能登の被災状況はテレビでも見る事が出来ますが、実際には現地の事を細かく報道しているとは言えません。放送しやすいところから発信しているだけではないかと感じていました。
能登支援のクラウドファンディングに参加させてもらっている関係で、自分の目で見て現状を知る事も大事ではないかと思い2月に計画を立てました。
4月中旬にはのと鉄道が全線開通したので、最初の行程を変更して奥に進む事が出来ました。
穴水駅も被害があって一部使えない場所もあるようですが、営業するには支障がないところまでになっていました。
七尾駅から穴水駅の間の沿線の状況は、国道が開通していますがところどころ修復がされていないような場所もあり、車窓からですが亀裂や凹凸があるように見えました。
沿線の住宅は黒い瓦屋根の住宅が多く、穴水に向かうほど屋根の頂上にある棟瓦(かんぶり、のしかわら)が崩壊またはずれて養生シート(青シート)で応急処置をしている住宅が増えて行きました。
東日本の時のように、屋根全体に養生シートが張られている住宅はかなり少なかったです。
それとは対照的に倒壊している建物が少しずつ増えていくので、揺れ方が地域によってかなり違っていたのかもしれません。
遠目では住宅がしっかり建っているので、住む事が出来るように見えましたが、現地の視察をするにつれて、実はかなりの被害であることが分かってきました。
沿岸の防波堤や側道は陥没がひどく、路地などは陥没した道路に砂利を入れて高さを調整していましたし、防波堤については崩落している個所も多く、その近くにある建物は半壊、全壊、建物の傾斜でほぼ壊滅的状態になっていました。
駅近くにある立派な穴水神社は社周辺で大きな被害が出ていましたし、街中を通る国道の橋の両端は陥没が激しく、盛り土で高さを調整して使用していました。
橋の欄干も折れ曲がっているので、この状態でよくこの橋が落ちずに堪えたなと感じました。橋両端の道路が陥没したことで、電柱も低くなり橋の頂上では、手を伸ばせば電線に触れるくらいの高さになっていたので、道路側面は2m近く陥没したのではないかと思われます。
現地では仮設住宅の建設をしていましたが、作業員の数はさほど多くはなかったところを見ると、人員不足なのかなと感じました。
ある集落で高齢の方が二人いたので、当時の状況と現状を伺う事が出来ましたが、電気・水道が使えるようになったので、自宅で生活しているが、倒壊家屋や危険家屋が多いので、住民の多くは仮設に移動していると言われました。
今後の展望もある程度復興したとしても、一次産業が主力の地域なので、若い人たちが働く場所がないし、地方に住んでいる跡継ぎが戻るのは難しいだろうから、人口の減少は止められないだろうと話されていました。
同じ町でも場所によっては壊滅的な状態があったり、軽微な被害で済んでいる地域もあったりして、復興と言う概念が複雑だと言う事を実感しました。
今後も微力ながら支援をしていきたいと改めて思いました。
次回の訪問時にはもう一つの支援先の能登町まで入れればと思っています。
東日本大震災での被災地の状況を思いますと、4カ月経った時点ではまず道路などはかなり改善されていたと思いますし、何しろ危険な家屋の取り壊しも進んでいたように思います。半島の難しさ、これは両親の故郷の伊豆地方も共通で、もしかするとより厳しいとも思いました。やはり防災についてはまだまだやらなければならないことが多いと感じました。
所有者の同意が必要であるが、登記が昔のままで更新されていないのが大きな原因の一つであるという事ですが、こういった非常事態に関しては例外的処置が必要だと思いました。
現状を早期復旧しないと、いつまでたっても整備が出来ませんからね。
取り壊しの費用も自腹ではなくて、代執行出来るのですから。
地理的や地形的問題もあるでしょうが、自治体が人員不足ですから、このような手続きが円滑に出来るよう国が代行を行うべきではないかと思います。