムに来たらテュバを飲みたい。やっと見つけたのだ」
「そんなに好きなら持ってきてあげよう。私のハズバンドが造っているのだ」
「え? リアリー?」
 私は一瞬かしこまった。急いでシャツとズボンを身につけ「是非あなたのハズバンドのテュバを飲みたい」と告げた。(態度も言葉使いも急に丁寧になるところが嫌らしいと自ら反省しながら)
「明日の朝、9時に来るので持ってきてあげよう。本物のテュバは、ここにあるものとは
色も違う。飲んでみれば分かるがスィートだ」
と言いながら平然と部屋を出て行った。

 もちろん、おばあちゃんはテュバを持ってきてくれた。約束の9時はかなり回っていたが、大きなウーロン茶の容器にいっぱい詰めて。
 見ると、一昨夜飲んだものと色からして違う。ウーロン茶のような色をしてドロドロしており、よく見るとヤシの果肉か繊維のようなものが浮いている。
 どちらが本物か分からないが、デデド(タモンの隣村で恋人岬の在る町)に住むというこのおばあちゃんが直接手に提げて持ってきてくれたテュバを、私は本物に触れる感動を覚えながら飲んだ。そして残りを、エビアンの小容器に移して日本に持ち帰ったのである。(今なら検閲で不可能であるが)
                             


まぼろしのヤシ酒「テュバ」を追って(2)

2008-09-03 17:01:09 | 

 

 思いがけないジェリー斎藤氏の言葉に、われわれはショーの終わりもそこそこに、テュバを置いてあるという「四川ラーメン」なる店に向かった。
 昼間あんなに探して見つからなかったテュバが本当に飲めるのだろうか? 
 だいたい「四川ラーメン」という店名が怪しい。四川と言えば、あの四川料理の四川であろう。ラーメンとは日本料理で中国料理には無い。中国と日本をごっちゃ混ぜにしたような店に、グアムの本物の地酒が果たしてあるのか?・・・
 などと訳の分からないことを思いながら店に入り、とにかくテュバを頼むと、やや太り目のお姐さんが「は~い、テュバ2杯!」と言う調子でいとも簡単に運んできた。われわれはその白濁した液体のグラスを高くかざし
 「ケイコさんとダニーとジェリー、それにグアムに乾杯!」
とか言いながら、待望のテュバを飲んだ。
 酒というより果物のジュースに近いと思った。飲み口としては日本のドブロク、韓国のマックォリのようだ。明らかに違うのは匂いとあと口(飲んだ後のもどり香)。匂いは酢のような匂いでそれなりに強烈、味は生臭いがスィートだ。匂いに比しておいしいと感じた。一番の特徴は後に残る香りで、これは明らかにヤシの実の香りだ。昼間のツアーで立ち寄ったウマタックの岬で、マゼランが上陸したと言う美しい湾を眺めながら、みんなで食べたヤシの実の味だ。
 われわれは岬の出店で、店の人が斧で裂いた切り口にストローを入れて果汁を吸い、吸い終わった実を切り開いて中の果肉を食べた。この果肉は「果物というよりマグロのトロのようだ」というのが大方の感想であったが、それらの味がすべて凝縮されてテュバの中にあった。

 私は「四川ラーメン」のママさんに無理を頼み、商売用のテュバを小さなミルクのビンに分けてもらい、勇躍してホテルに帰り、翌日の全員食事会用にと冷蔵庫にしまったのであった。

 ところが(またまたまた「ところが」で、いささかうんざりしてきたが)、もっと大量の「本物のテュバ」を提供しようと言う人が現れたのである。(続きは次回)
                             


まぼろしのヤシ酒「テュバ」を追って

2008-09-02 14:53:07 | 

 

 何度も書いてきたが私は旅先では、その地の酒をその地の料理で飲むことにしている。グアムに行けば、当然のことながら「チャモロ料理でテュバ(ヤシ酒)を飲もう」と思った。
 社員旅行用にチャーターした島巡り観光バスに乗り込むや、ケイコというガイド(現地に住む日本人のおばちゃん)に、「テュバを飲みたいので売っている場所を教えてください」と頼んだ。ところが、ケイコさんの答えは「ヤシ酒? そんなもの今は何処にも売っていませんよ。現地の人が自分が飲むために個人的に造っている人はいるでしょうが・・・」
 私は愕然として「地酒なんてそんなものか・・・」と諦めかけていたところ、再びケイコさんが「運転手のダニーさんがヤシ酒を造っているところを知っているので、島巡りの途中に立ち寄って買ってくれるそうです。実はグアムでは、バスの中で酒を飲んではいけないことになっている。しかしダニーさんは目をつぶるので、後方の席で、ポリさんに見つからないように飲んでくれ、とのことです。」と言う。
 私は歓声を上げ、ケイコさんとダニー青年に最敬礼した。ケイコさんはますますきれいに、運転するダニー・ボーイの後姿はたくましく大きく見えた。

 ところが(再び「ところが」であるが)、目指す集落や民家を次々と訪ねるも、なかなか見つからない。「ここなら・・・」というところは相手が不在だ。ついに目的のものを手にすることなく、バスは終点へ向かった。しかし私は満足した。ケイコさんは私の思いを察してくれて運転手に尋ねてくれて、それを聞いたダニー君は知る限りの先々を訪ね探してくれたのだ。

 やはり「ヤシ酒はまぼろしか・・・」と諦めかけていた。
 ところが(またまた「ところが」で恐縮だが)、ついにテュバを見つけた!
 その夜、チャモロ民芸のショーに向かうタクシーの運転手(ジェリー斎藤と名乗った)に、私が愚痴っぽくヤシ酒の無いことを嘆くと、「え? ヤシ酒ってテュバのことですか? それ飲ませる店ありますよ。ホテルオオクラのそばの『四川ラーメン』にありますよ」とのこと。
 われわれは、ショーもそこそこに店に駆けつけ、待望の酒を飲んだのである。何事も執念である。望みを捨ててはいけないのだ。

 しかもこの話はまだまだ続く。「ところが」がまだ出てくるのであるが。
                                          


投票ボタン

blogram投票ボタン