桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

フと思い出したこと

2020-06-25 | Weblog
俺が千葉刑務所へ行ったときに、同じ工場の靴縫い場に高田勝利さんがいた。
約18年いた千葉刑務所では、それは先輩に絡まれたこともあったし、ケンカになりそうなときもあったが、それは稀なことで、俺は有り難いことに先輩には、良く面倒を見て貰えた。
この高田さんにも、なぜか気に入られて「これを桜井の数に記録して❗️」と、高田さんが縫った靴を俺が縫ったようにして貰ったこともあった。
山口組の広島抗争として有名な映画、仁義なき戦いだが、その事件で千葉刑務所に受刑していた岡野さんが班長のときだった。
この高田さん、自分の気に入った人には優しいが、嫌いな人には徹底して嫌がらせみたいなこともする人だった。
あれは佐々木さんという人だったが、なぜか不正がバレて懲罰になった。どうしたんだろ❓️と思っていたら、高田さんが「生意気だからチンコロしてやった❗️」と言う。
仲間を職員に売ってはダメでしょ、と思ったし、何だか寒々しい心を見たような思いになったことがある。
その高田さんも仮釈放近くには他の工場に転業となり、何時の間にか居なくなった。
俺が仮釈放になり、再会したのはテレビのニュースだった。
土方仲間と中華料理屋で昼飯を食べていると、「本日、高田勝利の死刑執行があった」
とアナウンサーの声。エッ❗️と思って画面を見ると、あの高田さんだった。
衝撃だった。
仮釈放で社会に帰り、バーの姉ちゃんを遊びに連れて行くと歓心を買い、そこのママさんを殺したとのこと。2度目の強盗殺人事件で死刑だった。
テレビを見ながら、ひとときとはいえ共に時を重ねた人が死刑執行された衝撃で、なぜなんだ、なぜなんだと自分に問い掛ける思いしか浮かばなかったのだが、今日は、なぜかあの日のことが急に思い出された。
2度も人を殺した高田さんは悪人と言われる人になるのだろう。殺された人の悲しみや悔しさ、苦しみを思えば、高田さんは死刑にされて当然と言う人が多いだろうが、俺は、そうは思えない。
高田さんは変わるべき人生を変えられないで終わった、それはそれで哀しい人だったし、高田さんのような人でも人の命は大切ゆえに殺さないとする国家であって欲しいと思っている。
そういう人間の命に対する尊重と敬愛のある国家であれば、もしかすると高田さんも自分を変える人に出会い、2度目の殺人には至らなくて済んだのではないだろうか。
今日の雨は、昔の思い出と命を考えさせるよ。

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