旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

名古屋城、熱田神宮、ノリタケの森・・・

2008-09-28 16:19:46 | 

 

 名古屋城の天守閣を見学しながら、戦国の世を戦い抜いて近世日本に道を開いた三人--織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が、いずれもこの地の人間であることを改めて認識した。織田信長はてっきり清洲かどこかで生まれたものと思い込んでいたが、名古屋城の二の丸にあたる場所で生まれ、その後清洲(須)に移ったということだ。
 ことによっては、名古屋は日本の中心になっていたのだ。ところがこの3人は生まれ故郷に愛着はなかったのか、信長は専ら京都に向かい、ついに本能寺で死に、秀吉は大阪に住みつき、家康は東京に幕府を開いた。
 名古屋は偉大なる3人を産み落としたが、その3人が目を向けた東京、大阪、京都に後れをとった。すなわち、日本の政治経済の中心は東京となり、商いと食文化は大阪、伝統文化は京都となって、その狭間にあって名古屋は「偉大なる田舎」となったのである。もちろん名古屋人はそのようなことには頓着なく、ひたすら地味に生きて、バブルに手を出す度合いも小さかったので、近時の成長は目覚しい。経済では世界のトヨタを産み育て、文化でも、本格的なオペラの出来る日本一のオペラハウスといわれる愛知県芸術劇場などを持っているので油断ならない。

 熱田神宮は、初詣などでは盛況らしいが、静寂な緑に包まれていた。三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのつるぎ)が祀られてあるというが、一切派手さはなく、神殿も鳥居もそれほど大きくもない。
 そこがいいと思った。神社などは、何もなくて緑と静寂だけがあればいいのではないか? 田舎の「村の鎮守」も、お祭りのとき以外は何もなかった。

 ワイフと娘が一番喜び、一番生き生きとしたのはノリタケミュージアムであった。日本の洋食器の歴史を代表し、世界に羽ばたいたノリタケの陶器は、確かに、いつまで観ても見飽きぬものがある。特に食器というのは、毎日使うものだけに親密さがあり、食べ物を重ねる夢がある。女性が最も好むものの一つであろう。
 残念ながら娘の帰京する電車の時間が切迫しており、その前に「ひつまぶし」を食べなければならないこともあり、ミュージアムも一部を残し、売店であわてて土産類を買いあさって、後ろ髪を惹かれる思いで立ち去った。「次回の名古屋は先ずノリタケの森からはじめよう」と話しながら。
                            


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