旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

「犠牲者が抑止力だった」 … 渡辺美佐子さんの語り継ぐもの

2014-08-09 14:41:11 | 政治経済


 今日は長崎「原爆の日」。6日の「広島の日」に続き戦争や核兵器について考える日が続く。その中で、7日の毎日新聞夕刊『特集ワイド』に、女優渡辺美佐子さん(81歳)のある随筆のことが載った。それによれば…、

 麻布の小学校に通っていた小学5年生の渡辺さんの前に、一人の少年が転入してくる。しかし、「これはまさしく私の初恋であった」とふり返るその少年も、一年ほどを経てどこかに消える。後で分かったことであるが、その少年は広島に疎開していたのだ。
 45年8月6日、県立広島2中の1年生であったその少年は、勤労動員で建物疎開の作業中原爆被災、同級生321人とともに全滅、少年の遺品も遺骨も残っていなかったという。
 少年の消息を求め続けた渡辺さんは、35年を経て1980年、テレビの対面コーナーで少年の両親に会ってこの事実を知る。以来30年、渡辺さんは被災者の手記や『原爆詩集』(峠三吉)を朗読する活動を続けている。
 毎日新聞の記事は、抑止力を理由に憲法9条をないがしろにする政府に怒る渡辺さんの、次の言葉で結ばれている。
 「69年間も原爆が使われなかったのは、ヒロシマやナガサキの悲惨さを世界に伝えた犠牲者がいるからじゃないですか。あの人たちこそが抑止力になったんです。それを誇りに思いたいんです」

 安倍自公政権は、憲法解釈を捻じ曲げてまで集団的自衛権の行使容認に踏み切った。それを抑止力にして平和を保つ、というのがその言い草だ。しかし、武力は抑止力になってきたか? アメリカは世界を何十回も破壊しつくすことができるほどの核兵器をもっているが、9.11テロを抑止できなかった。武力は平和を守るのではなく、軍拡競争を通じて戦争を引き起こしてきたのが世界の歴史だ。
 真の抑止力は憲法9条とそれを守る平和希求だ。その底辺に戦争犠牲者に対する深い思いと戦争への反省がある。渡辺さんの「犠牲者が抑止力だった」という言葉は重い。


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