桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

横浜西部支部

2018-02-17 | Weblog
今日は、久しぶりに救援会の神奈川に招かれた。ショウジとタカオの映画のときは、杉山と監督を招いたという横浜西部支部だ。
今日は旗開きで、好きに話して唄って欲しいということだったが、何時もながらの俺。
インフルエンザ以来、初めて唄ったが、声は、まあまあだった。
帰りに、80歳になるという方が、話を聞いて明日からの生き方が変わる!と言って頂いたのが嬉しかったなぁ。

廃墟

2018-02-17 | Weblog
事物が年齢になったせいか、地方へ行って歩くときなど、人が住まなくなった空き家が気になる。
どんな人たちが住んで、どんな暮らしをして、どうして空き家になってしまったのかと、その家にあったろう家族の笑い声や活気の時代を想像してしまう。
このごろ、どこへ行っても空き家が目立つ。人口減少時代に入ったから当然なのだろうが、家も引き継ぐ子孫を失えば終わりだ。
もちろん、国家とて同じだ。
国家などいう言葉は、まず日本ではろくなことに結び付かない。国家のためにうんぬんと語られることは、個人の犠牲によって国家を支え、護れとするようなことばかりだ。
しかし、そうじゃないよね。独りひとりの人間は、誰もが掛け替えのない貴重な命だ。国家こそが貴重な独りの命を護るために存在するものだろう。
先日、奨学金を借りた学生て破産する人が多いという記事を見たが、若者を育てることに金を惜しむ国家なんて、あるの?若者が日本を引き継ぎ、支えなければ日本は消えるんだよ?ならば、何より優先するべきは若者育成ではないのだろうか。
これが政治だと思う政治屋。これが政治だと思わされる愚民。
日本に笛空き家を見ていると、明日の日本が見えるようだ。