森友・加計問題、最高権力者の無思慮な「ひと言」を発端として、その「ひと言」に全てを整合させるために
事実の歪曲や改ざんやウソを幾重にも塗り重ねてしまっているという構図はとてもよく似ている。
そしてそれは、旧日本軍が敗退を転進と言い替えたり、特別攻撃の命令をあくまで志願だと言い張ったり、
戦後に研究者や識者が調べているところでは、軍部上層に都合の悪い結果は報告されなかったりしたことにも重なる。
悲しくなるほど情けないことに、日本人の体質というかメンタリティというか、なんも変わってないように思える。
今も昔も古今東西「我が身可愛い」というメンタリティが世界共通だとすると、少なくとも政治や公の場面では、
そうした人の性(サガ)でモノゴトが左右されない仕組みやルールをしっかりと作るべきだろうと思う。
なのに、そうした発想がない、あってもしっかりした仕組みやルールを作れないままなのではないか。
日大アメフト部問題も、絶対権力者の監督に逆らえないという点で同じように思えるし、初期対応の拙さが問題を大きく育ててしまった。
学内のひとつの部の問題が学校全体の問題にまでマスコミ含めて世間が大きくしてしまった感もある。
どうなるんじゃろうね、日本大学。
日本は外国人労働者は、技能実習生とか高度な知識を持つ専門職とかに限定し、単純労働者としては受け入れないとしてきた。
それが、労働者不足に対応するためにそうした規制を緩めるという。
こうした報道を見聞きするたびに、外国人を単に働き手としか見てないように感じてヤ~な気分になる。
昭和の高度成長期の前、若者たちを金の卵として東京に大量に動員したこと、アフリカから黒人が大量に奴隷として移動させられたこと、
などと重なる感じがしないでもない。
外国人が人として住んで暮らして働いて、そのための制度や行政サービス、労働者としての権利もしっかり守られる規制も整備して、
安心して働いて暮らせる状態を整えて、もちろん今の意味と根拠不明な規制も廃止すれば、おのずと外国人は来てくれるだろう。
が、働き手としてだけ来てくれという発想で制約を緩めるだけではまだまだ不十分だと思うのである。
市内から車で30分ほど、鹿野町というところにある蕎麦道場に蕎麦打ち体験に行った。
1年以上も蕎麦を打ってないけど、身体が覚えているように動いて、まずまずの出来上がり、職場の仲間5人で試食、美味しかった。
ちょい悪さま:あの台詞は水野晴郎さんだったかな~と思うて書きました。
ビデオ、DVD、PPVなどの普及で映画館でなくとも楽しめるようになったことは喜ばしい半面、
映画館で観ることが減るってのはちと寂しい感じがします。
でも、どういう形態であれ映画を楽しむ人がいることはええことです。
ちゃちゃじい様:家族を描いた映画…寅さんもその部類でしょうね。
山田洋次監督のそのものずばりの「家族」という映画もありました。
小津安二郎監督もたくさんの家族映画を撮られましたし…
予告編を観てビビッときたのが「万引き家族」、パルムドールに輝きました。。
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