桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

国賠裁判

2018-04-25 | Weblog
昨日は冤罪仲間の国賠裁判だった。
どの冤罪事件でも同じだが、必ず検察は存在する証拠を「ない」と隠す。不見当と主張することが多くて、言い逃れ出来ない存在事実を突き付けられると、「発見した」と出して来るのだ。「ない」と言ってしまうと、あることが判ったときに嘘を語ったこれになるために、ずる賢い検察官は「不見当」などと汚い主張をするのだ。
金沢地裁で国賠裁判を闘う盛一さんの冤罪事件では、どうした訳か、ない!と明言した。それを盛一さん自身が発見したことから、検察の証拠隠しを追及した国賠裁判をしている。
本当に検察と検察庁人事下にある法務省の連中は汚くて、盛一さんの裁判で「ない」と主張したのは、盛一さんに裁判と関係がない証拠だからだと言う。馬鹿を言うな!だ。
盛一さんに覚せい剤を譲られたとする関係者の調書が、覚せい剤事件の冤罪で裁判をする盛一さんに関係ないはずはあるまい。
大体、「M子の検察官調書があるはずだから提出して欲しい!」と、個人名を特定して弁護士が開示請求をしたのだ。それをないと答えたのは、どう考えても嘘。裁判を欺いたことに変わりはなかろう。
こういう検察庁の嘘が許されて来たからこそ、日本の冤罪は量産されるのだ。
裁判後、弁護団から裁判経過や今後の方針を説明して貰い、良く判った。
盛一さんの国賠裁判は小さな闘いだが、絶対に勝たなければならない重大な闘いだと思っている。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿